10.隠し事
翌朝目を覚ますとアルの腕枕で眠っていた。
くーくー寝息を立てるアルが可愛くてつい頬をつついてしまった。そのせいでアルを起こしてしまったようだ。ふあぁ〜っと大きな欠伸をして体を起こすと、私が枕にしていた腕をふるふると振った。
「う〜〜…腕しびれた〜」
「ご、ごめん…」
そうか、それはそうだ。一晩中私の頭が乗っていたのなら、さぞかし重かっただろう。
「謝んないでよ」
アルは痺れているであろう腕を擦りながらにこっと笑う。
「一人で寝てたら痺れないからね。これは嬉しい痺れ…略してうれしびれなんだ」
「ふふふっ…そっか」
そう言って痺れているであろう腕をつっつくとアルの体がびくっと跳ねた。
「んなっ!」
大きすぎるリアクションに思わず笑ってしまった。
「あはは! アル面白い!」
「いやいや、誰だって痺れたらこうなるよ〜」
わざとらしく怒った様な顔を作っているが、盛大についた寝癖が可愛くて全然怖くない。
「そうかな〜?あ、そうだ。アル昨日の夜どこか出掛けた?」
「え…?」
「ドアが空いた気がしたから」
「あ〜…………うん、腹減っちゃってさ」
アルは表情を変えずに徐ろにバゲットを取り出した。
「パン買ってきたんだ。結局食わなかったから朝食にしようと思って!」
「……そうなんだ」
あんな時間にパン屋が開いているとは思えないが、アルが言うならそうなのだろう。
……………アルが嘘をつくわけがない。
「…………あと、偶然エルヴェシウスに会ってちょっと話した」
「ふぅん」
あの白いローブの人物はエルヴェシウスだったのだろうか。偶然には見えなかったけど、アルが言うならそうなのだろう。二人の組み合わせはあまりピンとこない。何故だろうかと考えていたがアルの言葉に思考は遮られた。
「クローディアはどんなパンが好き?」
「えーっと…丸くてふわふわしてるやつ」
「うわ〜これじゃあだめじゃーん」
「バゲットも好きだよ」
「じゃあ、俺は?」
にこっと笑うアルに何故か急に恥ずかしくなって顔を背けてしまった。
「────っ!………内緒っ!」
「いじわるぅ〜」
からかう様にうりうりと肘で押される。好きって言ったら照れるくせにずるい。
「ジャムとハムどっちがいい?」
「ハム!」
パンを手にアルは小さなキッチンに立つ。どうやらサンドイッチを作ってくれている様だ。それを後ろからこっそり眺めていた。
「飲み物は何が好き?」
「……何でも」
「ミルクは?」
「好きだよ」
「コーヒーとココアだったらどっち?」
「ココアかな」
「何色が好き?」
「え? えーっと……緑かな」
「好きなお酒は?」
「え? えっと…苦くないやつ」
「趣味は?」
「何も無い…」
「好きな事とかは?」
「う〜ん………占いとか…?」
「え! 俺も占い好きだよ! 」
「本当に?!」
「うん! 今度一緒に行こ〜」
喋りながらアルは出来た料理を次々とテーブルに運ぶ。サラダにスープ、サンドイッチ、骨付き肉、パンケーキ。全てかなりの量があって小さなテーブルは料理で埋め尽くされた。椅子を引かれたのでそこに座ると、アルは向かいに座った。
「すごいね…こんなに食べられるの?」
「今日は長い一日になるからね。気合が必要なんだ! クローディアも遠慮なく食べてね」
「ありがとう…今日は何の依頼?」
「あー…………何だろう」
「何それ」
「ど忘れした」
はははっと笑ってアルはサンドイッチにかぶりついた。
何かを隠している。胸に湧いた違和感を聞こうとしたらまたアルに質問された。
「クローディアは? 今日は何の仕事?」
「私は隣国から賞金首の護送」
「そうなんだ。気を付けてね。直接行くの?」
「うん、そのつもり…でもアルがギルドに寄るなら途中まで一緒に行こうかな」
「ほんと?! やったー!」
嬉しそうなアルにつられて笑ってしまった。
「ねぇ、クローディアの誕生日はいつ?」
「…………なんで質問ばっかりなの?」
「知りたいんだもーん」
「なんで?」
「好きだからに決まってんじゃーん」
「───っ! さらっと言わないでよ」
質問ばかりされながら朝食を食べ終わると、アルは突然真剣な眼差しになり、テーブルの上で私の手を取った。
「ねぇクローディア、お願いがあるんだけど」
「何?」
「これからジーンとは一緒に仕事しないで欲しいんだ」
「え…?」
「ジーンに誘われても断ってくれない?」
「でも…ジーンって強引で…」
「断ってよ」
アルは握った手に力を込めてくる。アルとジーンは最初からあまり仲が良くないというか、ジーンが一方的にアルを避けている印象だった。それがここ最近アルもジーンを避けているように見えた。それは気のせいではなかったようだ。
「嫌なんだけど。ジーンと一緒に仕事されるの。ただ一緒に居るだけでも嫌だ」
「…分かった。ギルドで顔合わせるのは避けられないけど、仕事は一緒にならないようになるべく努力する」
「もしもどうしても一緒に依頼に行かなきゃならなくなったら俺に教えて」
「分かった」
素直に頷くとアルは安心したように微笑んだ。
朝食の片付けをして支度を整えると二人で外に出た。
「手、繋いで行こうか」
大きな手を差し出されるが、恥ずかしさが勝って戸惑う。
「誰かに見られたら からかわれちゃうよ」
ギルドの面子は間違いなく面白がって茶化してくるだろう。一時の事だと思うが、そんな関係だという事がこの先仕事に支障を与える気がした。
