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沙州遊行記~紅砂の城市~  作者: 天水しあ
巻の六「夜更けの潜入」
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「一人より二人」

 その夜。

 昼間と同じく法恩寺の北東角に、珂惟かい茗凛めいりん、二人の姿があった。

 女たちが閉じ込められていると確信した珂惟は、夜半に寺に忍び込み様子をみてくる、と言った。それについていく、といったのは茗凛だ。

 「ダメに決まってるだろ!」と言う珂惟に、

「私の身軽さは、あなただって毎日よーく見てるじゃない。絶対足手まといにならないから! 邪魔になると分かったらすぐに逃げるから! 一人より二人って言うじゃない! それに、もし本当に女の人がいるなら、女の私がいたほうが絶対にいいって!」

 などとまくし立て、「胡語も話せない若い男がいきなり現れたら、きっと女の人達はおびえて大騒ぎよ。そんな事態になったら、どうするつもりなの?」と畳みかけたら、それを危惧していたのだろう珂惟は渋々ながらの承諾した。

 夕方いったん珂惟と別れたあと、夜の舞台の雑務を無難にこなした。舞台後は、なし崩しのようにやんやの飲み会となるところを、いつもどおりに「未成年だし仏教徒なので」と言って、席を立つ。

 同じく仏教徒の霞祥かしょうも「お酒はたしなみませんので」と席を立つのだが、今日は舞台後、霞祥にやけにまとわりつく旅人がいた。いつもなら悪い虫を率先して追い払う茗凛なのだが、「ねえさんごめん」と心中で詫びつつ、「初めての敦煌とんこうにいらっしゃったんですね! じゃあ姐さん、お茶でも飲んで色々お話をきかせてあげたら? 私は一人で大丈夫だから」と言うなり、その場を逃げた。

 急ぎ離れに戻り、みんなで雑魚寝する部屋の奥に人型に荷物を詰め込んで、布をかけ、寝ているふうを装った後にそこを出る。

 沙州賓館の敷地を一歩出ると、そこには珂惟が待っていた。

 「遅いぞ」などと憎まれ口を叩かれたが、挨拶みたいなものだ。「ごめん」茗凛は肩をすくめてみせた。


 当時、夕刻の閉門後は城内での自由な出歩きが禁止されており、違反者は厳罰に処された。しかし異国からの来客も多い最果ての地、ここ敦煌では、そのような法は名ばかりのものとなっており、人々は好きに行きかっていた。日の長い夏の間は尚のことだ。

 丸い月が昇る空には、まだ薄い青色が残っている。日の落ちた敦煌の城市まちには涼しい風が渡り、昼の暑さに息をひそめていた人たちも続々と外に出てきた。

 家先に長椅子を出して碁を打ち始める老人、おしゃべりをする女たちに走り回る子どもたち。敦煌の一日はこれから始まるのかと思うような、活気溢れる時間だ。

 市場もそれは賑やかだ。美味しそうな匂いがあちこちから流れ、歌い笑う声がひっきりなしに続いている。時折喧嘩の声も聞こえるが、行きかう人々の足取りは軽やかだ。だのに茗凛は一歩踏み出すごとに心臓が高鳴っていく。進むほどに法恩寺が近づいていってるのだ。

 ついていく! と言ったのは自分だ。だけどやっぱり怖い……。あんな、人をさらってしまうような人たちのところに忍び込むなんて。もし見つかったら……。

「いたっ!」

 声が出た。いきなり止まった珂惟の背中にぶつかったからだ。

「何よ、もう!」

 ぶつかった鼻をさすりながら茗凛は非難の声を上げる。だが、振り返った珂惟の硬い表情に、次の言葉が出なくなってしまう。

 珂惟は少し難しい顔をしていたが、やがて意を決したように口を開き、「やっぱり、おまえは来るな」

 心の中を見透かされた焦りを払うように、茗凛は大きな声で、

「何言ってるのよ、いまさら! 苦しんでる女の人がいるのを同じ女として見過ごせないでしょっ!」

「おうおう痴話喧嘩か、いいぞ姉ちゃん」

 そう囃したててきた酔っ払いを、茗凛はキッと睨みつける。すると酔っ払いは「おおコワ」と肩をすくめ、行ってしまった。

 向き直ると、珂惟もこちらに向き直っていた。

「やっぱり、おまえは戻ってろ。琅惺ろうせいたちにはああ言ったけど、そんなに簡単な話じゃない。もしおまえに何かあったら――俺は悔やんでも悔やみ切れない」

 あまりに真剣な顔と声に、茗凛は言葉が出ない。珂惟は続けて、

「それに俺だって、本当は……」

 言うなり、茗凛の手を握る。「ちょっと!」という声は喉で消えた。その手がじっとり湿っていたからだ。茗凛が目を向けると、珂惟は小さく笑い、

「な? 俺だってこうなんだから、おまえがそう思うの無理ないよ。だから……」

 そう言うと、茗凛の手を解いた。茗凛は反射的にその手を握り返し、

「じゃあ何で珂惟は行くのよ?」

 予想外の問いだったのか、珂惟は言葉に詰まった。だがおもむろに口を開き、

「今、おまえも言ったじゃないか。『苦しんでる人がいるのを見過ごせない』って。後から、『ああすればよかった』って悔いる自分を見るのは、嫌なんだ」

「私も同じ。だから、一緒に行こう? 一人より二人だから!」

「だけど」

「大丈夫、危なくなったらすぐ逃げるから。『三十六計逃げるに如かず』って言うじゃない。私の身軽さと足の早さは分かってるでしょ?」

 茗凛の言葉に、珂惟は初めキョトンとしていたが、やがて表情を和らげ、「おまえから兵法を聞かされるなんてな……」誰に言うともなく呟くと、

「おまえってホント……」

「――ホント、何?」

「いや」

「そこまで言って、だんまりはないでしょお?」

 茗凛が怒り出すと、珂惟は声を上げて笑った。不満げな茗凛を見て、ひとしきり笑うと、

「じゃあ、行こうか?」

「うん」

 茗凛の左手を握ったまま、珂惟は歩き出した。 

 


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