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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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165 前菜:フロムダール家盛り合わせ(1)

人の粗ばかり探して戒めともしない者は、自分の欠点がないと胸を張っていえるのだろうか―――。

バティストン・フロムダールは煌びやかな雰囲気に包まれる会場で駆け引きの疲れをいなしながら、張りのある青年の声を聴いている。青年は次のように述べた。


「教会主義同盟大会の閉会式をここに始めます」


大会は無事全日程を終了し、慰労を兼ねる晩餐会当日を迎えた。国の行く末を励ますような気持ちの良い晴天に恵まれ、司祭館に集った貴賓は贅をつくした完璧なもてなしを受けていた。明日には大衆向けの"法の施行を記念する式典”も準備されており、今回の龍下のヴァンダール訪問も円満に達成されたと、疫病という不幸な歴史を知る市民は通りのあちこちで気の早い祝杯をあげている。


会場に到着された龍下は、数百の参列者に向けて朗々とおことばを告げられた。

バティストンは頭を下げ、両膝をついた恭順の姿勢で聞いていたが、ねぎらいの言葉のあとに「管を巻くと祝辞ではなく小言のようになってしまう」と笑いを誘っていらっしゃったのが印象的だった。

供奉する四名の大主教のうち、ヴァンダール大主教が立ち上がり、後続にも見えるように両手を掲げた。それを合図に会場全体で言祝ぎを唱和する。

支援者に名を連ね、多額の寄付をおこなっているバティストンは家族とともに会場のなかほどに居たため、龍下の姿は白と赤の色の主張のほかには、立派な白鬚がのぞめる程度だった。その身には権勢者としての威光をしのばせるようなものはなく、教会の在り方に影響を及ぼす存在にも見えなかった。


龍下は純白の御座に腰かけた。司祭が提げ持つ教会旗が翻されると、式典司祭が登壇する。彼らは胸に緑の綬を斜めに走らせ、末端に添えた金環を揺らしている。二人がかりで大木のような太い巻紙を持ち上げ、三人目が端を捧げ持ち、床を見ながら素早く後退った。赤い絨毯を二分しながら開示される巻紙には、一節の間討議された新法が記載されている。明日より交付され、国民に対し効力を発揮するそれはまだ硝子細工のように壊れ易く、繊細なただの骨格に過ぎない。


先頭に出てきた記者たちが、のちに記事に大々的に載せる重大事を脳裏に刻み付けるように見つめている。手許は見えないが、高位の方々の前でも手帖に尖筆を走らせているのだろうか。明日にはヴァンダールの各地に叫び屋が現れ、民衆に向けて新しい法律がなんたるかを語って聞かせる光景が見られるのだろう。


バティストンもまた、龍下の御姿がどうであったと商会の従業員たちに語る約束をしていた。商会には足しげく教会に通い、生涯のあらゆる困難を司祭に相談して乗りこえている者が多い。彼らにとっては、壇上に座すあの老人こそが生きる神なのだ。一方的に約束を取り付けられたバティストンだったが、閉会式最中は手持ち無沙汰になるため頭だけはやや下を向けて、目だけで前方を見つめている。視界に満ちる低い頭や高い頭をながめていると、会場全体が白波のひとつになって壇上の龍下に寄せていくような気になった。自分という波が近づいた時を想像したが、近衛に蹴散らされ泡となる光景が浮かんだ。急速に汗をかいて、気持ちは微妙な悪に侵されていく。


壇上の龍下が錫杖をしたたか打ち、立ち上がった。空気が張り詰め、両翼に控えていた大主教らが応えるように錫杖をうち返した。

会場にはゆったりとした弦楽器の音が披露されていたが、この時ばかりは無音で、魔を打ち晴らすような甲高い音が衣服の内側や調度品の中、口腔の奥にまで細緻に忍び込んで、人々のあいだで少しずつ潮を上げた。五人の織りなす音の波が頂点に達した瞬間、理力の帯を顕現させた彼らから巻紙に向けて光がほとばしった。


すべてが柔らかい光に満ちた。感性に乏しいバティストンでさえ涙声になって嗚咽を漏らしてしまいそうになった。呻き声が聞こえて咄嗟に口を押さえると、そばに両手で顔を覆い泣いている者がいた。


壇上へ再びあがった青年が、理術署名が終わったと明言し、会場に漂う酩酊を無視して完全な明晰さをもって式を進めていく。


若者の声色に怜悧さが混じっていて、バティストンは安堵していた。圧倒的な理術の光は痛烈で、巻紙は光を堆積させて輝いている。神秘的な光景は美しく、敬う気持ちがある半面、努力だけでは補えきれないものがあると突き付けるものでもあった。住む世界が違う、というのだろうか。同じ時を生きているにも関わらず、明確な差があった。それがバティストンが歳を重ねても覆せない不可侵の部分を刺激していた。


「父上……」


袖を引かれる。レーヴェが泣きそうになって言った。

バティストンは意識がどこか遠くへ行っていたのを感じたが、息子の険しい表情にまるで情人を心配してやまないといった心の発熱を思わせる幼稚さを見て、眠りから覚めたように引き戻された。

息子の弱さは時折この世で一番弱いのではないかと感じることがある。人の善性を信じ、虫の声に心を寄せて笑うような子供だった。男にとって感情などというものは一つか二つあれば良いものだが、レーヴェは試しに持てるだけ持ってみましたというような余計なものまで抱えている。


「頭を下げてろ」


バティストンは故意に強く言った。






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