「砂漠の大画廊」
そして翌日早朝、四人は城外に出た。
茗凛は、莫高窟観光に行く珂惟と琅惺についていくことになった。「女手があったほうがいいこともあるだろう」という上座からの言葉だと思按は言う。
「やっぱり大勢の女の人と接していたからかな。以前の上座からは考えられないお言葉なんだけど……」
茗凛は、横に並ぶ思按に、そう声をかける。
かつて境内で二言三言、笑顔で自分と言葉を交わしている姿を見られた然流が厳しく叱責されたと言っていたのに……。
すると思按は、「どうやらそのようだな」と苦い顔を見せる。だが急ぎ取り繕うように、
「いやしかし。博識ぶりは相変わらずでいらっしゃる。今は病床で胡語の経典を広げられている。決して堕落されたのではない」
「しなやかになったってことよね?」
「しなやか……なるほど、そういうことだ。おまえもいいことを言うな」
それは兄さんもね、と茗凛は思う。いくら上座の言葉とはいえ、あの厳格な兄が、一日の勤行を放り出して二人を観光に連れて行くなんて。しかも茗凛まで連れて。昔の兄なら断固断るか、明らかに嫌そうな態度を見せていたことだろう。まして茗凛を連れて行くなど、ありえないことだった。
城を出れば、たちまち砂漠地帯になる。
振り返ると、土壁に囲まれた敦煌城市が砂の海にポツリと浮かんでいる。あんな小さな中に、人々の喜怒哀楽があるのだと思うと、不思議な心持がする。
並んで馬を進めていた珂惟が、はるか前方に目をやりながら独り言のように言う。
「胡楊樹、綺麗だな……」
視線の先を追うと、巨木といえるほどに育った胡楊樹の葉が、見事な黄金色に染まっている。灼熱と砂ばかりがあるこの国境の城市を走り抜ける秋を知らしめてくれる、その雄大な老木を茗凛はただただ見つめた。膚を焼くような日差しには、かつてほどの勢いはない。すぐに身を切るほどの寒さが敦煌にやってくる。観光客のいなくなった閑散とした城市の中で、夏の熱を冷ますかのように、皆がひっそりと生きる季節が来るのだ。
――そして、彼らも居なくなる。
茗凛は傍らで言葉をかわしあう二人を見た。
あれだけ毎日会っていたのに、明日にはもういない。耳慣れた「じゃあまた明日」の言葉を聞くことは、もう二度とないのだ。
莫高窟に着いたのは昼前である。
四人は胡楊樹の木陰でおかみが用意してくれた焼餅やら果物やらで食事を済ませた後、少し休憩してから莫高窟見学に向かうことになった。
久々に馬に乗ったので、お尻が痛い。立ち上がったとき、「いたた」思わず声が漏れてしまった。珂惟がこちらを見てニヤリと笑うので「何よ!」と言い返したら、思按がわざとらしく咳払いした。
莫高窟は、敦煌から南東二十五キロにある仏教遺跡である。断崖を開削して作られた大規模な石窟で、三六六年に一人の僧が造営を始めたのが最初といわれる。大小に穿たれた窟内には、有名無名問わない数多の仏教者が石仏を彫り、鮮やかな壁画を描いた。その規模と美しさはのちに『砂漠の大画廊』と称えられた。
「すっごいな……」
「うん、壮観だ……」
澄んだ青空の下、白茶けた山に穿たれた無数の穴を見上げながら、珂惟と琅惺はしばし茫然と立ち尽くしていた。そんな二人を思按はしばらく見守っていたが、
「そろそろいいか。中はもっと素晴らしいぞ」
思按の後に二人が続き、茗凛はその後ろについた。一応仏教信者である茗凛にしてみたら何度も来たことのあるところなので特に思うことはないのだが、先を行く二人は新たな石窟に足を踏み入れるたびに、「凄い」「おおっ」と歓声を上げている。石窟内は、外の暑さが嘘のような涼しさだ。
そんな中で、様々な表情を見せる仏像は、鮮やかな朱色や高貴な白色、明るい翠色、深い青色で彩られている。それだけでなく仏像の台座や壁面全てに至るまで、多彩な色で天女や鳥や植物、大小さまざまな仏像が、ところ狭しと描かれていた。
壁の三面に色鮮やかな脇侍菩薩を従えた仏が安置され、壁面から天井に至るまで小さな仏がぎっしりと描かれた石窟に入ったときには、二人は言葉を失った。ただただ無言で、窟内を歩き回り、時に目を凝らし、天上を見上げている。静寂のときが流れることしばし、琅惺がふと呟いた。
「山を穿ち、形を成し、色をつける。この、気の遠くなるような工程のなかに、人々の尊い祈りを垣間見たような気がします」
それから丹念に石窟を回り、日が傾きはじめたころに莫高窟を後にする。澄んだ濃紺の空の下に広がる砂漠を、ひたすら西に進む。皆が無口なのは、照りつける日差しのせいだけではないと茗凛は思う。
時々木陰で馬を止め、水を取りながら一行は西に向かった。




