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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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10 またとない機会と、

シャルルが目覚めた時、壁の大時計を見るとちょうど八時だった。


瞼は重くなく、目覚めはすっきりとしている。緩めた襟元を整えていると、リーリートがもぞもぞと動いた。寝返りを打とうとしたので、自由になった尾を移動させる。鱗が彼女を傷つけないように注意を払う。もしもそんな事があればシャルルは尾を切って捨てる。

仰向けになったリーリートはぼんやりと瞼を開けたが、顔半分を覆う厚い手に誘われ暗闇に再度落ちていった。


日差しを浴びている植物とは違い、長椅子は日陰になっていて寝心地が良い。天井の日除けを作動させてくれていた彼は植物に水やりをしている。


アルルノフは毎朝決まった時間に出勤し、午前中は研究室全体の植物の世話をしている。

この研究室では新しい理力術の開発が主な研究だが、体内の理力を使用する治癒術とは別に一般的な飲み薬や塗布薬などの開発、改良もおこなっている為、この世に存在する治療の全般が研究対象だ。


新しい術や薬の開発に使用するために国内外の多種多様な植物が室内で育てられているが、管理を任されているのはアルルノフひとりだ。日照や水やりは理力によって調整され、人の手が入るのは定期的な状態観察のみだが物言わぬ植物の世話は時間も労力もかかる。葉をつまんで丁寧に色や張りを確かめていく姿は、最初とは違って迷いが無い。一株、また一株と調べ、巻紙に状態を記録していく。彼は真面目で几帳面な性格ゆえに、反復作業に強く、不満を口にしたことはなかった。


「アル、少しいいか。教授から伝言があったんだ」


彼は樹葉をかき分ける手を止めて数歩近づいてくる。底の厚い編上靴に土がついているのが見えた。


「後ろの棚の三段目、青い紐が巻かれた封蝋付きの巻紙があるんだが、本日中に宛先の場所に届けて欲しい。今回も配達人に任せず君が直接届けてほしいと言っていたよ」

「承りました。今のうちに宛先を確認しても宜しいでしょうか」

「勿論」


巻紙を収納する為の奥行きのある棚の前に立ったアルルノフが三段目から青い紐の巻き付いた巻紙を引き抜いた。

紐には宛先を記した紙片が結ばれている。アルルノフは紙をめくり宛先を確認すると、振り返った。


「聖レイル病院に一通、聖教会に二通ですね。どちらも司教座ですので現在の業務が終わり次第対応します。シャルルさん、赤い紐でくくられた巻紙が入っていますが私の名前が書かれているのは何故ですか」

棚に残った四つ目の巻紙を持ち上げて見せる。

「君宛てだからじゃないか?」


わざと遠回りする回答をすると彼は表情を変えずに瞬きをしたが、目は戸惑っていた。

シャルルはアルルノフが固まる姿から膝の上に視線をうつすと数時間前の事を思い返していた。


死を選んだ神が大地とひとつとなったあと―――生まれる「にんげん」は神の力を宿していた。

それが【理力】と呼ばれる力だ。


個々の内部に宿っている理力は物に移すことができるのだが、時間と共に霧散するため留める事は難しい。術者の理力量や、質によって左右されるため、体内から外部に理力を移動させることができない者もいる。

足の速いものがいれば、遅いものもいる。料理がうまいものもいれば、どうしようもなく下手なものもいる。理力も然り。


病院と教会宛ての巻紙の中身は最後の呪文が欠けた術式で、そこにはリーリートの理力が込められている。発動者が欠けた術式を補った瞬間に、リーリートの理力が効果を発揮する。彼女の理力は霧散することがないため、使用者が誰で、どこにいるかも関係なく、永続的に治癒術を発動することができる。

