1 蔵の刀
「なんだ、これ?」
舞い上がる埃が朝陽を浴びて輝いている。
所狭しと敷き詰められた木箱や段ボールの中身は想像することすら難しい。
ほのかなカビ臭さに顔を顰めた蔵の中、その最奥にそれは置いてあった。
「刀?」
血のように鮮烈な赤い鞘に収まった一振りの刀。
その中央には古びた御札が一枚貼られている。
足下に目を落とすと、似たような御札が大量に落ちていた。
「祭事かなんかに使うようか?」
興味本位で手を伸ばして持ち上げてみる。
「思ったより重い……まさか本物?」
柄に触れて鞘から刀身を引き抜くと、鏡のように磨かれた刀身とそこに浮かぶ雲のような波紋に目を奪われる。
模造刀などではなく真剣だと思わされるほどに、その刃は美しかった。
「うちの蔵にこんなのが……おっと」
ひらりと鞘に貼り付けられていた御札が落ちる。
拾い上げて再び鞘に貼り付けると、刀を元の位置にそっと戻した。
「ちゃんと許可取ってるよな? これ。銃刀法違反とかシャレにならないぞ」
一抹の不安が胸を過ぎる。
「菖蒲! お茶碗見付かった?」
「あぁ、見付かった!」
そう返事をして脇に置いておいた茶碗が入った桐の箱を手に持つ。
最後に振り返って刀に目をやると、貼り付けた御札がまた落ちていた。
「まぁ、いいか」
張り直してもまた落ちそうなので放置することにして、狭い通路を通って蔵の外へ。
朝陽の元に出てくると、すぐに焦った様子の母さんが駆けてくる。
「よかった。もうすぐお客さん来るから、粗相のないようにね」
「粗相ったって、俺これから学校じゃん。顔も合わせねぇよ」
「境内で擦れ違うこともあるでしょ。本当に、ちゃんとしてね。うちの信用に関わるんだから」
「そんなに大事な客なのになんで前日まで準備できてねーんだよ」
「こっちにはこっちの事情があるの。とにかく、はやくご飯食べちゃいなさい」
「はーい」
茶碗の入った桐の箱を渡し、朝食を腹へと詰め込む。
学生服に袖を通し、靴を履き、いざ登校と言ったところで、玄関の傘立てに異物を見る。
「刀? 蔵にあった……なんで?」
傘立てに立て掛けられた刀。
蔵から戻った時にはなかったはず。
誰かが蔵から持ってきたのか? それで傘立てに?
頭の中が疑問でいっぱいになりつつも、それを押し退けて遅刻の二文字が浮かぶ。
とりあえず立ち上がって家を後にすると、ちょうど鳥居越しに客が見えた。格式張った衣装を身に纏う一団が道の中央を避けて歩いてきている。
鳥居の中央は神様の道なので歩いてはならない。
通り過ぎるのを待つのも面倒なので彼らとは反対側から鳥居を潜ることにした。
「おはようございます」
「おや、あなたはここの?」
軽く挨拶だけして通り過ぎようとしたところ、運悪く声を掛けられてしまった。
一団の先頭を歩いている成人男性。三十代半ばくらいだろうか?
「あ、はい。百道神社跡取りの百道菖蒲です」
「そうですか。大きくなられましたね」
「俺の小さいころを?」
彼の顔を記憶の引き出しから探していると、本殿から爺ちゃんが現れた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
「ご丁寧にどうも。では、また」
「あ、はい」
彼のことは気になったが、話が長くならずに済んでよかった。
また引き留められないうちに鳥居を潜り、長い長い石段を駆け下りる。
小さい頃は放課後になるたびこの石段を登るのかと絶望していたけれど、今はもう慣れたもの。
下りきると振り返って遠くにある鳥居へ目を向ける。
当然、客はすでに本殿にいる頃で誰の姿も見えない。
「大事なお客様か」
いったい何者なんだろう?
詳しいことは何も聞いていないから、あの一団がどのような組織の人間なのかわからない。先頭にいた人は昔に会ったことがあるようなことを言っていたけれど、思い出せなかった。
今や忘却のはるか彼方。
「まぁ、いいか」
深く考えることはせず、通学路に向き直った。
§
「あー、体育だるぅ」
四時限目の体育に備えて、続々とクラスメイトが教室を後にする中、往生際悪く勉強机に張り付いた藤堂が気怠そうに吐き捨てた。
「なぁ、そう思わん? 百道」
「いや、別に。どうってことないだろ、体育なんて」
「マジ? あぁ、そう言えば毎日上り下りしてんだもんな。あの滅茶苦茶長い階段。そりゃ体力もつくか」
「藤堂もやってみれば。大抵の運動はどうってことなくなるぞ」
「勘弁してくれ。想像しただけで吐きそうだ」
「特撮好きのくせに」
「俺はヒーローになりたいんじゃなくてヒーローに助けてもらいたいの」
「そういうもんか?」
「そんでヒーローの親友になって目の前でヴィランに殺されたい」
「歪んでるな」
「出来れば後一歩で助けられたのにってところで無残に死にたい」
「それはもう病んでる」
とんでもない性癖を聞かされた気分だ。
知りたくなかった、友達のそんな一面。
「ほら、行くぞ。遅刻する」
「わかったよぉ。はぁ、突然自習になったりしねぇかなぁ」
「そんな都合良くいくわけ」
廊下がにわかに騒がしくなり、出て行ったクラスメイトが教室に戻ってくる。
「なんだ? おい、どうしたってんだよ。なんで戻って来たんだ?」
「いや、なんか自習になったって。四時限目」
「マジ!? やったぜ! でもなんで?」
「なんか、体育館に危険物があったとか、なかったとか」
「どっちだよ、それ。まぁ、なんでもいいや! 自習だ、わっほい!」
「危険物?」
いったいなにが体育館にあったんだろう?
