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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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170 汁物:根菜と教職者のとろみのある煮出し汁(2)

「思い浮かべて欲しい。いったい誰が聖典を盲目的に信ずる権利を与えているだろう。その多くは親が言ったから、祖父母が信じろと言ったから、ただそれだけの理由で教会を信じてきたのではないだろうか。教会の信念、まして私個人に触れ、人を知り、始まったのではない。信仰は道のゆくてを照らす光だ。種族も職位もなく、すべての人に平等にそそがれる光だ。くだくだしい言葉の繰り返しでも、苛立たせる暴言でもない。それはたえず人を癒し、何もかも赦してくれる。私は手を伸ばしたい。陰の中で苦しむ彼らは光を知らない。その手を握り、光の下へ連れ出したい……連れ出したいのだ」


何人かが相槌を打った。心から同意してくれているか、打たねばならない空気に押されて頷いたかはどうでも良かった。

いよいよ長話で老人が嫌いになる者がでても、龍下という肩書を背負い続ける男は情熱を込めて声を張る。


「私は今日限り困窮者が嵐の中にいると表現することをやめよう。困窮者に手を差し伸べ、援助し、国力が痩せ衰えないように勤めてくれているみなの献身も疑いないところだからだ。私は貴方方にも報いたい。寄付は貴方方の体の一部、本来貴方方が得るべき正当な対価だ。教会は困窮という旗を翻しながら、貴方方に孤立した者を救えと押し迫るわけにはいかない。目指すのは全体の自立。すべての不幸からの脱却だ」


床まで引く裾から靴先が顔を出す。思わず一歩出ていた。正装した老人の言葉をじっと無言で聴く観衆を掴むように、片手をつきだしながら。


「私はここに大業を成すことを宣言する。今回の大会によって決定された数多くの宣言の中で言語化された問題と解決策が愚策であったかは、明日の公布以降の大衆が明らかにするだろう。これ以上、驚くほど惨めな状態の、信じがたいほど広がっている苦しみを断つ。嘆く魂をあらんかぎりの方法をもって救う。何故なら私達は希望を持ち続けるか、振り捨てるか選ぶことができるからだ。その幸福に私は安住しない。例え舌先で嘲られようとも、辛苦を蹴散らし、すべての善男善女に平和の訪れを告げる日まで悪魔を打ち倒す炎となるだろう。どうか命が燃え尽きるその日まで見守っていて欲しい……」


錫杖を掲げた。天を突くように腕一杯掲げた。先頭にいた男が一瞬うっとりとした顔をやや上向けて、立てた首筋をさらした。筋が入り、かたく引き締まった喉から尊大な声が生まれる。


「光があらんことを! 龍下に光が! あらんことを!」


とたんに声が重なる。祭服に堅固に守られている身を脱力させると、青空に融けた白雲のようないかにもはかなげに、笑顔を光らせた。その笑みがどれだけ価値のあるものかは大衆の心が決めるだろう。


「国民に光があらんことを!」

「龍下に光があらんことを!」


一面の音の中に自分を呼ぶ声はいつまでも響いた。喘ぎかけて、接吻をするように唇を一瞬すぼめたが、相次ぐ拍手を味わうように舌を出した。蛇の舌のように這い出た桃色の舌が、しどけなく横たわる上唇をなぞる。

脳裏に浮かべていた白と青の薄ら寒い庭には愁いを帯びた女が立っている。彼女は振り返りもしない。けれど都合がいい。頬にかかる髪を耳に避けて、小さな穴に舌を挿しいれたら体全体が震えるはずだ。不完全に表象される耳穴は私を受け入れるために差し出される。そのとき果実を割ったような豊潤な快楽が胸に湧くのだろう。





半分に切った果実を、さらに半分に切る。匙で身を掬うと、果肉からじゅわりと迸る蜜と爽やかな香りが顔の前で弾ける。頬張る客は老いも若いも喜びに頬を震わせた。柑橘類を使った甘味は手軽に青果物の品質を宣伝し、挨拶を交わすことに疲れたときに人を避けるために使われる。

給仕がきて食卓に新しい料理を整えていく。立食形式の為、片手で取り分けて食しやすいように気が配られている料理の数々は眺めるだけでも美術品のように美しかった。


広間や続きの部屋には人が頻繁に出入りし、粋な身なりの若者たちがいくつか輪になっている。蝋燭の灯ごしに美しい女たちが眺めては囁いている。両者とも、互いに切欠を求めているとわかっている。こうした場での規律はたったひとつ。必ず初対面のふりをすることだけだ。

首から肩をさらした細腰の女が美の威信を保ちながら露台へ続く硝子戸を押し開けた。背中に結ばれた紐がたゆたって気を引く。まるで天使の翼だと男達は口笛を吹く。広間の中は輝いているが、硝子の向こうは夜闇があるだけだった。夜の海に光が伸びて、美しさが広がっているのだろう。輪の中から男が一人抜けだした。後を追って人波をしずかにくぐっていく。女の蕾を開かせることができるか、または棘に刺されるかは触れてみなくてはわからない。男はもう笑っていた。


男女の行方には露ほど関係もない一人の男が壇上にあがった。子供のように小さな体に、ひどく古い衣裳と後ろに撫でつけた髪という見た目にそぐわぬ奇妙な身なりをしているが種族的に体が小さいだけで成人している。

先程の龍下の言葉にあがった熱はまだ広間に漂っていたが、男は参酌せずに明朗に話を始めた。理術によって拡散した声は広間によく響いた。


「本教会主義同盟大会の書記として同行しておりますアクエレイル大聖堂主計部マイヤーです。主計部を代表し、本年度の会計報告を発表致します」






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