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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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141/420

141 終わりの始まりと、

大会の会議は、表向きは「聖典」および「エゲリア写本」の引照とされているが、大部分は教会主義の根本規約の修正のための討議にささげられる。


これまで教会の創立とともに、今日にいたるまでこの国へ影響せしめてきた規約の最終的な形は、必ず決議された文書に理術式署名をすることで締められる。


また教義の草案は第一回大会にて討議の結果、大幅な修正が施され、必要とされるものはおおよそ含まれた核心が形成された。全会一致で賛成するむねが言明され、いかなる教徒も教会主義を信奉することを明言した。

以降は、地域的特色として領地内に固着し始めた大衆感情をくみ取るべく、大会開催地を各領地に変更するなどしたが、生産や労働など多くの役割を果たす大衆は討議への参加は許されておらず、公表された社会秩序を出生証明として受け取ることだけが許されている。また、種族としてのゾアルは、これら教義にくわわっていない。


大会の会場となる白鳥館では、各領地の代表である数十名の特使が三晩に渡って討論を重ねていた。

後方に行くほど高くなる階段状の席では多くの白服が挙手している。制止を無視し、言葉を漏らす男たちを見定めて、最下段の議長はひとりの男の名を呼んだ。


「発言の許可をくださりありがとうございます。私は労働者に知育を施す学術院の設立が急務であると考えます」

「青少年および児童の労働の是非についてですが、彼らの健全な生育を妨げ、単なる道具に引き下げたのは両親の生活の困窮、計画性の無い出産、合意の無い妊娠などの、考えるだけにはとどまらない不幸によるものがほとんどです。自身を売り手に変え、幼い頃より労働しなければならない状況になり、たとえそれが奴隷所有されるようなものであっても、彼らは無知によって理解することさえできないのです」

「まずは現実というこの苦痛から子供たちを救ってやらねばならない」

「各地に就労院を作る試みは、一時的な間に合わせ策に過ぎないと結果が出ているではないか」

「速断に過ぎます。就労院は下層をすくいとるもの。問題は雇用主側にもあるし、各家庭の貧困にもある。上層からも同時に改革をしていかねばならない。しかしそれを反発する層が足かせとなっている」

「間に合わせ策、結構ではありませんか。これまで間に合わせることもできなかった命を留める事ができている。事実を見逃さないでください。教育は時間がかかるものですが、結果的に全体の水準をあげることができます。短期課題と長期課題は別に捉えて頂きたい」

「訊きたい。議長、挙手している。就労院と学術院はどのような違いがあるのか理解していない者がいるようだ。もう一度簡潔に説明をしていただけるか」

「ありがとうございます。手元の資料を再度」

「そもそも十歳以下の子供を労働者として使用することを禁じればいいのではないか。彼らに代わって権利を擁護することが成人たる我々がすべきことだろう」

「地盤が準備できていなければ、収入がなくなり立ち行かなくなる。我が子を奴隷にしたくて生む親などいない。禁じるなど簡単にいうものではない」

「む、確かに。議長、今の発言は取り消してくれ」

「成熟の上になら成り立つ案だろう。子供の権利を擁護することに関しては、こちらも同意見だ」

「個人的努力を払っているのは何も労働者側だけではない。雇用主の権利も擁護されるべきだ」


「この討議に基づいて、―――議長」

「静粛に! まだ発言者は言葉を終えていません。弁論は挙手をお願いします。発言者は続けてください」


ヴァンダール港湾を対岸にのぞむ小島で社会問題の討議がなされる一方で、隣接する司祭館では晩餐会の準備が精力的におこなわれていた。


崖の上に立つ大聖堂と回廊でつながる司祭館では、周囲の地形を取り込みながら造られた中庭を龍下の渡御のために改修したため、これまでとは異なる美しい表情を見せている。着飾る表とは別に建物の裏手は食材庫や厨房などの炊事場があり、行き交う修道女や助祭は小走りだ。時に怒号が飛び、慌てて食材庫に飛び込む姿もある。戦場もかくやと思われる光景が広がっている。


一節の間、間違いの許されない緊張を強いられていた彼ら彼女らは明日の晩餐会でようやく解放されることとなる。客人にヴァンダールの伝統を細微に味わってもらえるよう、料理や漆器にいたるまでこだわり、盛りつけは目でも楽しめるように工夫した。既にヴァンダール大主教からは激励と労いの言葉を送られ、今大会での成果の一つは各料理人の腕前の向上であるという嬉しい言葉も頂戴していた。準備には相当の苦労もあったが、あと二日で終わると思うと体全体が気持ちのいい疲労感に包まれる。


料理長はまな板の前に立ち、鮮魚の頭を掴んだ。

水揚げされたばかりで、水面のきらめきを留めたような美しさが惜しげもなく披露されている。尾から頭に向かって刃先を何度も滑らせ鱗を取り除いていると、木を殴打する鈍い音が聞こえてきた。

全員が手を止めて採光用の高窓を見上げる。音は日差しとともに降り注いでいる。木槌がとめどなく台座を叩き、全員が今日まで何度も聴いたその音色を味わうように胸に留めた。


「今、最終討論が終わりました! 終わりました!」


駆けこんできた助祭が、戸口でそれだけを言って去っていった。足音が少し声が遠くなったと思えば、同じ文言が繰り返されるのが漏れ聞こえる。


「料理長」


向かいで魚を捌いている弟子が、力強く頷いた。

刃物を握る手にもう一度力を込める。


「さぁ、白鳥館から空腹のお客人が雪崩れ込んでくるぞ。談話室に食前酒の手配を」

「はい! 行ってまいります」


給仕服をきた背の高い男が丁度戸口に現れ、女中の荷物を受け取る。一瞬交わされる微笑みが優雅だ。


「さぁ、手早く、美味しく、怪我無く、いつも通り美しくいこう」


一拍を見事に響かせ、清々しく張る声に全員が応える。

終わりの始まりが、美しく幕を開けた。






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