「決別」
三人の足音が遠ざかり、やがて消えていくと、部屋には重い静寂が落ちる。琅惺以外の鋭い視線は、父娘に注がれ続けた。集まる目に耐えかねたかのように、父は娘を振り返ると、
「どういうことなんだっ」
低い声が口早に問う。彩花はうなだれたままだったが、父に重ねて問われると、
「だって……」
震える手で口元を押さえながら、
「旅行に来て、道が分からないから、教えてくれって、言われて……」
「見ず知らずの男に話しかけられても相手にするなと言っているだろう!」
切れ切れで、消え入りそうな彩花の声が、父の叱責の声に掻き消される。その大きな声に、彩花はいっそう身体を震わせながら、
「――だって………琅惺さん、私のことは避けてるのに茗凛とは普通に話してるから……きっと私が、男の人と話慣れてないから、いつもうまくいかないんだって、思って……」
涙ながらに絞り出された声に「なんという恥知らずな!」と父がいっそう声を荒げたが、彩花はただただ泣くだけだ。父はいらいらと身体を揺らせると、突如琅惺を振り返り、
「だったら、おまえはどうして黙っていたのだ。おまえにもやましい気持ちがあったからではないのか! 娘に、こんな恥をかかせて、男としてなんとも思わないのか!」
「――あんたそれ、本気で言ってんの?」
珂惟が声を僅かに震わせながら彩花の父親を睨む。「おぬし、その口の利き方は」と慌てて止めに入ろうとする上座を降り切ると、言い放った。
「あんたの娘に恥をかかせたくないって思ったからだろ! 自分が本当のことを言ったら、彼女の嘘がバレてしまう。怖い目に遭った彼女を思いやって、場合によっちゃこれまでの修行がいっさい無駄になることも投げ打って、あんたの娘をかばったんじゃないか!」
「――馬鹿馬鹿しい!」
父は吐き捨てるように言うと、珂惟に背を向け、
「あんな、下賎なところ出入を許したばかりにこんな、恥知らずな娘になりさがって! 帰るぞ! おまえは当面外には出さん!」
いっそう激しく泣き出した彩花の手を強引に掴み、父親は部屋を出て行こうとする。すると珂惟がその前に立ちふさがった。
「あんたの娘がついた嘘で、振り回された人間がいるんだ。――琅惺と茗凛に謝れ」
「くだらん」
「なんだと!」
言うなり珂惟が父親の襟を掴む。「何をする!」悲鳴に近い声を上座と父が上げたとき、
「珂惟、やめろ!」
琅惺の声が飛ぶ。彼は大股で珂惟に近づき、その手を掴むと、
「いいから、もうやめろ」
今度は静かな声で言う。「だけど!」声を張り上げる珂惟の手を強く握り、
「――私は、君に、たとえ一時的であってもこんな程度になんか落ちて欲しくない」
きっぱりと言い放つ。珂惟は忌々しげに小さく舌打ちすると、握っていた襟を離した。
彩花の父親は顔を強張らせたまま襟を整え、「まったく、なんたる連中だ」とうそぶくと、強引に彩花を引っ張り、大股で部屋を出て行く。老人たちを送って帰ってきた然流が、そのただならぬ剣幕に慌てて道を開けた。
「彩花!」
気づいたら、茗凛は部屋を飛び出していた。その声に、父親が足を止める。冷ややかな目に心がさっと冷える。右手で胸を強く抑えた。飛び出しそうになる感情を必死に押さえながら、父親の影に隠れようとする彩花の目をじっと見つめて、
「私、彩花が一座に出入してくれるようになって、本当に嬉しかった。別世界のお嬢様からしてみたら、卑しい芸妓でしかない私の踊りを好きだって言ってくれて、元気になるって言ってくれて……私は、私よりずっと器用で心配りのできる彩花のことすごいなっていつも思ってた。大事にされてる彩花をうらやましく思ったりもした。心配させられたり、喧嘩もしたりもしたけど、それでも私は彩花が好きだったし、一緒にいるのは楽しいって思ってた。でも――彩花は、違ってたんだね」
涙が、頬を伝って顎から滴り落ちる。だけど茗凛はにっこりと笑い、きっぱりと言った。
「さようなら。彩花お嬢さま」




