打倒真魔王
勇者が五年の歳月をかけた道のりを、王女は一日もせずに果たした。
それも当然。魔王城までの道は使い魔によって示され、覗き続けた勇者の旅によって道中に生息する魔物の種類は判明している。
むしろこれで足を止める方が難しい。馬以上の脚力を持つ王女にとって、魔王城までの道のりは整えられた石畳のごとく快適なものだった。
魔王城にて勇者の取りこぼした魔物を一撃でのしながら、玉座の間に到達する。
厳かな扉を押し開けると、使い魔の言うとおり丁度魔王が復活しようとしているところだった。
闇がうごめきひとつの体に集結していく様は、見る者の不安を駆り立てる。生半可な精神の者であればこの時点で発狂していたかもしれない。
だが怒りに燃え、傷心で嘆いている王女に影響を及ぼすほどのものではなかった。たとえ平常心だったとしても、王女の屈強な精神を折ることができたかどうかは怪しいが。
そして黒衣を纏う、復活した魔王に王女はぴしりと指を突きつけた。
「魔王! 私の怒りを受け止められることを光栄に思うことね」
「……人の子か。勇者でもない者が我に立ち向かおうとは片腹痛い」
啖呵を切る王女に、魔王は血に濡れたような赤い髪をかき上げながら冷静に返した。
頭に生える一対の角は雄々しく、流れ出たばかりの血のように赤い瞳は冷徹な色を湛えている。その他にも纏う黒衣はこれまた黒い装飾で飾られていたりと、勇者と戦ったときよりも仰々しい出で立ちとなったその姿は、もはや魔王とは呼べない。
真なる魔王――真魔王と呼ぶのが相応しいだろう。
「加護などなくても、私にはこの拳があるわ。あなた程度、拳ひとつで十分よ」
「よく吠えたな人の子よ。我に一撃でも食らわせられたら、栄光ある苗床として重宝してやろう」
「あら、ずいぶんな自信ね。私に勝てた暁には、あなたを私の夫としてあげるわ!」
似ているようで違う思いを抱きながら、ふたりの力が交差する。
使い魔はそれを柱の陰に隠れて見守っていた。
そして三日三晩の死闘の末、玉座の間に立っていたのは――
「あなたは強かったわ。勇者さまよりも強かったのではないかしら」
悠然と佇む王女の足元には、手を前に伸ばした状態で倒れ伏す真魔王。
真と付くだけあって、その魔力は他の追随を許さぬほどだった。だが相手が悪かった。
魔法は相手の魔力に干渉することによってその心身に影響を及ぼす。そのため魔力のない王女は魔法の影響をほとんど受けない。
たとえすべてを飲み込む黒闇を生み出そうと、灰すらも残さず燃やす炎を生み出そうと、王女の体に傷ひとつ付けることはできなかった。
だが真魔王は魔法が効かないとわかればすぐに手法を変える頭を持ち合わせていた。
自分の城を破壊することによって、降り注ぐ瓦礫を作り上げた。そして床を打ち抜き、石つぶてを王女に放った。
数多の魔法を駆使する真魔王は時戻しの魔法にも精通しており、壊した天井や床はすぐに復元し、無限の瓦礫を手に入れた――かに思えた。
だがしかし最後に立っていたのは王女だった。
飛び交う瓦礫をものともせずに真魔王と肉薄し、何度も拳を振るった。魔力と技術こそ特級品な真魔王であっても、防護壁すら空気同然に扱う拳を前になす術はなかった。
それでも三日三晩耐えたのだから、さすが真魔王と言うしかない。伊達に真と付いているわけではないことがよくわかるだろう。
迫りくる蹴りと手刀をいなす真魔王の額に浮かぶ汗を王女は見逃さなかった。押せばいけると確信した王女の猛攻は凄まじく、追い詰められた真魔王は身を翻し玉座の間の最奥にある扉に向かおうとしたのだが、背中に強い衝撃を受け、地に伏せることとなった。
「あなたは私に負けたわ。だけど、あなたのように強い男を私は望んでいるの。ねえ、私の夫にならない?」
「……人の子よ」
「なにかしら、マイダーリン」
床に這いつくばる真魔王の背中を踏みにじりながら、渾身の求婚の言葉を口にする王女に真魔王は口角を上げ、自嘲するような笑みを浮かべながら答えた。
「貴様のような女、願い下げだ」
王女人生二度目の失恋だった。