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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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175 魚料理:やや厚めに切った真鱈と他人の香草焼(3)

立てた指を指揮棒のように振り、今度は掛けてもいない眼鏡を摘まんで持ち上げるふりをし始めた。商会の馴染みの従業員の真似だと気づいた瞬間声をあげて笑いそうになったが癪なので顎に力をこめて耐えた。表情が崩れて、レーヴェは「似てたでしょう?」と肩を震わせている。


「……なにが改善点ですか。次に口にする事に気をつけなさい」

「最後まで聞いてください? 一つ目の質問と二つ目は、私が相手だから身が入ってなかったので見逃しますが、問題は三つ目です。アイヴァンなんて特定の名前を出しているので少し頭を回したんでしょう? だから余計だめです。せっかく知恵があっても使い方がそれではだめです。これが港の荷卸しだったら荷扱不良で輸送し返さなきゃいけないところですよっ」

「人の事を破損荷物だというか」


もう二度と口を開かせまいと腕を振り被ると、かたわらを通り過ぎる婦人らを見て視線で牽制してくる。首を傾げる女性たちなど構うものか。レーヴェの首を掴んで立像の後ろに押し込んだ。小賢しい子供は大慌てで逃げようともがいたが、懲りずに小声で話を続ける。


「いいですか。この場で求められているのは商会としての顔ではありません。バティストン商会の顔は父上だけが持っているもので、私たちは言ってしまえば付属品なのです。私は元よりシャルルさんだって相手からすれば名前を覚えなくてもいい子供です」

「私は成人している。お前に言われることでもない!」

「アイヴァンの戯曲なんてヴァンダールで流行りの劇団のことなんて知っているかもわかりませんし、知らなかったら相手に恥をかかせることになります。私だって詳しくありませんし、お相手だって答えに窮するかもしれませんよ。仕事が忙しいこともそうです。バティストンのそばで商人としての責任を学ばせてもらった。教会は私自身の心の拠り所となってくれているので、私よりももっと深い悲しみを抱く人々のために場所をあけるのが私の教会への恩返しになるかと考えました、とか教会に行かない理由をうまく答えるんですよ。一緒に挨拶した時もそっけなかったでしょう」

「……お前は言うに事欠いて……」

「二つ目は、バティストンは厳格な人で、たくさんのことを学ばせていただきました。一人前になるためただ精一杯で、振り返ってもいろいろありますが、私のような孤児を育てて下さった父に報いる為にも、さらなる勤勉につとめようと思っています。そうすれば幸福も開けると思っています、とかね。ね、まともな受け答えでしょう?」


己から立ちのぼる智者の芳香を楽しむように、レーヴェは深く息を吸いこんでから一歩後ろに飛び退いた。立像のまわりを一周し、文句を浴びせるつもりの男をあしらう。

シャルルは青筋を立てる額にかかる髪を、頭を振って払った。勢いが駆けだす前の馬のわななきと同じだった。さすがにレーヴェも一瞬足を止めて、顔をちらっと見てから目を逸らした。シャルルは頭の中で練った言葉を押しのけて、閃きを歯の間から押し出した。


「……お前がそんなに頭が回るわけがない。誰の入れ知恵です」


言うが早いかレーヴェは後ろに目をやった。振り返るとふさ状の尻尾を揺らし、背の高い男が片手をあげて近寄ってくる。彼の目印ともいえる大きな羽根帽子はなく、巻き髪をひとつに結んでいる。


「ジョットさん……」


いつも惜しげもなくさらしている胸元は仕舞いこまれ、大量の宝飾品もない。レーヴェが和やかに「今日のお姿も一段と決まっていますね」と心地よげに笑いかける。

今度はジョットのそばに立って、レーヴェはまるで兄をみるような顔で寄り添っている。


「ジョットさんの受け売りです。でも半分は自分ですよ? だから半分ずつ評価してください」

「黙れ」


まぁまぁ落ち着いて―――そう言ってジョットがそばに寄ると、妙な居心地の悪さを感じた。海風を感じることもなくなり、壁の無い部屋に送りこまれたようにどうすることもできないざわめきを感じてしまう。

息詰まるような気持ちを知ってか、彼は苦笑いをしてそれ以上近寄らないかわりに胸の前に両手をあげた。肌とは違って色の薄い手のひらがよく見える。興奮する馬をおさえるような手が二人に向けられる。


「お二人とも。確かに私が話した事ですが、ここで講義をするのは控えて下さると嬉しいです」

「あっ、すみません。小声で話しているつもりだったのですが……楽しくって」

「でしょうねぇ。身振りからも伝わりましたよ。私は耳が人より良いんです。他の人には聞こえていない事を祈りましょう」


トリパノ族の耳の良さについての幼稚な質問に答えながら、彼はそばを通った給仕から杯を受け取ると、金色の果実酒の入った杯をゆるく回した。手首に巻きついた腕輪に文字が彫られていたような気がした。鎖に小さな瓶がついている。めずらしい形の装飾品だった。


「でもシャルルさん本気ですよ。本気で勿体ないと思っています。顔立ちだっていいのですから、笑顔を心がければきっとたくさんの方が手巾を手渡してくる気がします」

「お前はもう黙りなさい。一切口を開くな」

「笑顔、笑顔です。笑っていても心では笑ってないのわかります」

「こういう場で本心からどう笑えと…!」


語気が荒くなった瞬間、ジョットの手が伸びた。


「お口を開けなさい」

「!? あ、? ぐっ」






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