「不慮の事故」
翌日。
今日も大勢の旅人が砂漠を越え、城門をくぐって敦煌の城市に足を踏み入れる。この中のできるだけ大勢が沙州賓館に足を向けるよう、魅力ある歌や踊りを披露する――それが賓館お抱え一座たる茗凛たち史一座の「仕事」だった。
紅柳で染め上げた深い紅色をまとった茗凛が、笑顔で観衆の前に立つと、みなが拍手。長いこと砂の海しか見ることができなかった人々は、これからどんなに美しく楽しいものが見られるのだろうと興味津々だ。そんな人々の目を受け止めながら茗凛は思う。
宿に泊まってもらうのは、もちろん大事。それでお金をもらってるんだから。
だけどこの灼熱の中を来てくれた人に、苦難の道のりを忘れて元気になって欲しい。そしてこの「敦煌」の城市を好きになって欲しい。たった一度すれ違うだけの細い「縁」だったとしても、ここでのほんのひとときが、いつか心を温める思い出になってくれれば――。
三兄の鼓の音に、茗凛が軽快に足を捌く。人々は頭上の小皿に目が釘付けだ。ぐらりと揺れたときには「わあっ」という悲鳴が聞こえる。しかしそれを「わざとです」とばかりに茗凛が茶目っ気ある笑顔を見せ、さらに小皿を積んだときには、今度は歓声が上がる。
音楽が止むのと同時に足を止めると、沸き上がるような拍手が起こる。それを受け、茗凛は胸がいっぱいになる。唇をぐっと噛み締めながら、両手を広げて挨拶をし、天幕に下がった。
「お疲れ!」
両手を広げて迎えてくれた珂惟の表情に、思わず笑みがこぼれる。おかみも満足そうに何度も頷いていた。霞祥の可憐な演技は相変わらず美しく、全ての演目が終わることには、相当数の観客が集まっていた。「今年一番の入りじゃないのかい?」おかみはホクホク顔だ。
片づけをしていると、宿の人間がやってきた。かなりの客が入ったそうで、みな口々に「門前の踊りがよかった」と言ってきたそうだ。なので「ご褒美」として新鮮な果物や干葡萄などが差し入れられた。
女たちが飲み物を用意する中、男たちはさっそく干葡萄に手を伸ばしている。
「くぅーっ。この甘酸っぱさがいいよね」
「おまえ、最初酸っぱいって文句言ってただろ」
「だって長安で食べる干葡萄は全部甘かったからさ。酸っぱさがあるなんて思ってなかったからびっくりしたんだって! でもこの暑さには酸っぱさ必要だよ、疲れも吹っ飛ぶしね。いやあ、敦煌の干葡萄最高!」
「調子よすぎだって」
男たちがゲラゲラ笑っていたときだった。突然バタバタと荒い足音が聞こえてきたと思ったら、乱暴に幕が開き、然流が飛び込んできた。
「大変です、思按さまと琅惺さんが!」
「いいから先に行って!」
一緒に天幕を飛び出したものの、どう考えても自分の足が遅いことに気づいた茗凛は、先を行く珂惟に向かい、そう声を張り上げた。振り向いた珂惟が少し足を緩める。と思ったらガッと茗凛の手首を掴み、
「行くぞ!」
言うなり、前を向いて走り始めた。「待ってくださいよー」然流の気の抜けた声が、どんどん遠ざかっていく。
大路をまっすぐ駆け抜け、右街に入ってすぐの角を曲がって、法恩寺の門が見えてきたとき、ようやく珂惟が足を止める。多少は体力に自信を持っていた茗凛だったが、その自信はもはやズタボロだ。珂惟は多少息が上がっている程度だと言うのに、自分は大きく呼吸する以外できない状態だった。足もガクガクで、自力でまっすぐ歩くことが難しい。何度も転びそうになったが、そのたび引っ張り上げられて、どうにか無事にたどり着いたのだ。
足早に進む珂惟に、茗凛は引きずられるようにしてついて行く。というか連れて行かれ、寺の門をくぐった。