「そんなの気にしない。クローディアが俺の恋人だって見せびらかしたい」
ニコッと笑うアルの笑顔が眩しくて、手を繋いでギルドまで行く事を承諾してしまった。本当は凄く恥ずかしいけど、アルがくれた言葉も嬉しかったから。
ギルドの拠点に着くと、丁度ドアが開いて中からアーラダイストの騎士が出て来た。思わず眉間に皺が寄る。
「何で騎士がこんな所に?」
騎士が私達の横を通り過ぎて歩いて行くのを目で追って、そのままアルに視線を向けたが、アルは私と目を合わせようとしなかった。
少しの違和感を感じながら、そのままギルドに入るとカウンターの一席にはジーンがいて、その視線が一瞬私達が繋いでいる手に向いた気がした。恥ずかしさのあまり慌てて手を離した。今更思い出したが、私はジーンにファーストキスを強引に奪われ怒っていたのだ。もう今更どうしようもないけど。
若干不機嫌そうなジーンは待ち構えていたかの様に口を開いた。
「国王陛下がギルドの解散を狙ってるって噂は本当なのか?」
誰に向けて言ったのだろうか。
視線はこちらに向いているが、そんなの知るわけない。
「何の為に?」
兵士が人手不足の今、ギルドを解散させて陛下に何の得があるのだろうか。寧ろ多少なりとも国の手伝いをしているギルドが無くなったら益々大変になる事は目に見えている。
ジーンの質問を不思議に思っていると、ジーンの視線はアルに向けられた。
「さぁな、何の為なんだよ、アル」
何が言いたいのだろう。アルに聞いたって答えは同じはずなのに。
「知らないよ」
ほらね。ぶっきらぼうに答えるアルにジーンは大袈裟に肩を竦め挑発するように言った。
「知らないはずないだろ?」
「何が言いたいの?」
ジーンはいつもこうだ。含みを込めて言う会話の核が分からなくて、この嫌な空気を断ち切りたくて少し攻撃的な口調になってしまった。しかしジーンは全く気に留めてない様子で、寧ろその言葉を待っていたかのようだった。
「リブラは知らないのか? こいつはアーラダイストの騎士だ」
「え?!」
ジーンが『こいつ』と顎で示す先にいたアルに驚いて視線を向けると、アルは奥歯を噛みしめジーンを睨むように眉間に皺を寄せた。
「アル…本当に?」
「………リブラ──」
「ここ最近王城にサンスムドーンの騎士がよく出入りしてるらしいな」
ジーンはアルの声を遮って話し始めた。
その口調は何故か高圧的で、まるで喧嘩を吹っかけているかの様に聞こえる。しかしアルは何も答えなかった。
「………」
「国王陛下は何をしようとしてんだ? アル、お前は何の為にこんな所にいるんだよ」
「アル…どういう事? アルが騎士って…本当なの?」
「…………リブラ、二人で話そう」
私が答える間もなく強引に手を引かれて外に出た。
「アル……ジーンの言ってた事は本当なの?」
アルは溜息をつくとずっと外していた視線を私に向けた。
「…………………うん。騎士っていうのは本当。詳しい事は話せないけど、仕事の一環でギルドに所属してる」
「そうなんだ………」
驚くよりも何故か納得している自分がいた。
訓練されたような戦い方、ロープの結び方を始め色々な知識を持っている事も、ウルフと同じ事を言ったことも。全部騎士だったとなれば理解できた。
「黙っててごめん。騎士が嫌いだって聞いてたからなかなか言い出せなかった」
「そうなんだ…」
「でも、クローディアが辞めろって言うなら辞めるよ」
「大丈夫、気にしてないよ。私の事を思って言ってくれなかったって分かるから………アルが私の大切な人を殺したわけじゃないでしょ」
アルは何も言わない代わりに頷いた。
「でも…もう隠し事は嫌だよ」
しっかりと目を合わせて言うと、アルは叱られた子供の様にしょんぼりと眉尻を下げ、私の手を取った。
「うん。本当にごめんね」
アルの背中越しに、先程すれ違った騎士が少し離れた街灯の下でこちらを見ているのに気付いた。
「あの人達…アルを待ってるんじゃないの?」
「あぁ、うん。そう……もう行かないと」
「今日は騎士団の仕事?」
「うん…陛下の所に行かなきゃいけないんだ」
「そうなんだ」
(本当に騎士なんだ…)
「今日陛下に会ったらさ…」
「うん」
「多分ずっと一緒にいられるから」
「………? そうなんだ」
思わず首を傾げてしまった。何故そうなるのかは到底分からないが、言っている事が本当ならばその真意は直ぐに分かるのだろう。
「陛下のお許しが出ればギルドに居る理由も多分話せると思う」
「うん。分かった」
国に仕える者であれば、国家機密情報も知っているだろう。それは例え家族であっても話してはいけないという情報もある。だから今アルが曖昧な言い方しかできない事も理解できた。
「王城にサンスムドーンの騎士が出入りしてる事も話してくれる?」
「うん。全部話せると思うよ」
「アル………………………私を探してた?」
アルは表情を失った。
そして顔を歪めてきつく目を瞑ると深く溜息をついた。
「…………ごめん。今はまだ言えない」
それはもう答えだ。
アルは私を探していたんだ。
『サンスムドーンから居なくなったクローディア・サンフォードという名の女。伝説の魔導書を持っている可能性がある人間』を。
「そっか…………」
「でも…………味方だよ」
「え?」
「俺は君の味方だ。何があっても」
握られている手に力が籠もる。その大きな手を強く握り返した。
「……………アルを信じるよ」
「…………ありがとう」
頷いたアルは弱々しく微笑んだ。