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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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120/413

120 欲深い男と、

目鼻立ちの整った顔立ちに穏やかな笑みが乗る。この男の性質が悪い所は自分の顔の良さを自覚しているところにある。

クリスティアナは長身痩躯の男の隣を歩きながら針の筵の気分を味わっていた。対して神父は、汀を離れた船のように既に多くの視線を得ていた。廊下を歩く姿でさえ妙にさまになる。姿勢の良さや、艶のある髪も、彼の華やかさを引き立てるのだろう。歓待の支度に走り回る男女はすれ違いざまに会釈をしたし、角灯に火を入れてまわる男は制帽を脱いで挨拶をした。


とりわけ面白かったのは、激しい口調で指示を飛ばす年配の女性が、神父を見た途端に堅い表情を崩して笑いかけた時だ。蝶の羽ばたきを真似るように指先を上下させ、何らかの合図を送るさまは、良人がいるようには思えない幼稚な遊戯だ。見てはいけないものを視た。得も言われぬ居心地の悪さがあったが、女の目には神父しか映っていないのだから気にすることはないのだろう。いや、もしかすると次に会った時に「あなた見ていたでしょう。馬鹿にして」などと言いがかりをつけられるかも知れない。それはかなり、とても、大いにご容赦願いたい。


女たちは神父を眺める時だけ職位を脱ぎ捨て、女の代表になったような顔をする。クリスティアナでさえ、そうした奇妙な光景を感じ取ることができるのだから、直視する神父も気がついていないわけがない。眩く思っているのか、醜く思っているのか確かめて見たくなって頭二つぶん見上げる。長い髪に遮られ、瞳を窺い知ることはできない。彼は背が高く、クリスティアナは首を相当曲げなければならなかった。


今度は艶のある声が彼を呼んだ。お姉さま方に手招かれた男は愛想のよい顔を浮かべたまま、微笑のみで応える。(あ、行くわけじゃないんだわ……)と妙に分析していたクリスティアナだったが、矢面に立たされただけかも知れないと気づくと、色恋など関係なく男の隣を歩いているのだという顔をしなくてはならなかった。きりりと渾身のすまし顔。もしも神父の腕に頬を擦りつけ、胸板に手を乗せようものなら、明日から壮絶な"いびり"が始まってしまう。それもまた、かなり、とても、大いにご容赦願いたい。


「難しい顔をさせてしまいましたね。何をお考えですか?」

「蝶の真似をするあひるについて考えていました……そんな事を言っては神様は怒るかしら」


神父はくすりと笑って首を振った。彼はまだ二本目の巻煙草を吸っていない。気を遣われていると思うと複雑な心境になる。嬉しいから困るのだ。


「至上者のお気持ちを代弁することはできませんが、もしお怒りであればなだめて差し上げればいいのです」


クリスティアナは瞬いた。神をなだめる儀式は各地に存在するが、癇癪を起こした子供のように神を語る言葉に、"軽蔑"が含まれていると感じたのだ。それをこの場で口にしたことに多くの意味があった。

神父は表情から言わんとしていることを察したらしい。心の底からの笑みを口元に浮かべ、節くれ立った指を立てた。男の人の指だった。色気と一体になったような指の向こうで、しなる唇がみえる。


「捧げ物をすればいいのです。一つ我慢をなさい。いつもしている事、ほんの些細な事で構いません」


――我慢。物思いに耽るクリスティアナと神父は木戸をくぐり、管理棟の脇に通じる薄暗い路地に出た。

外に何の用もないクリスティアナは扉の前で足を止める。


「さよならを言おうと思って」


神父はまた「そうですか」と言った。この言葉の味気無さを、魅力的とも思う者もいれば、脅かされた気になっておろおろする者もいる。クリスティアナはどちらでもない。

帽子を被った男の背中が消えると路地裏は人通りが途切れ、孤絶した雰囲気があった。明るい日差しは届かず、中庭の喧騒も聞こえない。角を曲がった先は石段になっている。クリスティアナは足元の小石をつまんで石段に投げ込んだ。からんからんと音が駆け下りていく。その音はあたりに大きく反響して、途切れた時には風がはたと止んだ。

クリスティアナは神父の顔を見ずにこう言った。


「あの方は龍下の馬車に同乗しておいでです」


それから一息に続ける、


「道中は理力なしの無名部隊が護衛につき、専用の馬車と身の回りの世話をする修道女がひとり。フラーケ教会のハリエットという女です。御姿を見た者がいうには、白い衣に身を包み、顔は面紗で覆われ、話しかけても答えず、人形のようだったと。そのことから理力による精神操作を受けている可能性が高いと思われます。宿泊地は執行部により厳重に警備されており、下女や雑役夫にいたるまで徹底的に検分されていたため潜入は控えました。邸の警備に比べ、道中での薄い警護は、我々をおびき寄せる為かと存じます」


編隊をなす鳥の群れが、頭上を横切っていく。神父は胸元を探ると、煙草入れから一本抜き取った。それが音だけでわかる。


「龍下の馬車は北門を通過したのち、真っ直ぐに大主教の元に向かわれます。宿泊は大聖堂の南側、側部身廊の奥、尖塔の最上階」






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