王女の理想
その知らせは王女の願い通りすぐに魔界全土に広がった。
人界の姫でありながら魔王を打倒すほどの力強さと、我が身を褒美とする豪胆さに魔界に住む者は沸いた。
そして王女を苗床とするべく挑戦した者は虫型から人型に至るまで地に伏した。
「強い男はいないのかしら」
王女の求める相手はまだ現れない。
ぼやく王女の隣に立つ魔人が書類をめくりながら、小さく笑みを零した。
「魔王様」
「姫と呼びなさい」
「姫様。魔界を統べる者には四天王を決めていただく決まりがございます」
「あら、そうなの? 私の夫が決まってからでは駄目かしら」
「四天王は魔界において誉れある花形の職なのです。四天王の座を求めて研磨する者がいるほど。姫様の求めるものを育てるには必要不可欠な職かと思います」
「それならしかたないわね。民に職を与えるのは上に立つ者の職務だものね」
王女の視線が玉座の間を一周する。
新たな王からの命を待つ者たちが跪き、首を垂れていた。
「じゃあ、そこのあなたとあなた、それからあなたと……使い魔、あなたも四天王になりなさい」
「いえいえ、そんな! 滅相もございません」
蝙蝠の姿で椅子に止まっていた使い魔は慌てて首を振った。
四天王は誰もが羨む仕事だ。なにかに特出した者がなるべき職で、器用貧乏な自分が四天王などと畏れ多いと、心の底から拒否していた。
「あら、長く仕えてくれているあなたを労わってるのよ」
「姫様。四天王とは王を守る盾です。力なき者を就かせるべきではありません」
魔人も王女の適当な決め方に思わず口を挟む。
「力ある者が四天王となりたいのなら、その座を奪い取りなさい。任命したものは奪われないよう精進することね。――互いに切磋琢磨してこそ、より強い男は育つというものよ」
王女が決定を覆すことはないと見て取った魔人は恭しく首を垂れてから、四天王に任命された三匹と、驚きすぎて床に転がった蝙蝠を一瞥する。
魔人は力こそないが、知能の高さから宰相として重宝されていた。
真魔王の横暴に応えつづけた身としては、この程度の無茶振り慣れたもの。それでもあえて一度口を挟んだのは、この新たな王がいかなる人物かを見極めるためだ。
そして知恵ある魔人は王女を脳筋に分類した。
「姫様には魔力がありませんよね」
玉座の横に机を用意して執務をこなしていた魔人は、ふと思いついたかのように問いかけた。無論、今思いついたものではない。
前々から不思議に思っていたことを口にしただけだ。
「ええ、そうよ。それがどうかしたの?」
「魔力がないはずの姫様から並々ならぬ圧を感じるのはなぜかと思いまして」
「ああ、それは闘気ね」
「闘気……?」
耳慣れない単語に魔人はごくりと喉を鳴らした。
「戦いに身を置く者が纏う気迫よ。私ぐらいになれば、相手の闘気で強さを見極めることもできるようになるわ」
「姫様は人界の姫君でしたよね……?」
魔人の持つ知識では、人界の姫君は愛し愛され過保護に育てられるはずだ。間違っても戦いに身を置くような種類の人間のはずがない。
魔人の抱いた疑問は当たっている。なにも王女とて最初からこのような状態だったわけではない。
すべてはその生育環境に原因があった。
魔人の知識と違うことなく、王女は蝶よ花よと育てられた。
魔力がないため虚弱であると認識されていたので、過保護も過保護、一歩歩くだけで足元の石を取り除かれるほどだった。
そして「蝶のように美しい」「花のように可憐」と褒めそやされていた。
王女はそれを「蝶のように美しい」「蜂のように苛烈」と聞き間違えた。
その間違いに気づける者は王女のそばにはいなかった。
王女は人界を統べる王の子である。民の期待に応えられない者に王家の一員たる資格はない。
そう育てられた王女が、蝶のように美しくあるために美貌を磨き、蜂のように苛烈であるために武を磨こうと考えるのは当然のことだった。
しかし、そんな勘違いがいつまでも続くはずがない。
六歳にして王女は自分に向けられる言葉が蜂ではなく花であることに気がついた。
世界には毒を持つ蝶が存在し、棘を持つ花が存在する。
いかに美しくても、安易に手折られるような存在にはなるなと言い含められているのだと考えた王女は、以前にも増して鍛錬を行うようになった。
王女の勘違いに気づける者はいなかった。
しかも虚弱で儚げな王女自ら剣を持つ姿に涙する騎士が出てくる始末。誰も王女から剣を取り上げようとはしなかった。
王女十歳、さすがに少しおかしいのではと気づいた王が王女から剣を取り上げた。
王女はそれを「道具に甘えるな」と受け取った。無論、王女の勘違いに気がつける者はここでもいなかった。
そうして鍛錬に鍛錬を重ね、自己を高めてきた王女に闘気を見る目が備わるのは、もはや必然である。
「私を超える闘気を纏う男性こそ、私に相応しいわ」
勇者に振られ、魔王に振られた王女の理想は留まるところを知らない。
自分の持つ闘気に気圧されたのかもしれないと前向きに捉えていたせいだ。