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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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145/414

145 禁じられた役目と、

「風景ですか?」

「えぇ、風景を。人物をお描きにならないのかと訊ねましたら、お顔は難しいから、と。私は楽しくて思わずどなたか描いてみてくださいとお願いしたのです。初めてならば、とても良いものが描けるやも知れません。そうしたら、貴方が初めてになってくださるのなら、と私をじっと見つめて……皆さん怖いお顔ですね」

「詮無き事かと……お話だけでも大変口惜しいものですから」

「色々思い出はありますけれど、そのどれもが愛らしいのです」


吐き気が喉をせりあがる。男の会話にこれ程までに不快感を覚えたことはなかった。ハリエットはもう一度扉に向かう。幻滅を味わいながら黙って死ぬよりはよかった。見えない壁は取り囲むように有り、どうしても予見することができない。一方を探っては倒れ、再び立ち上がっては顎を強打し、意識が途切れた。もはや壁は場所を変え、数歩の距離さえ回り込んでも阻んだ。ハリエットは一心に口の中で唱え続けた。まだだ、と。


男達は互いの出来事を言い暮らし、ハリエットが障壁の向こうに行くことなど考えてもいない。嘲りに裏打ちされた安堵が彼らの手に在り、女の行く末よりも、最も美しいものを互いの記憶の中で犯し合うことに熱心だった。

楽しそうに、誰かを愛しているというような顔をして酔いしれている。


彼らが思い浮かべる女性が誰であるのか、ハリエットは思考を放棄して足掻き続けた。もし本当に、彼らがあの方の愛しているのなら、この手のなかで沈黙と絶念の板挟みになっている人は誰であるというのか。ハリエットの手を握り返す小さな指、上着の肩からは刺繍が羽のように広がり、唯一つの実在として頂に立つ人。

狂ったように退路をさがす女の前でただ一言も発しない哀しい静寂を、どうして救ってさしあげないのか。意味の無い問いかけが思考を埋め尽くして、水かさを増していく。


「最近は龍下と群民との距離が遠くなったというような声もありましたから、我々もどうあるべきか浅学ながら知恵を絞っていたのです。ですが龍下がこのような素晴らしい恩賜をくださるとは思いもよらぬことでした。恥じ入るばかりでございます」

「この娘がお話にあった症例の」

「…貴方、震えていませんか? 体調がお悪いのでしたら」

「いいえ。"おひらき"を拝見できると思うと、矢も楯もたまらずに」

「はぁなんと。龍下、この男の高ぶりようといったら可笑しいのです。この様子では、また御前が最初に"ひらかれた"日のお話をねだり始めるでしょうから、その前にどうかお始め下さいませ」

「なんととは私の言の葉です。これだから、貴方は本当にやな方だ。しかしそのおかげでお聞きしたかった事を思い出しました。龍下、最初の儀式でご使用なさった両刃の鋒を今もお持ちであるとか。さぞ特別な"おひらき"だったのでしょうね」

「ほらみなさい。始まりましたよ」


枝に並ぶ小鳥のような囀りが耳にこびりつく。気儘に笑う男達のひとりが、快活を残した目で龍下を見た。


「龍下、一つおねだりしても構いませんか?」


龍下はにこやかに頷く。男達の間に、男達だけしかわからぬ共通の情念があった。


「先程は、恩賜に耐え切れぬ無様なものでお目を汚してしまいました。にも関わらず、お心遣いのお品まで賜りまして心より御礼申し上げます。その御恩に報いる為に、我々に儀式のお手伝いをする許可をいただけないでしょうか。我々は今日という日のために、狂気の沙汰を射るような目を耐え、不可能性を覆すために研鑽を積んでまいったのです。私達を通り過ぎた死にようやく報いることができれば、それは何よりも良い手向けをなるでしょう。どうか我々に献じさせてください」


そうして一同を見渡した男に、どよめきがあがる。


「我々、と申しましたか」

「私達の手で儀式をおこなうと? しかしそれは龍下にのみ許された御役目では」

「厳密には異なる。聖典には(つがい)の御役目とある。(つがい)は居ない。まだ、居はしない」

「我々はいつでも果ててよい身でございます。しかし龍下はそうではございません。大切なお役目とは存じますが、だからこそ"おひらき"に苦労もあるのではないでしょうか。貴方様はこれまでずっと一人で我々を導いてくださった。このような短い儚い生き物に、知恵を授けてくださった。その愛に報いたいのです。こちらにお座りになり、私達が」


龍下が片手をあげた。男は望みの半ばで黙った。熱のこもった空気が跳ね返り、首を絞めるような息苦しさに襲われる。龍下の表情には何も乗っていなかったが、かえってそれが落胆に見えた。これ以上聞き耳を持つことができぬと、前を通り過ぎる龍下に男達は顔を伏せ、悲しみの表情を見せる。椅子の背に深く体を預けた龍下は、袖を床に垂らし、潤みがあらわれた目で男達を見つめた。


「模倣は、人の成長の始まりだという……なんと嬉しい申し出だろう。私もずっと今日という日を待ちわびていたように思う」






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