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101 一歩と月光と、

ハリエットは心機一転元気を出してがんばろうとしていた。

誰かの視界に入らぬように身を隠していると、そうしなければならない反面、自分が嫌になって気分が影響されてしまうことはめずらしくなかった。自分自身を受け入れることができないのだから、「自己」という定義の根本は永らく欠けたままだった。


けれど今、ハリエットは自らの足で白服の集団に近寄っていく。夕食前の狩りに向かう彼らとはしばしば顔を合わせるようになったのは、治癒術が使える修道女として彼らを補佐する教務を任されてからだ。流されるままに付与された「御白さまのお世話」という目的のほかに、「治癒者」という要請がハリエットを集団という外部環境に押し上げた。それはディオスが懸念しているように、末端の女が宿すには過剰な諸資源を有用に取り入れようと利用されている、といえるのかも知れない。それでも振り返れば苦しみしかなかった人生で、初めての報酬だった。こんなにも甘く、命という対価があってもなお、強烈な原動力になってくれるものをハリエットは味わったことがなかった。


何か一か所に向かって背中を見せる白服の一団に「なんの騒ぎですか」と声をかけたのがハリエットだったとしても誰も驚いたりしない。フラーケ教会の者が見たら、自分は正気を失ってしまったのかと思うだろう。それでもここにはハリエットのことを「治癒者」として見ている者しかいない。


輪の外にいた何人かが振り返り、次々と人の壁が割れる。彼らはハリエットや、隣にいたディオスを見て中央へ続く場所を作った。怪我人かと怖い顔をしているディオスは大股で肩をかき分けていく。


「あ、ディオスさん! 見て下さいよ、これ俺たち詠者が見つけたんですよ!」


最奥でかがんでいた少年が人懐っこい顔を見せながら手招いた。

膝を乗せている岩をぺちぺちと叩きながら嬉しそうだ。乾いた音を立てる岩には大きな亀裂の入っているように見えたが、亀裂はざらついた表面とは質が異なる武骨さがあり、矢じりのように尖った長細い何かだとわかった。別の石が岩と同化しているのだ。


少年はにやりと笑って角灯を持つ手をずらすと、黒い石に近づけた。華々しい反射が美しい光沢をつくりあげてディオスの瞳に差しこんだ。粗い表面に光が当たると青く変質し、少年の手の動きに合わせて吸い込まれるような漆黒が顔色を変えていく。


「立派な輝銀鉱だ……全体は割ってみなきゃわからないけど、表面の感じだと中にも複数塊がありそうだ……いくつか赤い斑点があるがこれはまた別の鉱物だ。経年でここまでの赤みは消えていくんだが、これは留めている」

「さすが研究職。詳しいと思った!」

「なんでお前が得意気なんだよ……」

「こんないーもの見つけたんだから機嫌も良くなるだろぉ、へへ」


ディオスの言葉が伝言のように広がると、そこかしこから感嘆があがった。

少年のそばにいた詠者たちは満足げに手を合わせて讃えあう。「俺だよ! 俺が見つけたの!」少年の叫びに「俺たち、だろ」と声が返る。賑やかな笑い声を枕にディオスは角度を変えて鉱物に顔を近づける。この鉱物はほとんどが共生するが、同じ赤色銀鉱と共生することはあまりない。稀少であるといえる。


(医疾部で買い上げたいところだが……でもまぁ)


今にも石に接吻しそうな声をきけば、つられて笑んでしまった。


「でも運が良い。この辺りでは鉱物の発見報告は少ないんですよ。地表に露出している場所の多くは禁足地だから……それで、これはどちらで?」

「それがね兎のお兄さん! 湿地、湿地なんですよ。この人たち俺より年上なのに湿地なんかに魚がいやしないなんて言うからさ、湿地は川魚が産卵にくるし、海魚だってでかくなるまでは湿地で育つんだって、すごいんだって教えてやろうと思って。それで泥の中で踏んじゃって」

「踏んだ? 足の裏は?」

「怪我? してない、してない」

「全員?」


詠者の男たちはその場で足踏みをして見せた。嘘をついているようには見えず、痛みをこらえてはいないようだった。ディオスは胸を撫で下ろす。その後、湿地に入ったのだろう裾をまくったままの男たちの顔を見た。


「みなさん知らないなんてわざと言ったのでしょうが、彼の言うことは本当です。湿地は稚魚にとって重要な役割を果たしていますので魚も虫も微生物もいます」

「ほらなァ! 言ったろ?………びせいぶつ?」

「そう。簡単に言うと、湿地は大地を綺麗にしてくれる場所なんだ。ここは河川につながっているし、周りはこんな感じで手つかずだから良いが、もう少し街に近づけば自然の水質浄化作用を利用して作られた人工の湿地がある。牧畜や酪農の排水に使用している事が多い。畜産場の屎尿や汚水も直接排水される。そうすることで大地にゆっくり浄化をしてもらうんだ。維持費の極めて少ない施設だろう? 厩舎のそばに湿地があるのを見たことがないか? あるだろ。アクエレイルの郊外にも湿地を活用している畜産場がある。だからなるべく湿地に入る前に、立地は確かめるようにしてほしいということ。今回みたいに石を見つけられたのは嬉しい。でもお願いします、みなさん」

「うん。わかった。えー、なぁ? そう言われるとさ……みんな、足洗いにいかねぇ?」

「行く」と何人かの声が重なる。「足と言わず全身洗いましょう」と付け足す者もいた。

「行こう行こう! あっ、この石は詠者が見つけたんだからな! なっ! 詠者だぞ! 今ポーレさん呼んでもらってるところだから! 来たら絶対ポーレさんに言ってくれよ!」


周囲から「わかったから行け」と手で払われながら少年を最後尾に水場の方に走っていく。入れ替わるように反対側から壮年の男性がやってきた。


「鉱石が発見されたと聞いたが」

「ポーレ長司祭!」







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