教育方針の違い
玉座の間では幼い子供が王女を待ち受けていた。
人界の者にあてはめると七歳ほどの少年に王女は首を傾げる。魔王城にいるのは成人した、魔王軍に属する者か挑戦者、そして魔人のような細々としたことを片付ける者しかいないと聞いていたからだ。
「あなたは誰?」
「あ、あの、僕は――」
王女と魔界の者がやり取りできるのは自動翻訳魔法があるからだ。すなわち、少年の名乗った名前を王女は聞き取れなかった。
「あなたは誰?」
「――彼は先代魔王の子供です」
再度名乗ろうとした少年を見かねた魔人が横から口を挟む。
再度首を傾げる王女に、少年はこくこくと何度も頷いた。
魔界に住む者はもちろん、そこで生まれた子もまた瘴気に侵されている。魔界に住む者は瘴気を取りこむことによってより強い存在となれる。
だから少年は生まれた。魔王の血肉となるために。
少年には何人も兄姉がいたのだが、そのすべてはすでに魔王の血肉と化している。勇者との決戦に備えて魔王が子供たちを取りこんだからだ。
少年はいざというときの奥の手として残されていた。
王女との死闘の末に伸ばされた魔王の手は少年が潜んでいる部屋に向けられていた。だがその手は少年には届かなかった。
魔王が足蹴にされたからだ。
それを扉の隙間から見ていた少年は自分の父を、魔界で最強の男を足の下に敷く王女を見て、衝撃を受けた。
高鳴る胸の鼓動、頭に上る血、自身の身に起きた現象を少年は――恋だと認識した。
「魔王様! 僕のお嫁さんになってください!」
「私のことは姫と呼びなさい!」
魔人と魔王の子から生い立ちを聞いた王女は即座に魔王の眠る部屋に引き返した。
我が子を食むことによって得られる力などに興味はない。子を育み育て、次代の王とすることがなによりも大切だと考えていたからだ。柔軟な思考を持つ王女ではあるが、さすがにこればかりは譲れなかった。
「邪魔するわよ!」
ノックもせず勢いよく開けた王女は、寝台の上に転がる男女を見て眉をひそめた。
この短時間で致していたから――ではない。片方は光る縄に縛られ、もう片方は疲労困憊といった様子で転がっていたからだ。
最中である可能性を考慮しつつも遠慮しなかった王女は、思わぬ光景に目を瞬かせる。
「子を作るのではなかったのかしら」
「魔王ではない我に子を持ち取り込む権利はない」
「あなたは魔王よ」
「貴様に負けた時点で我が身は王ではなくなった」
「百歩譲ってあなたが勘違いしていることを認めてあげるわ。でもそれでどうして権利がなくなるの?」
「……勘違いではないのだがな」
魔界の掟に疎い王女にどう説明したものかと魔王は頭を抱える。頭を抱えた理由は別にあるのかもしれないが、この際細かいことは置いておこう。
そして魔王はゆっくりと、脳が筋肉でできているような王女にもわかるように噛み砕いて説明した。
魔力を持つ者を食むことによって魔力を高めることができる。
血の近い者の場合はより効率的に魔力を取り込める。だからこそ、魔王の子を生み、その子を魔王の力としたいと望む女性は多い。
あの魔王は私が育てたと胸を張れるからだ。
そして子を食む権利が与えられるのは魔王のみ。魔王以外が我が子を食むことは許されていない。
「でも強くなれるのなら魔王を目指す者は誰もがそうするのではなくて?」
「それによって絶滅した種族があったそうでな。数代も前の魔王が禁止したのだ。無論、裏でこそこそと行っているものはいるかもしれんがな」
見目のよい種族が狩られたのは――一部ではあるが――これが起因する。大多数は見目よい子供を生み教育し、魔王となった我が子の上で魔界を思いのままに操作しようと考えていたのだが、見目よい種族の魔力を取り込めば自分の見た目も変わるのでは――そう考えた者がわずかながらいた。
無論、魔力を取り込んだところで見た目は変わらない。涙ぐましい努力である。
「これまでの魔王もその掟を廃そうとはしなかったのね」
「当たり前だろう。誰が我が身を脅かす者を育てることをよしとする」
「その考えには同意しかねるわね。誰にも脅かされない者こそ王に相応しいのよ」
「それは血によって王が決まる人界の掟であろう。魔王にさえ勝てれば魔王となれる魔界では通用せん。現に我も魔王を倒して魔王になったのだからな」
王女が話しているのは世界の頂点に立つ男の話である。
誰かに脅かされるような存在が頂点に立てるはずもなく、誰も敵わないとひれ伏すからこそ王となれる。そう信じて疑わない王女と、あくまで魔界と人界の王の話をしている魔王。
両者の意見が食い違うのも当然である。
「脅かされないように下々を押さえつけるだなんて、魔王はずいぶんと軟弱な存在ね。やっぱりあなた如き、魔王の座が相応しいわ」
「貴様の言いたいことがまったくわからんのは、我の理解力のせいか……?」
だが魔王とて馬鹿ではない。噛み合っていないとすぐに気づいた。
しかし王女が世界の頂点に立つ男の横に並ぶのが望みだと気づくには、情報があまりにも足りなさすぎた。魔王にとって王女は突如として現れ、自分を倒し、魔界に新たな掟を作り、四天王を指名した――まさに魔王である。
「姫様! どうして先代の元に……!」
首を捻る魔王の前に我が子が現れる。まだ幼い顔立ちの子を見て、魔王は一体どういう事態だとさらに頭を悩ませた。
本来ならば真魔王と化した後に食す供物だったが、今となっては食べることはできない相手だ。だからといって、我が子として受け入れることはできない。
魔王にとって、子は自身を高める道具であり、子を作る行為は義務だったからだ。
「先代様! 姫様は僕のお嫁さんにするので、手は出しませんように!」
「私の夫となるにはあなたはまだ弱い。弱すぎるわ。その程度の闘気で私に求婚だなんて身の程を知りなさい」
「手を出す気は毛頭ないが……貴様、本当にこの女でいいのか?」
「はい。姫様の強さ、気高さ、美しさ、そのすべてに心惹かれました」
魔王は子を子と思っているわけではない。親が子に向けるような愛情も持ち合わせていない。
だが魔王の子は魔王と同じ種族との間に生まれた子である。その容姿も魔王と似ている。
だからつい、考えてしまったのだ。
もしも自分が幼き時に王女と出会っていたら心惹かれたのかもしれないと――そして即座に否定した。このような女に心惹かれるなどあってたまるか、と。