164 白い告白と、
「私も病に臥せっているんだよ。長い事ね。この病は私を活気づけもするし、落ち込ませもする。見てくれ。肉はゆるんで、腕もこの通り、細くなってしまった。君を抱き上げて寝台に運ぶことはできない。骨は折れやすいし、歩くだけで一苦労だ。司祭服はとても重いんだ。その上、錫杖までもたねばならない。そうだとも、そうした装いを考えた時はそれで良かった。昔は軽々と振っていたものだ。けれどもう昔の面影なんてものもない。歳をとると考えまで凝り固まってしまうというが……いま表では熟議の最中でね、若い者が素晴らしい献策をしてくれるが、本当に私が思いつかない事を言いだすんだよ。喜ばしいことだよ。けれど……けれど彼らは、私の意向を汲んだまでだと、言うんだ………」
「……悔しいというの?」
男は深く頷いた。回顧談をしている眼差しは、硝子状に崩れた石畳の縁を撫でて、追い出されるように目を伏せた。
そこには豪華な衣裳に身を包んでいても、紛れぬことができぬ哀愁が滲んでいた。袖を奪い合うように自身を抱きすくめる姿に、権勢者としての苦労さえ見えるような気がした。これはこの男の常套手段だ―――そう片隅で思う。けれどもう片隅では、血の中に流れる真実を吐き出しているのだと思う気持ちがあった。男は私の立場にはなってくれないが、私もまた男の立場で物を考える事ができないように。その事があからさまに私の口を封じた。
私はずっと一人だった。時の進まない庭で己を眺め、自分がどうしてここにいて、何をしているのか見失って、空っぽになってしまった。沈黙が立ちこめて、空気の中に漂っていた悔恨と郷愁と罪悪さえも消える。世界は暗く、光もない。家族がどうなったのか確かめる手段はなかった。呼びかけても誰も答えない。私は私の中にひたすらのめりこんで荒廃していく。止める事はできなかった。
石段に腰かけ、蔦の絡まる柱に頭をもたれかけていると、数節もしくは―――数百年経って、見知らぬ男が隣に腰かけていることに気づいた。私は自身を失って、果敢なさに共に沈んでくれる人のことを驚かずに流した。その人は足元に力なく転がる私の心を拾い上げ、呼吸以外の欲求をひとつひとつ注ぎ直した。しばらくすると、戯れたりしているときに涙が目から溢れた。優しさが青葉のように瑞々しく茂り、心に熱が灯った。人としての感覚が呼び起こされる。彼のおかげだ。お礼を言おうと涙をぬぐう。そうして、ここに男の顔を思い出した。
愕然とする私に―――『最早どこにも君を待っている人はいない。私がそばにいる、私だけが……』そう言って愛の言葉を並べた彼を忘れることはできない。
私の心と体のどちらも手にした男は、昔から変わらぬ親しい笑みを浮かべて、その手に血みどろの……
それから男は私の願いは叶えずに、やらないで欲しいことばかりを叶えた。所業すべてを私の為と言ってはばからず、波のうねりの如く私を飲み込む。
私は波頭から顔をだして息継ぎをする。さざめきの中で必死に喘いで、高みに達した波が頂点から崩れるのを待つことしかできない。世界には二人しかいなかった。
翻弄されながら、ただ一途に信じていた。気持ちを乱されても、世界を壊されても、いつか終わりがあるのだと。
「悔しいさ。本当に…老いさらばえていくことがこれほどのものかと……老いは、君の力をもってしても止めることができない。この体はもうすぐ終わるのだろう」
「貴方は……背負ったものを降ろさずに進んできた。貴方はとても良い人よ……なのに、悪人の役もかってでてしまう。終わるというのなら………終わらせましょう、私達の手で」
私達?―――男は寛ぎをもった笑みで頭をひねった。
「まるで私だけが悪事を働いているようじゃないか。私は君だけを愛している。君以外を誘惑したことも、触れたこともないんだよ」
「すり替えないで……そんな話はしていないわ」
「いいや、私の愛し子。君は千年経っても美しいままだ。他者を圧倒するその美しさが誰かの目に晒されるたびに、劣等感と優越感が綯い交ぜになる。君は私のものだ。私だけのものだった。だというのに、誰しもが一目見ただけで恋心をいだく。誰しも君を自分の物にしようとする。心根が卑しくもなるさ。すべてを壊してしまいたかった。それでも私は誰も遠ざけていないだろう。君を悲しませることはしたくないから………」
「この世のすべてが私に関係があるわけではないわ。貴方にはもっと他の事に目を向けて欲しいの。私はずっと、もうずっとひとりよ。どうすればいいというの? どうすれば……」
「……私はこれからの千年だって、君を愛している」
―――傍にいてほしいだけなんだ
彼は俯いて声を翳らせながら言った。
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