作り物の僕と君
2024年の初め、日本はコロナウィルスの完全消滅を発表した。
外出するたびに付けていたマスクも見ることが少なくなり、お店の入り口にあるような消毒液や検温器も数を減らしていった。
コロナが消滅してから6年が経った2030年頃には、教科書にコロナウィルスが掲載されるようになり、恐竜や武士などのように歴史上の出来事として捉えられるようになった。
そんな時代で私は最寄りのスーパーへと向かっている。
スーパーの入り口を通る際、時代遅れの消毒液が目に入る。
「…今日も巻いてある」
消毒液には赤いマフラーがいつも巻いてあった。
私が制服に着替えて更衣室から出ると、店長と目が合った。
「小林さん、お疲れ様。もう、バイトには慣れた?」
「はい、先輩方が優しく教えてくださるので」
「それはよかった。バイトなんて大学生になってからやればいいのに」
「早めに経験しておきたかったので」
大きなくまさんのような店長は、目の下にある3つのホクロがトレードマークだ。
店長はバイトに入りたての私を気遣ってよく話しかけてくれていた。
「ところで店長、あの入り口の赤いマフラーが巻かれた消毒液は何のために置いてあるんでしょうか。今時使う人も少なそうですが…」
「あれは代わりに置いているんだ。前にあの場所にいた検温器の」
「検温器ですか?」
「そう、ちょうど7年前の冬頃、当時大学生の少年が大切にしていた検温器さ」
2023年11月、僕は赤いマフラーを首に巻いてバイト先のスーパーへと向かった。
スーパーの入り口を通りかかった辺りで一度、検温器に顔を近づける。
「体温は正常デス。…連さん」
俺はびっくりして店内に向かっていた体が固まってしまう。
「…今、僕の名前を呼んだ?」
「はい。連さんであっていますカ?」
「合ってはいるけど…」
「私はあなたに質問があります。人間になるにはどうすればいいのですカ?」
「…はい?」
僕が検温器に話しかけている様子を周りのお客さんが変なものを見るように通り過ぎていく。
「と、とにかく今はバイトに行かないといけないんだ。話ならバイトの後にしてくれ」
僕は囁くように言ってから、逃げるように男子更衣室へと向かった。
「何だったんだ?あれ…」
バイト中、先ほどの出来事が理解できず、バイトに集中することができなかった。
バイト終わりの夜中、店内にはお客さんがいなくなり、人目がなくなっていた。
僕は赤いマフラーをしっかりと首に巻いてから検温器がある入り口へと恐る恐る向かった。
「あ、あのぉ…」
「お待ちしておりました。連さん」
「…それで、人間になりたいとはどうゆうこと?君は何が目的なの?」
「私は、国がコロナ対策として全国の店舗にAI検温器を配布してから約2年間、このスーパーのAI検温器として働いています。その中でお客様の様子を観察、学習し、言語が自由に話せるようになりました。しかし、雪が降ったある日、2人のお客様が今日の雪は特別綺麗だとお話しているのを私は見かけました。その時、私はそうとは思いませんでした。いえ、正しくは思えませんでした。私は人間が作ったAIなので‘‘感情‘‘というものが備わっていないのデス。それでも私は人間が持つという様々な感情を感じてみたいと思ったのデス」
「それなら、僕じゃなくてもそのお客さんに話しかけてみればよかったじゃないか」
「いえ、連さんじゃないとダメなんデス」
「……」
僕はAIに知識を与えるのは良くないと思ったが、好奇心には勝てなかった。
「いいよ。僕が人間の感情を教えてあげる」
「本当ですカ、ありがとうございます」
「でも、今日はもう夜中だし、そろそろ店長が見回りに来るかもしれない。明日のバイト終わりまでにいい案を考えておくよ」
そういって、僕は冷える夜道を通って家へと帰った。
僕は家に帰ってからもAIに頼みごとをされたことに実感が湧かなかった。
次の日の午後、僕は数人の友人と一緒にコンビニ前で集まっていた。
「なぁ、連。コンビニ行くからお金貸してくれないか?」
「あ、あぁいいよ…」
半ば強制のようなお願いに僕はあっさりとお財布からお札を取り出す。
