2.ジーンという男
扉が開いて入って来たのは一人の男。
目にかかる黒い髪に金色の瞳、背が高く鍛えられた逞しい体…
ドキッとした。
ドキッとする必要なんてないのに。
だけどその容姿の全てがウルフに似ている。
いや、よく見ると全然似ていない。どことなく雰囲気が似ているだけなのかもしれない。
アルが私の肩から手を離し、その手を上げて男に声を掛けた。
「お疲れ、ジーン!早かったなー」
「リブラ、まだ居たのか」
ジーンと呼ばれた男はアルを無視して私に声を掛けてきた。
その声も似ているのかもしれない。ジーンの言葉ひとつで心臓が勝手に早く動き出す。
「うん。今帰るところ」
「俺を無視するなー!」
アルが一人で騒いでいるが、ジーンがアルを相手にしないのはいつもの事だ。
「お疲れ〜」
ジーンに続いてキアラとエルヴェシウスが入って来た。この三人が組んで仕事したという事はかなり難易度の高い依頼だったと窺える。
「雪止んだみたいだね」
「ああ。ちょっと待ってろ。一緒に帰ろう」
「う、うん…」
いちいちドキドキしなくていいのに、持ち主の意思に反して心臓は勝手に早くなる。
ジーン達がゼロに報告へ行っている間、気を紛らわせる為に窓から外の景色を眺めていた。
ジーンと初めて出会ったのもこんな雪深い日だった。
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此処アーラダイストに入国して直ぐのこと。
私は大雪に足止めをくらっていた。
馬車を繰る御者は溜息をつきながら私に声を掛けた。
「アーラダイストはこの時期いつもこの位雪が積もるんだよ。この国に来るなら船か、若しくはブァヌファンで来るべきだったなぁ」
(前金受け取っておいてよく言うわ)
私は心の中で愚痴った。
ブァヌファンとは雪国にしか生息しない雪に強い生物。牛がモップを着た様な容姿をしている。
街まで馬車で行くつもりが、かなり手前の国境付近で身動きが取れなくなってしまった。無駄金を払った事もそうだが、人気もないこんな場所で立ち往生する羽目になるとは。勉強不足だった自分を悔いた。
(どの位積もってるんだろう…ここの地面は土?岩?)
魔法で雪を溶かす事もできるが、初めて来た土地でどんな地形をしているか分からない為に無闇に使えば草花まで根絶やしにしてしまう恐れもある。
どうしようか迷っていた時
「俺が送ってやるよ」
ブァヌファン乗って現れた男、その姿を見て驚きを隠せなかった。
─────ウルフ…!!
「俺の名前はジーン。あんたは?」
「……!!」
(そうだよね、ウルフのはずがない)
「私はリブラ」
よく見ると似ているのは髪の色と瞳の色、そして背格好だけ。それなのにまるでウルフがそこにいる様な錯覚を起こす。
「乗れよ」
ジーンは跨っていたブァヌファンの前を一人分空けた。
「あまり手持ちが無いんだけど…街まで行ってからここの通貨に両替するつもりだったから…後払いでもいい?」
こんな事を言えば吹っかけられるのは分かっていたが、現状打つ手が無い。
「俺も街へ行くところだ。ついでだから金はいらねぇよ」
「…そう。ありがとう。じゃあお言葉に甘えて…」
空けられたスペースに跨ると手綱を持ったジーンがブァヌファンを操りゆっくりと雪道を歩きだした。
「観光か? それとも仕事?」
「仕事」
「兵士志願者か」
「いいえ。ギルドに入るつもり」
「へぇ、俺もギルドに所属してる」
「そうなんだ」
振り向くと当たり前だがすぐ側にジーンの顔があって近すぎる距離に心が跳ねた。意に反して顔が赤くなる。
やっぱりウルフに似てる…いや、似てない。
「ジーンは…兄弟はいる?」
「………いや、いない」
「そう………」
道中ジーンと他愛も無い話しをして、ギルドの依頼の帰りにたまたま見掛けて声を掛けてくれた事を知った。どんな話しをしていてもジーンがウルフに似ている気がして心臓が煩かった。
ウルフは初恋の人。
だけど想いを伝える事はできなかった。
想いを伝える前にウルフは居なくなってしまったから…
