166 前菜:フロムダール家盛り合わせ(2)
正しい挨拶の作法や、銀食器の使い方や知っているという事は裕福な家庭に暮らし、育ちが良いという印象を与える。教会では集団生活の中で礼儀作法を教え込むが、支援者たちの多くは下層労働者から名を遂げているため礼儀に疎い。このような式典の場では着飾った見た目だけでなく、場に合った立ち振る舞いや対応ができるかも検分され、失敗すれば二度と招待状を受け取る事は出来ない。
バティストンはこれまで何度も饗宴に参加しているが、大柄な体躯とお世辞にも優しいとはいえない人相、そして外作業による焼けた肌により粗暴な男という印象を拭う事はできないでいた。場に相応しい衣裳を身に着け、会話の作法を学んでも、交友関係を広げられず、付き合うのは同じ商人ばかりだった。冷たい石の上に数十年座っていても表情が変わらないと従業員に噂されている動きの乏しい顔も、印象を下げる一因となっていることは明らかで、バティストン自身も面白くもないのに笑うことができず、話題を自ら取りまわす様な手腕もなかった。
それでも交友関係は広げねばならない。バティストンは少しでも改善できないかと友人を頼った。バティストンが商会の主として正餐に招かれると、必ずジョットも招かれている。彼は種族的に派手な肌色を逆手に取り、羽根飾りのついた豪奢な帽子を被り、光沢のある上衣から鍛えた胸板をさらす色気のある男だった。
彼がひとたび現れれば会場の空気を浚う。主催も彼のそういった面を期待して招待をしており、演劇俳優のようにもてなし、美女と別室に消えても咎めない。一見敵が多そうだが、教養があり、気配りもできるから男女ともに交友関係は広大だった。自分を利用させるため売り込むことも上手い男だった。礼儀作法は非の打ち所がなく、丁寧な庭の美しさに感嘆し、美味しい料理に舌鼓をうつ一瞬さえ絵になる。何かを褒めれば流行りとなり、離れれば廃れる。要するに―――
「努力の男だ」
水差しを置く。落ち葉のように言葉は執務室の床に落ちた。
複数の商会を交えた組合会議も済んで、おびただしい書類を避け、喋りつかれたあぎとに杯を寄せる。ジョットはめずらしく長く黙っていた。馬車の蹄鉄の音が窓から聴こえたくらいだった。もうすっかり日も落ちてしまった。互いに金はあるのに時間がないな。行人の頭を眺め、振り返る。壁の照明は色情のかげもない冷たい光を執務室に落とし、ジョットの口の中で舌がゆっくりと上下するさまを映し出した。かつてないほど平坦な顔に立ち会っていた。はじめてのことだった。感情がいちめん焼き払われたような顔で、それは朝の澄み切った空と同じ素材でできているように思えた。そこまで考えて、喩え方も影響されてきたと一人笑う。ジョットは何故か敏感に驚き、わざとらしく呼応して笑った。
それからやっと動き出したがいつもの飄々とした姿はなりを潜め、暖炉の火をちらちらと見つめて落ち着きがなかった。めずらしいものばかり見る。杯を傾けながらその目立ってあでやかな横顔を見ていると、破れをつくろい、ほころびを繕う苦労を見つけたような気がした。
(あぁ……だから努力なんて言ったのか)
思考が紐であれば、今ようやく靴紐のようにまともに結べたような気がした。
それからジョットとともに、何度も饗宴に足を運んだ。ジョットによる教育と繰り返しの経験が今のバティストンを作り上げている。女―――いや、ご婦人の機嫌を損ねたことも、商売敵に恨みを買うこともあった。成功の記憶より失敗の苦い記憶の方が多い。ささくれ立った粗忽さは消えてなくなることはないが、汗水垂らして働く逞しさの中に美しさを見出してくれる人も現れ始めた。
「父上、もしお加減が優れないのであれば」
「口を慎め。心配ない」
レーヴェの心配げな瞳がようやく諦めて前を向く。
バティストンは会場に入ってからというもの歓談の最中も常に視線を感じていた。閉会式の最中でもそれは張り付いている。相手がどのような者であるか目を凝らしてみることはできない。
会場に入る前、渡り廊下で前を歩いていた老人が杖を手放した。身に着けている銀鎖付きの勲章を整えようとして、手から滑り出た杖は絨毯に寝転ぶ。何かを床に落とした時、裕福な者は自分で拾い上げることはしない。周囲に立つ従僕が気づくか、でなければ彼らを呼ばなくてはならない。それが高名な集いでの規律である。
この種の是非はさて置き、やってきて杖を拾ったのはレーヴェだった。いかにも堅物の老人は、若者が金目当てに近づいてきたか笑顔の裏で探りながら、当惑も嫌悪も見せることなく礼を述べた。杖は従者が受け取って、それから老人の手に戻る。
レーヴェは何にも気づかず、ただ笑いかけ善意を示していた。