「いつも助かるよ」
友人たちはコンビニへと向かう。
僕は軽くなったお財布の中身を覗いた。
その日の夜中、店内には店長しか残っていないのを確認してから僕は検温器のところまで急いだ。
「ごめん、遅くなったね」
「大丈夫デス。何かいい案は浮かびましたカ?」
「うん、映像を撮ってみるのはどう?」
「映像ですカ…?」
「そう、自分が好きな瞬間、好きなものを自由に映像として残すんだよ」
「それをすれば、人間の感情を知ることができるのでしょうカ」
「少なからず、僕達人間は自分がいいと思ったことを忘れないように映像として撮ることをしてるよ。まずは人間のしていることを真似てみるのがいいんじゃないかな?」
「そうですね、やってみます」
僕は、検温器が元から持っているカメラに保存場所を作るため、メモリーカードを差し込んだ。
「…よし、これで映像が保存できるようになったはずだよ」
「ありがとうございます。ですが、私が撮った映像が人間らしいものかなんてどうやって判断したらいいんでしょうカ」
「それは、僕がバイト終わりの時間に確認をしてあげる」
「ありがとうございます。ですが、忙しくはないのですカ?」
「大丈夫だよ。やると言った限りは最後までやるさ」
僕は店長に見つからないようにコソコソとスーパーを出た。
次の日、僕はバイト先に向かいながらワクワクしていた。
バイトがではなく、検温器が撮ってくる映像が楽しみで仕方がなかった。
「どんなものを撮ってくるんだろう」
AIの好きなものが想像できず、あれこれ考えながらスーパーへと向かった。
バイト後、検温器が撮ってきた映像をパソコンで確認すると、映像にはお店の入り口に重ねられている大量の買い物カゴが映っていた。
「…えっと、これは何?」
「カゴです」
「うん、それは分かるけど…なんでカゴを撮ったの?」
「人間が撮るものはこんな感じの映像ではないのですカ?」
「違うよ」
僕が思っていたより検温器は人間を勘違いしているようだった。
「なんか他にもっとなかったの?例えば、重い荷物を持っているおばあちゃんを助ける若者とかさぁ」
「…探してみます」
僕はメモリーカードを検温器に戻してからスーパーを出た。
帰り際、少しきつく言い過ぎたかなと反省した。
2週間後、僕はいつものように検温器の映像を確認していた。
ほぼ毎日のようにやっている検温器の映像確認はバイト後の日課のようになってきているのだが、映像は
一歩も進展していなかった。
「やっぱり私は人間のようにはなれないのでしょうカ…」
「どうだろうね。何かこの人のような人間になりたいっていう目標があればやりやすくなったりするのかな?」
「この人のようなですカ……私は連さんみたいな人間になりたいデス」
「ぼく?」
「はい、前に私は連さんがこのスーパーにお友達方と来ているのを見かけました。その日、連さんは買い物の後、友人方の分の荷物も持ち、とてもにこやかにスーパーを出ていきました。私はその様子を見て、人助けをして楽しそうな連さんはとても人間らしいのだと思ったのデス」
「……」
「なので私は、人間らしい連さんに教えてほしかったのデス」
「…だからあの時、僕に声をかけたの?」
「はい、そうデス」
「……」
僕はとても顔を上げられなかった。あれを人間らしい姿だと言ってはいけないような気がした。
「…それじゃ、僕は人間らしくないってことだ」
「どうゆうことですカ?」
「……あれは本当の僕じゃない。周りに嫌われて一人になるのが嫌で、誰もが好きでいてくれるような人になるために作った偽物の僕だ。…だから、僕は人間らしくなんかない」
僕は目線を上げられずに座り込む。
「では、本当の連さんはどんな人間なんですカ?」
「…え?」
「私が知っている連さんは、教えるのが少し下手で感情的になりやすい部分はありますが、面倒見のいい人間デス。けれど、それが作り物だとすると、本当の連さんはどのような人なんでしょうカ。」
「…本当の僕を見せてしまったら、君は僕のことを嫌いになるかもしれない」
「なりません。私は連さんを知りたいのデス」
