失恋の嘆き
滑稽でありましょう、あぁ滑稽であります。私には勇気はございませんでした、オデュッセウスのように我が身を危険に晒し得難きものを得るような勇気はございませんでした。
あぁ、あなた
私の話を聞いてくださるのですか
この私の哀れな身の上をお聞きになさってください
そして、失望してください
あなたの目の前にいるのは堂々とした巨躯を持った鼠であると
あなたの眼前の巨木は朽木であることを
あぁ、すいません話を始めましょう
始まりは何も無かったのです
ほんとに何も無かったのです
いつも通りに職場に向かい
いつも通りに席につき
いつも通りに業務を始めようとした、本当に日常の一コマであったのです。
私は何も成すことが出来ないのに志ばかりは高く、常に何かを成す側に立っていると思っていました
何も成すことをしなかったのに周りを何も成すことが出来ない愚か者だと見下していました
あぁ、そうです笑ってください
笑ってくれなきゃこんな話なんてできません
そんな人間も憧れる人は現れます
彼女は私の憧れでした
彼女はそれは素敵でありました
沖縄から北海道までをいってもこのお方ほどの少女はおりますまい
はにかみを含んだ優しい黒色の瞳
六月の薔薇のような微笑み
彼女こそ地に輝く星でありましょう
彼女の慈愛はランプの貴婦人ですらかすみましょう
こんな近寄り難い私にもまるで旧来の親友のように接してくれました
いやいや、そんなものではありませんよ
恋などというそんな高尚で、卑俗な、尊いものではありません
いや、そうです
そうなのでしょう
私は彼女に惚れていたのでしょう
恋をしたのでしょう
だが、それがなんというのですか
そんな虚飾はどうだっていいのです
言葉はどうだっていいのです
とにかく私には彼女がそこにありました
私の心中に
誰にも知られぬよう
誰にも触れられぬよう
誰にも暴かれぬよう
パンドラの匣であります
私にはわかっていました
それは開けてはならないのです
それは触れてはならないのです
パンドラの匣なのです
私にはわかっていたのです
1度蝶番が外れれば必ず私に災厄が降りかかるのです
私はそれによって悩まされるのです、苦しめられるのです
あぁ、愚かでありましょう
蝶番は蔦でできていたのに気づきもしないで、日に日に大きくなっていくこの匣を必死に隠して、抑えていたのです
しかし、蔦なのです
限界が来れば簡単に弾け飛ぶ蔦によってその匣は抑えられていたのです
抑えた所で結局は開けられるのですから
自らの力によってその匣は開くのですから
しかし、私はそれを知りながら、いや、その事実に目を逸らしながら必死に抑えて先へと送りました
必ず未来の私がなにかしてくれるだろうと
必ず未来の私が解決してくれるだろうと
何も変わろうとしない私が未来に行っても何も変わるはずがありませんのに
しかし、半年は持ちました
その半年のうちに、抑え込もうと苦闘するうちに私は決意をしたのです
今この大きな仕事を終わらせたらケリをつけようと
この仕事が一段落したら私の気持ちを伝えてやろうと
そのような決意をしてから、匣は膨張することをやめました
そして私は仕事に取り掛かりました
この仕事さえこなせば、と何か呪文のように呟きながら
私は私の義務を果たそうとしたのです
しかし、匣は膨張をやめただけではないのです
少しずつ、しかし確実にその中身を外に吐き出していたのです
そうなのです
あなたもお気づきでしょうに
私は結局エピメーテウスでは無いのです
匣だけを手に入れただけなのだと
私は私の義務を果たし、意気揚々と匣を開けたのです
箱の中には何も残っていなかったのです
エルピスすらも残っていなかったのです
滑稽でありましょう、滑稽であります
これが私であるのです
これが私の賭けたものなのです
私の支えであったものなのです
追えと、貴方は追えと言うのですか
エルピスすらも匣から逃げ出し
プロメテウスのもたらした灯火は既にくすんでいる
そんな私に追えというのですか
素晴らしい
あぁ、素晴らしい
これこそ喜劇なのです
喜劇の骨頂なのです
彼女はもういないのです、少なくともこの国には
旅立ったのです
私にはわかりません
しかし、わかるのです
この国には彼女はいないと
かくてゼウスの御心からは逃れ難し、と
そういうものなのです
コーモーイディアー(喜劇)とはそういうものなのです
これが全ててです
私の喜劇はそういうものなのです
これで全てです
さぁ、飲んでください
笑ってください
いいです、いいです
私が奢ります
私が乾杯の音頭をとりましょう
デュオニュソスに捧げましょう