「無垢の危うさ」
珂惟は歩を緩めて茗凛に並ぶと、声をひそめて、
「実はあの建物に、なんかヤバい代物を隠してるんじゃないか。たとえば――密輸品、とか」
ありえない話ではなかった。敦煌は国境の城市であり、異国との交流が盛んなのだ。しかも異国の品は長安では高く売れるのだから、法を破る者は少なくはない。
しかし。
「まさか。だってそんなの出し入れしてたら、さすがに分かるじゃない。寺ぐるみってなら分かるけど、少なくとも兄さんは、そんなこと許さないわよ」
「それはそうだけど……。じゃあ地下に秘密通路があるってのはどうよ? そこから品物を出し入れすれば、人目にはつかない」
「ないでしょそんなの。だって地下道なんて掘ってたら、それこそ気づくでしょ。いくら行者や寺人が追い出されてるからって、沙弥や比丘は今でも寺に住んでるんだから」
「もともとあったとしたら? 秘密通路の存在は、寺外の人間には隠すものだろ。おまえの兄さん、確かに正義を曲げるのは大嫌いだと思うけど、鈍そうだからな。意外と気づいてないのかも」
……反論しようと思ったけれど、やめた。確かに。いちいちもっともだ。
二人はしばし黙って歩いたが、茗凛はふと思いつき、
「……。分かった、じゃあ兄さんに探りを入れてみるわ」
「――あの人口堅そうだけど」
「堅いけど、隠し事してるかどうかはすぐに分かるから大丈夫!」
「あー、あの人もそうだよな」
なるほど、確かに「も」だわ。茗凛はひそかに納得する。
「その建物に俺が近づけるといいんだけどな。そうしたらいくらでも探ってやるのに。でも俺はあの寺じゃ犯罪者並に監視が付いてるからな。下手に動いて、今以上に警戒されてもやっかいだ。どうするかな……」
そう言って珂惟は思案顔だ。茗凛はそんな珂惟を覗き込むようにして、
「じゃあ私が近づいてみようか?」
「部外者の茗凛が動いちゃ、かえって怪しまれるだろ。俺とおまえがつるんでいるのは知れてるし、何より、もしおまえに何かあったら、俺はまた兄さんにどやされちまう。――ヤツに頼むしかないな」
「ひょっとして、琅惺さんのこと?」
「そ。なんたってあそこに住んでいるんだからな。それに、あれだけ徹底的に近寄らせてもらえないんだから、まさか俺と繋がってるとは思わないだろ。それを逆手にとってやる――とはいえ、寺内を探るようにどうやって頼むか……講義帰りに捕まえることはできるけど、あの沙弥がくっついでるだろうし」
「分かった。それも任せて!」
茗凛はとんっと薄い胸を叩いてみせた。
しかし珂惟はにこりともせず、「まあ、それがいいとは思うんだけど……」言いながらも随分と真剣な顔をして、言う。
「でも……ちょっと気をつけろよ」
「大丈夫よ。琅惺さんが私の恩人だってことは寺の誰でも知ってるわ。朝の参拝時に挨拶がてら二言三言言葉を交わすことくらいなら、そう不自然じゃないわよ」
「それもそうだけど……」
「――そうだけど、何よ?」
言いよどむ珂惟を、茗凛は不審げに見上げる。珂惟はしばし逡巡してみせたが、
「おまえたち今朝、胡楊樹の下で話してただろ」
「やだ、知ってたの?」
「そりゃ気づくだろ。あんな樹皮の隙間から、おまえらの姿が見え見えだった。おまえの兄さんは気づいてなかったけどな。お小言が終わりかけたとき、彩花さんが来た道を戻ってくるのが見えた。――確実に見てたぞ。おまえらが楽しげに話してるのを」
「た、楽しげってそんな……」
慌てて否定しようとする茗凛の声に被せるように珂惟は声をあげ、
「まーおまえは客商売だし、琅惺も元々は愛想がいいヤツだからな。でも……」
「――でも、何?」
余りに続く沈黙に、茗凛は隣の珂惟を睨みあげ、続きを促す。珂惟は視線を外し、「はあ」とため息をつくと、「おまえらって、自分に関することには揃って鈍いからなあ」と誰に言うともなく呟く。「それどういう意味?」と目を吊り上げる茗凛の言葉に、珂惟はまた被せるように、
「俺もちょっと迂闊だった。まあとにかく、気をつけろよ。――さて、そろそろ戻るか。夜の公演の準備、しなきゃだろ」
そう言って珂惟は足を速めた。慌てて後を追いながら、茗凛は思い出していた。そう言えば霞祥姉さんも、彩花のことを言ってたっけ……。