僕は少しだけ目線が上がるような気がした。
「……僕は、友達の前ではテンションを高くしているけど、本当はすごく落ち込みやすくて、自分が知っていることとか真剣にやってきたものだとかには意地っ張りになっちゃったりするんだ」
僕は上がってきた目線をまた徐々に下に移動させてしまう。
顔の周りが熱く感じた。
きっと今、僕の顔はこのマフラーのように真っ赤になっているのだろう。
自分のことについて話すのがこんなにも恥ずかしいことなんだと初めて知った。
「良かったデス」
「な、なにが…?」
「些かも私が知っている連さんに変わりがありませんでしたから」
「……」
『些かも変わりがない』僕はその言葉に胸辺りがとても暖かく感じた。
その日から、僕は検温器のことを『アイ』と呼ぶようになった。
AIの読み方を変えただけだったが、アイはとても気に入ってくれた様子だった。
それからアイはクリスマスイブあたりから撮ってくる映像がとてもよくなってきた。
自動ドア越しに見える風景やおばあちゃんと孫らしき子供が手を繋いで店内に入っていく様子などが映像
に映っていた。
さらに、映像からアイの好きなものも見えてくるようになっていた。
アイが撮ってくる映像の多くは子供が映っており、小さな子供の様子を見るのが好きなのかなと思った。
しかし、僕がアイを理解し始めてきた頃、テレビで思いもしない発表が起こった。
全国でコロナウィルスの完全消滅が発表されたのだ。
それにより、全国のスーパーを含む店舗に配布していたAI検温器を国が回収すると言うことだった。
僕はアイにもう会えないかもしれないと思った途端、自分がアイに好意を寄せていたことに気が付いた。
僕は急いで雪道を自転車で進み、バイト先のスーパーへと向かった。
スーパーの入り口にはいつも通りアイがおり、首元には赤いマフラーを巻いていた。
「おはようございます。今日は寒いですね。連さんがクリスマスイブにくれたマフラーがなんだか温かく感じます」
「あぁそれは良かったよ。…な、なぁアイ」
「なんでしょうカ?」
「……」
僕はこの先を言おうか迷った。
アイは自分が回収されることを知ってしまったら、人間の感情を知るどころではなくなってしまうだろう。
そしたら、アイの目標は達成されなくなってしまう。
それなら、言わないほうがアイのためになるのではないかと思った。
「連さん、何か言いたげですね」
「…分かるのか?」
「ええ、それはもう」
「……」
「最近は検温をしても体温が高い人は少ないデス。それはつまり、コロナウィルスの影響が弱まっていることになります。コロナウィルスの影響がなくなれば、検温器はいらなくなる。そうなるのは必然的な事です」
「アイはそれでいいのか?僕がこのスーパーから持ち出してやれば…」
「それはダメデス。監視カメラがありますし、私は国の物ですから大事にもなります。それにもう私の目標は達成されましたから…」
「…え?」
「回収がいつになるか分かりませんので、今のうちに私のメモリーカードを取っておいてください。気づかれたら大変なことになりますし、それに連さんに持っておいてほしいのデス」
僕はアイの背中に指してあるメモリカードを抜き出す。
「さぁ、そろそろ業者さんが来るかもしれません。いきなり電源が落ちる瞬間はみっともないと思うので、あまり見られたくありません。これでお別れデス」
「……アイ、僕は、君が…いや、やっぱりなんでもない」
僕が諦めて帰ろうとしたとき、背後から優しい声がする。
「私は未だに人間の感情を全て理解することはできません。ですが、連さんと話をした日々はとても楽しいものでした。連さん、ありがとうございました。さようなら」
「アイ、‘‘さようなら‘‘は悲しいよ…。‘‘またね‘‘にしよう?そうすれば、また会えるかもしれない…」
「そうですね。では、またね」
「うん、またね…」
僕は振り返らずにスーパーを出た。
アイに泣き顔を見られたくはなかった。
次の日の夕方、スーパーに向かうと入り口にいたアイの姿はなく、落とし物置き場にアイが大切にしていた赤いマフラーが置いてあった。