この世に存在する【目で捉えることのできる奇跡】といえる品物だ。

リーリートの理力に頼っているため量産には限度がある。宛先が病院と聖教会なのも、アルルノフに届けさせるのもその為だ。


その教授がしたためたもう一つの巻紙。宛先となった青年は「どうして」と擦れた声を絞り出した。

巻紙に視線を落としたまま独り言のようにつぶやく。

「これは私の研究です。昨夜の時点では未完成でした………確かにこれは」

打開策に成りえます、と口元は動いたが音はない。


「シャルルさんは中身を」

「知らないよ」


話はそれで区切りだった。しかし彼は呆然としたまま固まっている。質問したいことがあるのだろうなとシャルルは察する。

彼は一瞬目を伏せた。躊躇いがある、けれど訊いてくるはずだ。


「……お聞きしたい事があります」


質問の内容さえ察しながらシャルルは「どうぞ」と先を促した。

彼はまず感謝を述べた。


「昨夜、私が退勤を申告した後の事について質問をさせてください。教授もシャルルさんも連続業務時間が四十五時間経過していたため、切り上げて帰宅すると仰いました。間違いありませんか」

「正しい記憶だ。君の言葉通り、私達は帰り支度をして部屋を出た。リーリートの集中は切れていたから気分転換にもなるからたまには家に帰ろうといったら、彼女は同意した」


頷かせた部分は大いにあったが、たまには長椅子でなくて柔らかい敷布で眠りたいだろうと白い頬を撫でると、彼女は「君がいるならどこでもいいさ」と穏やかに笑った。

シャルルはふと数時間前のやりとりを思い出して目を細めた。

それに自分の口調が教授に少し似ていることも気づいて笑った。そして目の前の彼とも似ている。だから説明が過剰だ。長く共に過ごしてくると性格も似てくるのかも知れない。シャルルにはそれが面白く、逆に昨夜の事に無関係なアルルノフが酷く焦って言葉を待っていることにも気づいていた。


「廊下を歩いていたらリーリートが立ち止まった。こうして―――」

彼女の思考する時の癖を真似ながら

「花の名前を口にした。詳細は訊くな。追及される前に言うが、私は学が無い」


謙遜だなとアルルノフは思った。彼は教授の話を理解し、咀嚼し、時折助言もおこなっている。彼を無学というなら、多くの者がそれ以下となるはずだ。

しかし彼の肩書や学歴も理解し、学院の卒業生ではないことは知っていたのでアルルノフは肯定も否定もしないまま流した。


「貴方の業務範囲については理解しています。詳細は教授が目覚めたあとに確認します。よろしければ話の続きをお願いします。花の名前を口にしたあと、業務を続行されたのですか?」

「あぁ。リーリートの脳は既に膨大な出力を具現化しようと回転していた。あとで聞いたが、ここ数日の行き詰まりを吹き飛ばす閃きがおりてきたと言っていた」


アルルノフは「行き詰まり」と音もなく呟いた。

部下として日々教授のそばにいるアルルノフはあらゆる業務の補助をし、教授の研究と並行して派生する研究を担当している。その中に「行き詰まり」があったとは思えない。


教授――リーリート・ロラインは新薬や新しい理力を次々に開発し、多くの人々をあらゆる宿痾から救っている。司教座で国を動かしている教会の者たちですら彼女に敬意をもって接し、研究所から引き抜こうと必死になっているくらいだ。途方もなく遠い先を歩き、人々を導くような人が。行き詰まりなんて言葉は極めて縁遠いところにいるはずだ。アルルノフは腑に落ちない気持ちを抱いた。


「ではその行き詰まりは解消され、この四つの巻紙に綴る成果をあげられたと」

「それを書き記していたのは確かに四十五時間以降のことだ」

「……私は業務中に閃きという突発的な着想を得たことは余りありません。そのため教授に起きた事象について理解することはできません」


アルルノフはなおも言葉を重ねた。


「閃き――言い換えれば業務の進捗させる導きを得ることができたとして、そのように精根尽き果てて倒れるような代償を払うことはあってはならない事だと私は思います。教授の研究は国の支柱となり得ますが、お一人が柱となる必要はなく、国を支えるのは国民すべてであるべきです」

「否定はしない。業務時間に関しては私も危機感はある」

「では教授の生活改善について話す時間をいただけますでしょうか」

「…今?」

「直ぐに」


彼は耳飾りに触れると、指先に反応して小さな宝玉が光った。理力の発動の合図だった。






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