教室の窓から外を眺めてみると、教員が何名か走って行くのが見えた。
「なぁなぁ、百道。危険物ってなんだろうな? 爆弾とか?」
「高校の体育館に爆弾置いてなんの意味があるんだよ。教室がテロリストに占拠される妄想くらい意味不明だろ」
「うーん。煙草とかじゃ危険物って言わないよな。危険な物って言えばぱっと浮かぶのは刃物とかか?」
刃物。
刀。
「まぁ、でもおおかた不良がナイフかなんか持ち込んだんだろ。きっと、たぶん。後で先生に聞いてみようぜ。答えてくれるかわかんねぇけど」
「突っつかれるのは目に見えてるし、なんらかの解答はしてくれるだろうな。納得できる内容かどうかはさておき」
クラスメイトも口々に危険物とは何かを話し合っている。
「昼休みが増えたみたいだぜー。あ、そうそう。この動画見た?」
「どれ? あぁ、それな。見た見た」
自習も十分と過ぎれば話題も変わるもので教室全体共通の話題から各グループ個々の話題へとすり替わっていく。
「いや、しかし、凄いよな。俺たちと同い年だぜ? この女子高生探偵」
動画サイトで人気急上昇中のニュース。
その内容は女子高生探偵へのインタビュー。
「刑事の親父に助言をして見事事件を解決。ついたあだ名が女子高生探偵、だもんな」
「高校生で探偵とか現実だと中々みない設定だよな」
「ほんと、それ。事実は小説よりも奇なりって奴。でも名探偵なら、いま起こってる連続殺人も解決してほしいもんだけどな。なんて、ちょっと不謹慎だったか」
「俺もちょうどそう思ってたところだよ。本当に何でも良いから速く捕まって欲しいよ、殺人鬼」
女子高生探偵のインタビュー動画。
その関連動画に今日も連続殺人鬼のニュースがある。
一ヶ月の間に六人もの人が殺された一大事件。
連日報道はこの件で持ちきり、更に質の悪いことに現場は俺たちが住んでいる街にまで及んでいる。
テレビの向こう側の話ではあるけれど、決して他人事じゃない微妙な距離感が不安となって街の住人の心に染みついていた。
「ヒーローがいてくれたらなぁ」
「名探偵だろ、そこは。本物の」
長い昼休みと五時限目、六時限目をこなして来る放課後。
担任である西沢先生の話によれば、危険物はバックだったらしい。
中身が不明であり、持ち主もわからなかったため、やむを得ず自習という形になったのだとか。
その割りには警察が来なかったけれど。あとバックの中身も教えてくれなかった。
なんだかすっきりしない終わり方だけど、大事ないならそれが一番か。
「百道、帰ろうぜ」
「あぁ」
席を立ち、藤堂と共に教室をあとにした。
§
「……眠れないな」
なんとなく、理由もなく、胸がざわつく、そんな夜。
ベッドから起き上がって携帯端末を手に取ると、表示された時刻は午前一時三十分。
明日の登校を考えると寝ておきたい時間だけど、こんな時に限って睡魔はやってこない。
「散歩でもするか」
手早く着替えを済ませ、携帯端末と財布を持って外へ。
その途中、靴紐を結んでいる時のこと。
「あれ、また」
傘立てにまた刀が刺さっている。
帰宅した時にはなかったのに。
「誰だか知らないけど、ちゃんと蔵に戻しとけよな」
相変わらずなぜ傘立てにという疑問は残りつつも音を立てないように玄関扉を開く。
夜の境内は静けさに満ちていて、踏み締める砂利の音がやけに耳に届いていた。
石段の前に立って、その長さに引き返そうかとも思ったけれど、このままベッドに戻っても眠れる保証はない。
ため息交じりに覚悟を決めて長い石段に足を下ろした。
「帰ったらシャワー浴びなきゃじゃないの、これ。まぁ、するにしても明日だけどさ」
下りはよいよい、登りはひいひい。
自分の部屋に戻る頃には軽く汗を掻いているに違いない。
濡れタオルで体を拭くくらいのことはしようと決めつつ、石段を下り終える。
「自販機まで散歩して帰ろうか」
歯を磨くのが面倒なので飲み物は買わないようにしよう。
財布は一応の保険であって使う気はない。
使ったとして、買った飲み物は明日以降に持ち越しだ。
いや、もう日付が変わっているから朝か。
「あったあった。えーっと……」
買わないと心に決めていても、とりあえずラインナップに目を通してしまうのが人の性。
軽く商品を眺めようと自販機に近づいて、けれどこの足は目前で止まることになる。
「なん……で」
立て掛けてあったからだ。
自販機の光を浴びて艶めかしく映える鮮血のような赤。
そんな色の鞘に収まった刀が。
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