「踊り子」
夏の日が肌を焦がしてしまいそうな灼熱の中、行けども行けども尽きぬ砂の海。その果てにぼうっと浮かびあがってきた楼閣が、蜃気楼ではなく本物の城市であると知った旅人たちの喜びは、いかばかりだったろう。
付き固めた土で築かれた城壁と、その上に建つ三層の城楼が近づくに連れ、大きく開かれた城門から流れる伸びやかな音楽が、次第にはっきりと聞こえてくる。それに誘われるように彼らは、疲労しきった身体を励まし、城内を目指すのだ。
ここは砂塵舞う中国国境の城市『敦煌』。
時は唐二代目皇帝・李世民の御代。その威光は都・長安だけでなく、この地にまで及んでいた。彼の治世はのちに「貞観の治」と称えられ、理想の世とされた。平らかで豊かな時代、それが「今」である。
広大な砂漠を越えてきた旅人たちが城門をくぐると、待っているのは城市の人々の大歓迎。城門前の広場は、陽気な音楽や歌に混じって、客引きの声がかまびすしい。
「今日の宿はお決まりですか? もしまだでしたら、ぜひうちに! 寝心地のいい牀台をご用意しておりますよ」
「敦煌へようこそ! 何はさておき、まずは腹ごしらえを。みずみずしい果物はもちろん、敦煌名物『驢馬肉』もご用意しております。さあどうぞ! 店はすぐそこです」
そんななか、広場の片隅で一際大きな拍手喝采が起こった。幾重にもなった人の輪の中央には、紅い毛氈の上でにこやかに両手を広げて観客の声にこたえる一人の踊り子がいた。
深い紅色の上衣と同色の裙子が目を引くその少女は、頭上に小皿を重ねたまま微笑みを浮かべて膝を折り、しずしずと舞台を退場する。
すると踊り子の後ろ、城壁の影の中でとりどりの楽器を持った四人の男のうち一人が立ち上がった。現れたのは、笛を手にした初老の男。彼は愛想笑いを浮かべて観客を見回し、
「我が史一座の看板娘、『茗凛』の踊りはいかがでございましたか? このあとは敦煌一と称される美妓『霞祥』の踊りでございます。とはいえ、今からお見せするのはほんの一部。全ては今宵『沙州賓館』の舞台にて披露いたします。『沙州賓館』にお泊りのお客様のみがご覧いただける特別な踊りです! 新しくできたばかりの快適なお宿ですよ。夕食は敦煌名物を多数用意しておりますので今宵のお宿はぜひ! 『沙州賓館』をご利用くださいませ。――さあて、霞祥の用意が整ったようでございます。みなさまどうぞ拍手でお迎えを」
いつもの口上を耳にしながら、茗凛と呼ばれた少女は城壁影に設けられた天幕に入ろうとする。「天幕」と言っても、四本の柱を白い布で囲んだだけの簡単なものだ。
そこで今まさに出て行こうとする霞祥と出会った。彼女はにっこりと笑い、「よかったわよ」と言い残して舞台へと向かう。拍手はいつも以上だったし、姐さんは褒めてくれたし、「よくやった自分!」と大満足で天幕に下がった茗凛を出迎えたのは、しかめっ面で腕組みする中年女性だった。茗凛も負けじとしかめっ面をしてみせると、
「やだなあ、おかみさんってば。近年まれに見る渾身の踊りを披露できたのに、なんでそんな顔するわけ? まだ歓声が聞こえるでしょ。それに、ホラ」
言いながら茗凛は、頭上に重ねた小皿に左手を伸ばす。それをおかみの眼前につきだした右の掌に、カシャリカシャリと小気味いい音を立てながら一枚ずつ積み上げてみせ、
「今日は五枚も載せたのよ。最高記録じゃない。見てよ、一番上の水もしっかり残ってる。一滴も零してないかもね。自分でも怖いくらい回転もキレてたし、足も恐ろしくよく上がったわ。言われたとおり手の動きにもちゃんと気を配ったし。跳躍も高かったでしょ」
さきほどまでの軽快な打楽器が一転、外では弦楽器のたおやかな音色が響き出した。おかみは、汗を拭きながら、なおもぶつぶつ言う茗凛から小皿の山をひったくるように奪い、割れてしまうのではといえるほど乱暴な音を立てて傍らの高卓にそれを置く。そして茗凛の二の腕を、丸っこい指でがっちりと掴むと、
「おかみさん痛いってば!」
「いいから、ちょっとこっちに来な!」
引きずるように茗凛を入り口に連れて行き、そっと幕をめくった。