161 白い兆しと、
時間が経てば経つほどに心の煩雑さに対する羞恥は増していく。これ以上隠していられない事は明らかで、打ち明けても兄は受け入れてくれるだろうこともわかっていた。けれど、心の裡を言葉にしようとすると頭に並べただけで稚拙が目立って仕方がない。余計に恥ずかしくなって、音にするには時間がかかった。
赤い顔で唇を噛むと、つないだ手をそっと握り返される。優しさに全身を包まれて、内面がひらかれる。
「………初めてだから……これ以外にも、たくさん衣裳を考えたの。でも、紙の上に描いたものと出来上がってくるものの違いといったらないの。自分の学の無さや感覚の鈍感さ、技術のなさ……色々なものが浮き彫りになってしまうばかり……小物を縫う方が合っているのかも…………うそ、好きなのに、好きじゃないわ……」
「ロライン家の者は完璧でなくてはならない。父はそう言うだろう。残念ながらね。しかし実のところ、最初からうまくいくものなどないんだよ。父上も兄上も、努力を隠すのが上手い。種をしっかり作って、開花させるのが上手い。花だって、根は土の下だろう。大事なのはどれだけ根を張ることができるかなんだ。お前の努力の種はどうかな。根は張っている?」
「ほんの少し白い根っこがでてきたところ……そのくらい」
「以前使用人たちの格好をして、仕事を手伝ったことがあったね。針や靴磨き、皿洗い、菓子作りもして、その時に特に裁縫が楽しかったと教えてくれたね。いつも自分が立っているだけで着替えさせてくれること、髪を梳いてくれること、美味しそうな料理、すべてには複数の行程があって、色々な人の手が入って協力してできあがっているものだと知ったとも言っていたね」
頷く。兄は私の日々を慈しむように覚えていてくれる。
「どのお仕事も大変だったの。私はほんの少しの、遊びみたいなものだったけど……私の相手をさせて迷惑をたくさんかけてしまったわ」
「それどころか一生の思い出だと思うけどね……そうか。お前はそれからずっと負い目に感じているんだね。だから自信がないのか」
「……おひとりでお考えにならないで。どういうこと?」
「裁縫は誰に教わったのかな? ミルトンさん? それとも侍女?」
「どちらも。みんな代わる代わる指導してくれたの。横で縫って見せてくれたわ。すごい上手なの。私とは何もかも違って……いつもお邸に採寸にきてくれるお方いるでしょう? あの方達が持ってきてくれるものと変わりないくらい細かくて、完璧なの」
「そうか。それでお前は自信がなくなって、みんなと比べると技術も拙くて、できることも少ない。そうだね」
「その通りよ。気が滅入るの……」
「違うね。お前は目が良い。自分の力量が乏しいことに気づくことができた。それはお前の目が良いからだよ。お前は自分の力量と相手の力量の差に気づくことができる。どこが拙いかもわかっているんだろう? なら、それを一つずつ"できる事"に変えていけばいいだけじゃないか」
「だってたくさんあるの。両手じゃきかないくらい。お兄様が退屈で安眠してしまうくらいたくさんよ」
ふっと笑顔になるとお兄様は「今夜試してほしいくらいだよ」と言った。ほんの少し、私の心に浅い爪痕が残る。眠れていないの?――お兄様の笑顔は見分けがつかない。
「この刺繍だって、布に針を通してできあがっている。継続したから出来上がったんだ。気が遠くなる作業ができてしまうんだから、自分を褒めてあげていいんだよ」
まだ口をつぐんでいる私にささやかな影を見つけて、兄はそっと指で払った。指から浸透した熱が、暗闇から守るようにひたすら寄り添うのを感じた。
「侍女たちはなんて。見せたんだろう」
「素晴らしい出来だって言ってくれたわ。疑っていないの。彼女たちの事は信じているけれど…………言葉にするのは難しいの。私が私を信じていないの……」
「そんな悲しい事を言わないでくれ……」
腕に導かれ、頬に頬を寄せる。震えから兄の悲しみが流れ込むようだった。
ふいに空を見ると、雲に大穴が開いて、そこから一筋の光が注がれていることに気づいた。光を辿っていくと、湖の中心に輪になって堆積しているのが見える。「お兄様、みて」指をさすまでもない。兄も見出して驚き、機を逃すまいと湖に近寄る。二人はおのずから沈黙し、しばらく神秘的な光景を眺めていた。
鳥の群れが囀りとともに頭上を横切っていく。灰色の重い雲と、薄い白雲は互いに全く異なる色をしているのに、恐ろしいほどに調和している。まるで湖から伸びる大樹のように、古くより其処に在ったものがひととき姿を見せているというような奇蹟があった。
「…………あの薄雲で服を作れるかしら」
広げた布地や、珍しい柄の染め物、流行りの意匠、豊かな品揃えを手に取った時に感じる煌びやかな有様よりも、いかに世界を変えるものが存在するのだということを感じないわけにはいかなかった。見つめていると、私は自分の感じるままに生きてもいいと思えた。




