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123/413

123 男の瞳と、

「悲運を契機と成して、立ち上がったヴァンダールを誇りに思います。この街は病を追い込み、封じ込めることに成功した。忌避され、閉ざされた都市の中で連携を取り続けた貴方方は、その時"ヴァンダール"という一つの意識を生み出した。それは崇高な目標への共鳴であったといえるでしょう」


そうだ。歴史を蹂躙する不幸を一心に引き受けたこの街を私は誇りに思う。当時の人々が味わった苦しみは、いくら言葉を尽くしても言い足りることなど無い。人々が立ち上がったという事実が後世を生きる私達に確かな強さを与えてくれる。

一方で、病は消滅したわけではなく、安堵する私達をあざ笑いながら次に襲い掛かる時期を選定しているに過ぎない。病は私達の心に恐怖心という刻印を施していった。それらから逃れる為に、恐怖を儀式に転位させ、弱さを他者に押し付けることで地平の転変を図った。それもまた事実だ。それが、なんだというのだ。


「神父様………恐れはなくなりません。怖くて、怖くて、近寄りたくないのです。死にたく、ないのです。明日を奪われてしまうくらいなら、先に奪ってしまうほうがいい。それは罪でしょう。罪でしょうが、勝ち取ったならば遺った方が正義となるのではないですか」


何を言っているのか自分でもわからなかった。思考は音を立てて組み上がり、自分すら知らない顔を覗かせる。神父はやおらに目尻で笑った。おびやかすというよりは、幼子を愛するように目でさらさらと撫でる。


頬をとられ、喉をさらすクリスティアナは男の長い髪を肩に受けながら「面白く…ありませんか?」と訊ねた。

神父は「いいえ、心を打たれました」と答えて、吐息を唇に差し入れる。暗い路地に風はなく、じりじりと焼けるような沈黙が服の中に入り込む。それぞれが所有する男と女の境目が足元にあった。


「貴方は私をどこへも連れて行かない。それが分かって嬉しいのです」


言葉がクリスティアナの頭の中に渦巻いた。言いさして、ふと口をつぐむ。いまだ核心を避ける男に苛立つ気持ちと、それに値しないことへの自責と、まだ男の良心を疑いもしない気持ちが、自身の中で閃き合った。


「貴方は本当に臆病ですね。ふりかかる危険を想像し、先手を打って攻撃することで乱れる感情を誤魔化している。自分たちの行いが正しく道理にかなっているとも考えている。他者の命を平気で奪いながら、平和への犠牲と恥ずかしげもなく言う。間違った認識を強化することで、主観的な妥当性を揺るがされないように必死に努力している。クリスティアナ、なんて醜く、正直な心でしょう。私もです。ゾアルの生死に興味のない私もまた、集団の凝集性から逃れようとは思わない。私と貴方は社会的に同じ基盤の上に属している。けれど公言しない心の裡は正反対です。だから貴方は私をどこにも連れ出さない。同じ穴の底で空を見上げているだけなのです」


ずけずけとした隙の無い論鋒はクリスティアナを好き勝手に引き裂く。しかしその舌鋒の鋭さが、なめらかな女の肌をさらし、刹那澄み渡る女の本心を描き出した。クリスティアナの心は男の前に裸身をさらした。波が目の前までやってきて、背を返していく。目の前の男を手に入れることはできない。男の瞳を見つめる。凝縮された海がクリスティアナを見つめ返していた。


「……貴方の特別なお方は、貴方を連れていってしまったのね」

「そう思います」

「………もしもお戻りになっても、私に見せにいらっしゃらないでくださいね」


神父はきょとんとして、「どうして」と目を転がすのでクリスティアナは気の抜けた顔をした。例え演技でも構わなかったが、男は本心から疑問に思っているようだった。それに心からの喜びを感じた。


(ここまで男を縛り付けて離さない女のことなんて、誰が知りたいと思うのかしら……)


クリスティアナはやさしい挫折を感じながら男に別れを告げた。男は華のある男だったが、その手に大事に抱いているのはすがれた花束なのだから。







「三番隊目の到着~~!」

「各班点呼ののち、代表は管理棟前まで報告にきてくれ」

「ようこそヴァンダールへ!」


北門をくぐり、馬がようやく足を止めた。いななきを背に、ディオスは歩き通しで張ったふくらはぎを揉みながら石畳の上で靴先を引いた。ざり、と砂を引きずる音がする。石畳の隙間を埋める細かい砂が日差しにあたって白く煌めいていた。


砂、煉瓦造りの家屋、微かに混じる潮の匂い。海街ならではの光景を探してディオスはしばしば街並みを眺めた。といっても目の前にあるのは壁の如く聳え立つ管理棟であり、日差しも相まって、蒸し暑い晩に見る夢を見ているような感覚があった。建物の上に覗く空の一角は、棚引く雲をゆっくりと流している。


点呼に短く答えると、何人かが管理棟に駆けていく。あちこちでは旅路を労う声と、愛馬を労う声、ヴァンダールの同胞と挨拶をする声で溢れている。管理棟の壁には格子の窓がついていて、丁度ディオスの顔の高さにあった。壁向こうの道が木陰づたいに見えたが、薄暗く、苔むした石材が二つ三つ横たわっている。


「ディオスさん! 医疾部のディオスさんいらっしゃいますでしょうか」

ディオスは手を上げて切り出した。「ここに!」






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