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「リブラ」
ジーンに声を掛けられはっとした。
ゼロへの報告を終え、報酬も受け取ったのだろう。エルヴェシウスの姿はなく、キアラはアルとカウンターで杯を重ねている。
「終わったみたいだね、帰ろうか」
ジーンに向かい合うと未だにソワソワしてしまう。
「明日の依頼は俺と一緒に来い」
突然の事だが、こんな誘い方をされるのはよくある事だ。
「え?そんな勝手に…」
「嫌か?」
「い、嫌とかじゃなくて…代わってくれる人もいないし…」
もう既に明日の仕事は決まっている。こんな夜遅くに代わってくれる人などいないだろう。
「ルゥに頼めばいいだろ」
「そんな…」
帰ろうとしていたルゥは会話が耳に入ったのか、相変わらず可愛い瞳で私を睨みつける。ジーンは気にも留めていない様子でルゥに問い掛けた。
「なぁ、いいだろ?」
「良くない」
ルゥはジーンに答えたのだが、視線は私に向いたまま睨み続けている。
「貸しが作れると思えばいいだろ」
「良くない」
「ジーン、急すぎるんだよ。マルクスにも悪いし…」
いつまでも平行線を辿りそうな会話に堪らず口を挟んでしまった。するとルゥの目の色が変わった。
「マルクス?!明日の依頼はマルクスと一緒なの?」
「え?…うん」
「代わってあげてもいいよ」
「え?………あぁそっか、マルクスが好みのタイプなんだ…」
一連のやり取りに呆れて思わずぼそっと心の声が漏れた。隣でジーンがニヤニヤと笑っている。
「ルゥの好みは細見のひょろっとした身体で狐みたいな顔の男だからな。マルクスなんてまさにそうだろ?」
「そうだね…」
仕事の選び方は人それぞれだけど、ルゥは相手の男で選ぶと専らの噂だ。
「何か文句あんの?」
「ううん。ありがとう。……これからはマルクスに共闘を誘われたらルゥを勧めるよ」
「………」
ルゥは驚いた様に一瞬目を見開いた。そして何も言わずに出て行ってしまった。
ルゥと一緒に依頼をこなした事が無いので実力がどの程度かは分からないが、私よりは人気がある…と思う。このギルドで圧倒的に人気がある魔導師はエルヴェシウスだ。私と共闘する剣士と言えば最近はアルとジーンばかり…そもそもジーンが今の様に強引に誘ってくる事が多い。
ウルフはこんなに強引じゃなかった…
「ジーンはどうしていつも私を依頼に誘うの?」
宿までの帰り道、会話の途切れたタイミングで聞いてみた。
「なんでそんな事聞くんだよ」
「…いや、別に…ちょっと気になったから」
「ふぅん…」
ジーンは何故か片端の口角をあげてニヤリと笑った。
「やりやすいからだよ。仕事が」
「………そっか」
それは…まぁ、普通に嬉しいけど…
もしウルフが居たら…
ウルフだったら何て答えただろう…
─────翌日
「今日も寒いな」
「そうだね」
白い息を吐きながら早朝の道を目的地まで二人で歩く。
今日ジーンが受けた依頼はギルドに近い街から隣街への道の除雪と、その道中に目撃された猛獣退治だった。
「さっさと終わらせようぜ。上手くいけば昼には終わる」
「うん」
私が炎の呪文を詠唱して、積もった雪を溶かしていく。難なく除雪をしながら進んで行くと途中で山道に入り、その一部は獣道になる。
「ねぇ、遠回りになるけどあっちの平坦な道も雪を溶かそうよ」
この獣道は街と街を繋ぐ最短ルートだ。だが、隣街には学校があり、そこへ馬車で通う子供達が通るのは私が示した道。それを考慮して提案したのだがジーンは渋い顔をした。
「俺達の仕事に不備があれば今度は国に頼むだろ」
「そうかもしれないけど…」
「頼まれてもいない事をやったって報酬は変わらねぇんだからやる必要なんてない」
「うん…」
「だからお前は仕事が遅せぇんだよ」
「……」
確かにそれはウルフにも言われた事がある。
諦めて歩みを進めていると、目撃情報のあった猛獣が現れた。人の三倍程の大きさの、蜥蜴の様な形をした猛獣は、寒さに順応したふさふさの毛皮を纏っている。
