169 汁物:根菜と教職者のとろみのある煮出し汁(1)
市最大の広間での宴には二千人ないし三千人の人がおとずれている。白い祭服だけでなく、濃緑や茶褐色、澄んだ青、鮮黄といった異なる職分を表す色帯や装飾をまとう客が入り混じり、広間にみちあふれていた。今回の祝祭のために作詞された歌が乾杯の辞とともに流れ、一堂に会した面々の健闘と更なる発展が祝される。
広間の中央には真っ白い流木に蔦や花を絡ませた飾りが鎮座し、杯を持った客が薄い煙のように周囲を漂い、歓談を交わしている。
閉会式同様に壇上に立った龍下は、賑わいに引きかえて悲しい笑みを浮かべた。結び紐のついた酒樽は景気よく割られ、壁には各領地や職分の旗が飾られている。白布に載せられた料理の輝きも、笑う口元に次々に吸いこまれていく。賑やかな声。笑顔。平和。広間には繁栄を極めた贅があらかさまに示され、それらを眺める龍下の笑みは海風にさらされる枯葉の一葉のように場違いなように感じられた。
「……惨禍の跡を訪ね、旧時の悲惨さを改めて認識し、なお教訓として生かそうとする人々の心意気を見てきた。平和の切要さを改めて感じた……死を想うと苦しい。けれど、慰めにもなる。希望にも」
指先でそっと瞼を閉じる仕草は自らの臨終を看取るようにも、他者の憐憫を癒すようにも見える。
龍下はさらに言葉を続ける。一節続いた討議において決定的な分裂が起こらなかったこと、多数の提案が提示され、互いに容赦なく批判し、発展に打ちこんだことを称えた。一度など窓辺の方を見られて微笑まれた。国民の幸福をつくりだすためにはこれからも全体的な学問的基礎づくりと、発展に必要な研究時間を見出さねばならず、援助を続けることも約束した。関わった全員へ感謝の言葉を贈る時には、無垢な瞳をひとりひとりの生まれを聞くように寄り添わせた。
自分に許されるであろう収入をすべて教会に預け、自らを神の足元に座す者として働く決心をしている龍下は、いまだに国の裁量権をもつ立場にある。とりわけ彼が心を砕いている困窮者の援助については忍耐が必要とされ、経過を見守っている最中であった。
困窮者が孤立しないよう仕事と暮らしを与えて保証する法案が施行されてから、これまで何百という人に手を差し伸べてきたが、自らの足で路上に舞い戻り、死を選ぶ者は後を絶たなかった。教会は歪曲も修正もせずに死者数を公表している。広間に混じる記者たちも大会の話題に関連付けて、社会的な後進性を追求するのだろう。ヴァンダールでは重要な問題に関しての論説が盛んに発表されている。しかし教会がいくら物質的援助をおこなっても、生きることの労苦を避け、死を受け入れていまう者はいなくならない。彼らの中にある救いとは何か。生と死。希望と絶望。気力と無気力。矛盾に満ちた問いに龍下は打ちのめされ、一時期歩みも捗らなくなったという。
龍下を擁護する声は当然ながら多い。しかし教会のやり方は非難されることもある。
「明日新たな誓文が発布される。アクエレイルからの長途の旅は快適な冒険であった。しかし我々が着飾り、食べ、温かな寝床で眠っている間も、孤立し、飢えている者たちがいる。彼らは苦しみを訴える方法を知らず、知っていても行動に起こす気力がない。風景の美しさに目を向けることもできず、嵐に身を任せることしかできない。彼らは私達がこうして彼らのために時事問題に取り組んでいることすら知らないんだ……そうだな、記者諸君が追求し、綴りにまで魂を込めた新聞記事にはこれまで何度も書かれてきた。我々が発行する機関誌にも。けれど彼らは理解できない。どうしてかわかるかな。彼らの生活状態が許さない―――そうだね、それもあるだろう。文字が読めないものもいる。新聞を買う事も、借りることもできない。知らない人さえいるだろう。それもまた当然のことだ。ここに集ってくれた多くは新聞を読んでいるだろう。内容を自分の事と思って読む者はいるだろうか。今朝目を通した時、自分以外のどこかの誰かに起こっていることだと思ったのではないだろうか。人の視野はいつも狭い。生きるだけで精一杯なんだ。私も、貴方たちも、ここにはいない彼ら彼女らも。みんながそれぞれの苦しみの中にいる…………我々は困窮者の閉鎖性を学び、寄り添ってきた。路上にはまだ救える者が居る……救いを拒む者もいる。私に何ができるだろう。どんなに頼りになるかを教えて、手を温めても、一瞬たりとも見捨てないと抱きしめてもそれは空虚だ。食事と寝床も与えても、慣れ親しんだ路地に戻ってしまう。どうすればいいのかいつでも考えている。夢見る事に疲れ果ててしまいそうになりながら……私も彼ら彼女らも、もう疲れているのだ。心が健やかでなければ希望を持つことはできない。生きるということは……重荷の重さと戦い続けることにほかならない」
怖れと望みが一緒くたになった声が広間に響く。眉をひそめ、悲しみに暮れる表情が痛みを煽る。それでも弱い指導者とおもう者はいない。




