表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沙州遊行記~紅砂の城市~  作者: 天水しあ
最終巻「旅の終わり」
67/68

「最後の舞台」

 鳴沙山から敦煌とんこう城内までの一本道を急いだが、沙州賓館さしゅうひんかんに着いたのは夜の舞台が始まる直前だった。あわただしく座員たちが動き回る後ろで、茗凛めいりんは帰りが遅れたことをおかみに詫びたが、「ま、仕方ないさ」とおかみは咎めることなかった。それだけではなく、

「おまえ、今日の舞台に立つかい?」

 神妙な面持ち。これは「本気」の顔だ。

 夜の舞台に出ていいなんて、たとえ賑やかしの一人としてだって一度も言われたことはない。まして独り舞台なんて――茗凛はひどく驚いた。

 それに今日は一日出歩いてくたくたで、お尻と足がすごく痛くて、横になったらすぐさまぐっすり眠れそうだ……なのに。

「はい!」

 茗凛は、しっかりと頷いていた。

「じゃあすぐに準備しな」というおかみの言葉に、慌てて踵を返す。

 そこへ思按しあん珂惟かい琅惺ろうせいを従えてやってきた。

「では私たちはこれで失礼します。本日は帰りが遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。また急な頼みを快くおききいただき、本当にありがとうございました」

 思按がおかみに深々と頭を下げる。おかみは眉を寄せ、

「まあまあ思按さま。じき舞台が始まりますから。休憩がてら、ぜひ。お茶を用意させますから」

 その提案に思按は首を振り、

「せっかくのお言葉ですが、十戒(出家者が守るべき最低限の規則)には『歌舞を観聴してはならぬ』という一項がございますゆえ。申し訳ございません」

 そう言うと、またしても深々と頭を下げた。琅惺と珂惟もそれに倣う。

 ゆっくり頭を上げた思按は、「では行こうか」と傍らに立つ琅惺に声をかける。そこでふと、思いついたように珂惟を振り返り、

「おまえはまだ行者でしかないから、我々に従う必要はない。これまで散々世話になったようだし、何かしたいというなら、それを果たしてから帰るがいい。ただし舞台が終わったらすぐに戻るように。よいな。――では私どもはこれで」

 珂惟に念押しすると、思按はまたしても再びおかみに丁重な礼を残し、琅惺だけを連れて歩き出した。

 茗凛の脇を通りかかった思按は足を止め、

「明日の出立は早い。無駄に引き止めてはならんぞ。舞台が終わったらすぐに珂惟を帰すように」

 じろりと妹を見た後、背筋を正して足早にその場を去った。琅惺は苦笑しながらその後を追っていく。

「ほら急ぎな」

 おかみにどやされ、茗凛は急いで、今度こそ踵を返す。

「何か手伝います」と珂惟の声。

 それに対し、「いいから、今日はしっかり観ていっておくれ」と応えているのが聞こえた。


 茗凛が舞台に立ったとき、舞台前の長椅子には多くの観客が座っていた。珂惟は最後列に一人立っている。暗がりなのでその姿はおぼろげだが、穏やかな表情でこちらを見ている気がして、茗凛は小さく頷いた。

 三兄さんにいの鼓が高らかに鳴る。次第に早くなるその音に重ねるように茗凛は回り、裙子スカートを翻す。観客に等しく笑顔で視線を投げながら、唯一珂惟だけは捕らえられない。だけど彼がまっすぐに自分を見ていることは、分かる。その視線が、胸を温かく満たしていく。

 彼は、本当にたくさんのものを私にくれた。私自身が知らなかった私を教えてくれた。この、言葉では言い尽くせない感謝を、伝えたい――ゆるやかに交差する両手は、ただ一点を目指して延べられた後、ひそやかに彼女の胸元に返る。それは祈りの姿に似ていた。

 やがて舞台を終えていた霞祥が小皿と、注ぎ口の細い水瓶を盆に載せ、しずしずと舞台に現れる。用意された小皿を茗凛が軽快に頭上へと積み上げると、霞祥が優雅に水瓶を高く引き上げながら、一番上の皿に水を満たしていく。

 観客がどよめく。

 どよめきは茗凛が旋廻を始め、その回転数が上がっていくにつれ、楽団が床を踏み鳴らす音を掻き消すほどに大きくなっていく。

 ダンッ! 

 楽団が両足で強く床を蹴って音を止めたと同時に茗凛も止まる。ゆるやかに舞台の前に進み出て、頭上から小皿を取り上げ、水を零して見せると、「おおっ」という歓声と盛大な拍手。茗凛は頭上に小皿の山を残したまま、大きく両手を開くことで、その声に応えた。拍手喝采はいっそう大きくなり、観客は立ち上がって「好!」と声を上げながら、大きく手を打っている。

 いつしか前に進み出ていた珂惟が、惜しみない拍手を送ってくれるのが見えた。優しげな表情で頷いて見せた彼に頷き返したとき、涙がこぼれた。


 それからも歌や踊りが続いたが、やがて「ついに最後の演目となりました」と座長が現れた。

 「ええーっ」というある種儀礼的なあいづちに丁寧に頭を下げると、

「これからやります演目は、『動物の踊り』という、こちらでは大変著名な踊りで、身近にいる動物の動きを真似て作られたものです。非常に簡単、かつ楽しい動作のものばかりですから、どうでしょう? 一緒に舞台に上がって踊りたいという方はおられませんか?」

 舞台に上がってくれる観客を募ったとき、

「はい、はい。俺やりたい!」

 そう勢いよく手を上げたのは、珂惟だ。

 「いいぞー兄ちゃん」「行け行けー」葡萄酒ですっかりいい気分になっている観客たちが、陽気な声を上げる。その温かい? 歓声に応えるように、手を振りながら軽やかに舞台に駆け上がった珂惟は、茗凛の側によると、耳打ちした。「綺麗だったよ」

 最後の舞台は、かつてないほどに盛り上がった。

 最初こそ「どうやるの?」と戸惑いを見せていた珂惟だったが、すぐにそれを覚えてしまうと、動作を大げさにすることで観客の大爆笑を誘い、客を次々と舞台に上げては、一緒にでたらめに踊り、歌い、大声で笑う。「あいつ、酒でも飲んだのか?」といぶかる三兄から鼓を奪って軽やかに叩いて見せたのち、茗凛の手をとって一緒に踊った。

 そうして賑やかなうちに舞台は終わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