「くっそ…こんな所で…」
「私が誘き寄せようか?」
「いや、いい。先に行って雪を溶かせ!」
「分かった!」
魔法で雪を溶かしながら道を進んで行くと開けた場所に出た。ある程度雪を溶かして後ろを振り向くと猛獣を誘き寄せながら走ってくるジーンの姿が。本来であれば攻撃魔法で応戦してもいいのだが、ジーンと共闘する時は攻撃は専らジーンの役目だ。
走って来たジーンがこちらに背を向けて猛獣に対峙する。
「リブラ!」
声と共に剣を外に向けて握りしめる。それを合図に私は魔法を唱えジーンの剣に雷を纏わせた。
ジーンは本当にやりやすい。
剣士の中には体から剣を離すどころか、ぶんぶん振り回したまま魔法をかけろとせがんで来る人もいる。魔導師からすれば的があちこち動いていたら魔法をかけたくてもかけられない。だが、横柄な剣士は多く、魔導師の意見を聞かない人が殆どだ。だからジーンの様な人は珍しかった。
今居るギルドでこんな事がすんなり出来るのはジーンの他にアルしかいない。
ウルフもそうだったけど…ウルフは騎士だったから。元騎士だったウルフは戦い方を教わっている。できて当然だ。
蜥蜴の様な猛獣は、弱点である雷を纏った剣であっさりと倒れた。
「よし、あとは雪を溶かすだけだな」
剣を拭いながら言うジーンに「一体だけとは限らないから、もう少し周りを見てみよう」と提案しかけてやめた。断られるに決まっているから。
滞りなく雪を溶かすと街の入口が見えて来た。そこにはせっせと雪掻きをする初老の男性と騎士が二人。周りでは子供達が遊んでいる。
初老の男性が顔を上げて私達に気付くと挨拶するように片手を挙げた。
「ギルドの方達ですか?」
「ええ。除雪完了しました。猛獣も倒しました」
「本当に助かりました。ありがとうございました」
微笑む男性は依頼主の町長だった。作業終了のサインを受け取ると子供達が私の元へ走ってきた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが倒したのー?」
「すごいねぇー」
「雪もうないの?」
「ありがとお!」
腰程の身長の子供達に囲まれ、口々にお礼を言われると自然と口元が綻ぶ。
「どういたしまして」
ジーンは無表情で無言のまま少し離れた所に居る。以前子供が嫌いだと言っていたので当然かもしれないが。
ウルフは子供が好きだった。
…いや、私が居たから慣れていたのかも。
気付くと私達の側に雪掻きをしていた騎士達が来ていて二人の騎士は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「騎士団は人手不足でなかなか手が回らなくて──」
「行くぞ」
騎士の言葉を遮ってジーンは踵を返す。
「うん」
私も急いで後に続いた。
来た道を並んで歩いていると暫くしてからジーンがようやく口を開いた。
「騎士が嫌いとは意外だな」
「え?」
「騎士に対して何か遺恨でもあるのか?」
「………いや、ジーンがさっさと行っちゃったから」
ジーンは肯定するように小さく頷く。
「ギルドに所属する奴で国の犬が好きな奴なんていないだろ」
「それなら私だってそうじゃん」
「お前は違う」
「何で?」
「俺が言う事に逆らわないだろ。真面目で従順。国に仕える方が向いてる」
「…そうかな?…そう言われてみればそんな気もしてくる」
「ほらな。それとも俺にだけ従順なのか?」
ジーンは意地悪そうにニヤリと笑った。
「───っ! そんな事ない…と思う…」
その笑い方がウルフに重なった気がするけど、ウルフはそんな笑い方をした事がない。
…と思う。
もうジーンがウルフに似てるのか似てないのか分からなくなっていた。
ウルフの思い出がジーンに上書きされていく気がして、それがいいのか悪いのか分からない。
でももうウルフの事を忘れたい。ウルフへの想いを断ち切りたかった。だから恋占をしたのに。
どんなにウルフの事を想っていても報われる事はない
ウルフは
もうこの世にいないから