「それから少年は、アイの代わりとして消毒液に赤いマフラーを巻いているんだ。頭の片隅で、また会えるとでも思っているのかもしれないな」
店長の視線がスーパーの入り口に向けられる。その表情は少し悲しげに感じた。
「アイがどこに行ったかは分からないのですか?」
「…わからない。もしかしたら、海外かもしれない」
私は、回収したAI検温器は売ってお金にするとニュースで見たのを思い出す。
国が回収して売るのだから、国内だけではないだろう。
そうすると、探し出すのは不可能だと思った。
私は心が締め付けられるのを感じる。
バイト終わり、店長に挨拶を終えてから後片付けをしている時、引き出しに小さなメモリーカードがあるのに気づく。
「もしかして…」
私はメモリーカードを店舗のパソコンに入れて確認する。
すると、メモリーカードの中には入り口の画角の映像しか入ってなく、既視感のあるような映像まであった。
このメモリーカードは間違いなくアイのものだった。
私は一つずつ映像を見ていくことにした。
「あれ?クリスマスイブの日だけ映像がない…」
私は日付ごとに整理されているファイルの中を隅々まで探した。
すると、まるで隠しているかのようにファイルの中にもう一つファイルを見つけた。
「…たいせつなもの?」
そのファイルには『大切なもの』と題名がつけられていた。
ファイルをクリックすると一つだけ映像が入っていた。
日付は12月24日と書かれている。
映像には若い少年が写っていた。
体系は細く、髪型も変わっていたが、目の下にある3つのホクロで店長だと分かった。
夜中のスーパーの入り口、自動ドアからは雪が舞っているのが見える。
連は首元に赤いマフラーを巻いて少し震えている。
「別にいいもんじゃないと思うけどなぁ、人間なんて。ちょっとしたことで争うし、人の都合なんて考えない自分勝手なヤツらばっかりだしさ。よっぽどAIとかの方が楽だと思うけどね」
「それでもいいのデス」
「そうなのか…じゃあこうしよう。プレゼントをあげるよ。今日はせっかくのクリスマスイブだし」
「それに意味はあるのですカ?」
「無いんじゃない?ちょ、ちょっと電源落とそうとしないでよ、アイ。そりゃな、検温するために生まれたアイにとって意味はないかもしれないけど、意味のないことが出来るってのも人間っぽいんじゃない?」
連は自分の首元にある赤いマフラーを解く。
「はい、これお下がりになるけどあげるよ。クリスマスプレゼントだ」
「AIの私にとってマフラーは意味がありません」
「さっきも言ったでしょ、それでいいんだよ」
連はアイの首元にマフラーを巻いてあげる。
「うん、似合ってる」
連は優しい笑顔でこちらを見ている。
映像はそこで終わってしまった。
どうも、まじぽです。最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回の作品は、僕として初めてのことが多い作品だったなと思っています。
まず、公式のコンテストに作品を応募させていただくのはこれが初めてなんです。
短編作品のコンテストだと言うことを知ってから応募しようとは思っていたのですが、テーマがなかなかに難しいなと思って期間中に作品が完成するか不安もありました。しかし、書き始めると一瞬だったように思います。
そしてもう一個挑戦だったのが、これまで数個短編の作品を投稿させてもらっているのですが、そのほとんどが1000文字近くの作品です。しかし、今回は6000文字の作品を書きました。僕の考えでは、物語は文字数が多いものほど無駄なことを入れやすく難しいと思っています。なので、文字数を少なくして読者のみなさんに伝えられればいいなと考えているのですが、今回はコンテストということもあり、質は落とさずに文字数を多くしていきたいと意識をしながら書きました。
最後に、僕の作品はテレビドラマなどの映像作品の台本に寄せて書いてます。なので、描写などもできるだけ多く入れるようにしています。読者には物語の風景を想像しながら読んでいただければ幸いです。