3 走る影
屍山血河の凄惨な現場から逃げるように帰ってから二週間が経った。
それまでの平凡な十七年間は一変し、未だに平和な日常から足を踏み外したまま、毎日のように異形のバケモノ――妖魔を狩る日々を送っている。
殺人衝動は一日に一度。決まって夜に発生し、ある程度の妖魔を狩らないと収まらない。
ただこれは比較的マシな出来事だ。
本当に人を殺さずに済んでいる。今のところは。
「おい、菖蒲。俺も連れてけ」
「無理だ。銃刀法違反で捕まっちまうだろうが。押収されるんだぞ、警察に」
「はっ! 俺をなんだと思ってる。転生刀輪廻だぞ。折られようが、溶かされようが、沈められようが、必ず担い手の元に戻ってくる。だから転生刀なんだよ。警察の倉庫くらいいつでも抜け出せるんだぜ」
「お前が抜け出せても俺は違うから。少年院の塀から抜け出せないから」
「ぶった切ればいいだろ」
「それで逃げたとしてその後どうすんだよ」
まぁ、初犯でいきなり少年院に入れられるのかどうかわからないけど。
捕まったことないし。
「とにかく、昼間はじっとしてろ。家族にも見付かるなよ」
「わかってるさ。お前の家族に見付かるのは少々都合が悪いからな」
妖刀とだけあって神職につく家族に見付かるのはやはり不味いらしい。
都合が悪いなら逆に家族に事情を話しても、と思ったけれど直ぐに考え直した。
俺の家族に不思議なパワーがあってこの輪廻を封印できるなら、それに越したことはない。
けれど、どう考えたって俺の家族はただの神社を経営している一般人だ。
下手なことをして輪廻と関わりを持たせたことで家族に危害が及ぶことこそ避けたい。
輪廻の封印の解除を早めたのは俺の責任だ。
苦しむのは俺一人でいい。
とりあえず今は妖魔さえ狩っていれば殺人衝動は抑えられる。
今はそれで日々をやり過ごすしかない。
幸いなことにこれまで何体もの妖魔を狩ったけれど、未だに無傷のままだ。
「だが、ちと退屈だな。妖魔だけじゃなく人も斬りたいもんだがなぁ」
「俺に取り憑いているうちは不可能だ」
自室の扉を強めに閉めた。
§
「ん。よう、百道。おはよ」
「おはよ。またなんかニュースか?」
「最近、ちょっと話題になってきれるんだぜ、これ」
自分の席に腰掛けると、ぬっと藤堂の腕が伸びてくる。
手に持った携帯端末の画面には記事と写真が一枚。
「真夜中に現れる夜叉?」
写真にはブレブレだが人と思しき影が剣のようなものを振るっている。
「なんでも毎晩現れては見えない何かと戦ってるらしいぜ。バケモノと戦ってた、って証言もある。まぁ、面白がって適当なこと言ってんだろうけど」
「ふーん……夜叉か」
ひょっとして。
ひょっとしてだけど、それってもしかして俺のことか?
妖魔は普通の人間には見えないが、所謂霊感が強い人種には見えることもあるらしい。
条件に当てはまることが多すぎる。
「噂じゃ、この夜叉が例の連続殺人犯なんじゃって説もあるんだぜ」
「……それは……飛躍しすぎじゃないか?」
「そうか? まぁ、バケモノと戦ってるなら寧ろヒーローってことだし、そうかもな」
「そうだよ。うん。きっと、いや絶対そう。そうに決まってる」
「やけに推すなぁ。さては百道も特撮道に目覚めたのか?」
「いや、まったく」
「だよね……でも、人知れずバケモノと戦ってるって考えると割と俺の理想像ではあるんだよなぁ」
「で、そいつと友達になって死にたいと」
「心に消えない傷を刻みたいんだよ」
「悪化してないか?」
まぁ、俺を仮にヒーローとするなら、もう藤堂はそのポジションにいるんだけどな。
だからと言って正体を明かしたりする気はないけど。
危険に巻き込みたくないし、藤堂だと本当に死にに行きそうだし。
「この夜叉をヒーローってことにするなら名前が必要だよな」
「ヒーローネームって奴? そのまま夜叉じゃダメなのか?」
「ダメダメ、そんな在り来たりなの。例えば……そうだな……カタナマン」
「二度とその名前で呼ぶなよ」
定着したらどうしてくれる。
「そんなにダメ? じゃあ――」
その時、派手な物音がして教室中が音源に目を奪われた。
発信源は教室の後方あたり。何事かと思えば一人の女子生徒の勉強机がぱっくりと二つに割れていた。
木製の部分はへし折られたようにギザギザで、鉄製の部分は硝子のように綺麗な切断面をしている。
「大丈夫? 唯名」
「う、うん。なんとか」
「びっくりした。机って割れるんだ」
女子生徒の友達が助け起こす様子を見るに怪我はなさそうだ。
教科書やら筆箱やらが散乱してしまっているけれど。
「すげぇ、机ってあんな風に割れるんだな」
「なんか妙な割れ方だけど……」
木製部分が実は腐っていたとか、鉄製部分が金属疲労を起こしていたとか。
考えても理屈がわかるわけじゃないけど。
「はーい、みんな席について」
「先生、唯名の机が割れましたー」
「割れた? 机が? うわ、ホントだ。どうしたらこんなことに。と、とりあえず空き教室に行きましょう」
先生は来た途端に女子生徒を連れて教室を後にする。
「ん?」
その後をなにか影のようなものが走って行った、ような気がした。
気のせいか?
「あぁ、そうだ。ほら、これ。前に百道が言ってたゲーム」
「お、マジ? ありがと、助かる」
「いいよ。もう新作が出てるし。俺はそっちをプレイ中」
「これが面白かったら新作のほうも買おうかな」
「絶対面白いから。マジでおすすめ」
とは言いつつも、現状ゲームどころじゃないからな。
ゲームに取れる時間があればプレイしたいところだけど。
とにかくパッケージのゲームを受け取り、それをそっと鞄に突っ込む。
しばらくして新しい勉強机が運ばれてきた。
教室中の視線を浴びた女子生徒は恥ずかしそうにセッティングを終える。
影のようなものは見えない。
やはり気のせいか。
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