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沙州遊行記~紅砂の城市~  作者: 天水しあ
巻の三「出生の秘密」
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「父と呼べない人」

珂惟かいさんのおかげで、悪い連中が寄り付かなくなってありがたいことですよ」

 舞台が跳ねると、おかみはいつもどおり珂惟を天幕に招き、椅子に座らせる。最初こそ珂惟の来訪に戸惑いをみせていたおかみだったが、今やホクホク顔である。酔っ払いや因縁をつけてくる輩は、彼が穏便かつ毅然と追い払ってくれるため舞台がいつも平和で、客足が伸びているからだ。

「たいしたことじゃないですよ。あ、ありがとうございます」

 おかみが出す果物やらお茶やらを、珂惟はいつも背筋を正していただいた。

「珂惟さんは礼儀正しいねえ。それにひきかえうちの男どもと言ったら……」

 四面を囲った布の一面を巻き上げた天幕からは、城壁の影でだらりと寝転んでいる三兄弟と座長の姿が見えた。珂惟はそちらに目を向けながら、

「だってあの四人は、舞台の前も後も、葡萄作りを手伝ってるんでしょ? 俺は別段何もせず一日過ごしてますから、起きてて当然です」

「珂惟さんだって朝早くに起きて、寺の仕事をしたあとに舞台の準備を手伝ってくださってるじゃないですか。同じですよ」

 おかみは顔をしかめて首と手を何度も振った。そして、

「振る舞いもいいしねえ。きっと珂惟さんはお母さまがしっかりされてたんだね」

 その言葉に、珂惟はうっすらと笑みを浮かべ、

「……そうですね。母には、よくしてもらったと思います」

「おや? もしかしてお母さまは……」

「亡くなりました。もう十年になります」

「そうかい……。じゃあ、お父さまは」

「父は――気安くは呼べませんが、近くにおります」

 なんだか深い事情がありそうな珂惟の言葉に、こちらに背を向けているおかみは、さぞ複雑な表情をしているんだろうな茗凛めいりんは思った。

「なあ、思按しあんさんって、いつから法恩寺にいるわけ?」

 おかみの肩越し、声がかけられる。霞祥かしょうと一緒に舞台道具を片付けていた茗凛は、その手を止めて彼を見た。そうだろうとは思っていたけれど、微妙な話題でもなんら変わらない様子が変わらないことに少しホッとして、

「十年くらい前からって聞いたけど。一緒に住んでなかったから、昔のことはよく分かんない。そもそも父親違いだし」

「そうなの?」

「そ。兄さんは母さんの最初の夫の子供。ちなみに母さんは、五年前に二度目の結婚をして今は瓜州かしゅうにいるのよ。相手が都督府(要地にある大規模な州の長官『都督』の治所)に勤めるお役人だったから、それについていったの。一緒に来るかって言われたけど、どー考えても私はお邪魔そうだったから、丁重にお断りしました。私は生まれたときからこの一座にいるから、別に寂しくもなかったし。私の母さんは、おかみと一緒でここの舞妓だったのよ」

 平和な御世ではあったが、隋・唐の激しい戦乱の痕跡はなお色濃く残っており、人の出入が激しい国境の城市まちでは、家族離散もそう珍しいことではない。残された者を庇護するのは、この小さな城市では当たり前のことだったのだ。政治が平らかで、物資豊富なオアシス都市であることが幸いしているのは確かだが、国の最果てで暑寒の厳しい砂漠地帯に住む人々は、どの時代でも助け合い、励ましあって、身を寄せながら生きてきたのだ。

「でね、母さんがここを発つ直前に初めて聞かされたのよ、『おまえには兄さんがいるから、困ったら頼りなさい』ってね。で、母親に法恩寺に連れて行かれて初めて兄さんに会ったんだけど、あっちも私のこと知らなかったみたい。すんごいビックリして、しばらく口が開きっぱなしだったんだから」

 五年前のことを思い出したのだろう。茗凛は悪戯っぽい笑みを浮かべた。そしてとってつけたように、

「ちなみに私の父親は東からフラッとやって来た行商人で結婚もしなかったそうだから、顔も名前も知りません」

「……意外と苦労人なんだ」

「意外とは随分ね。その言葉、そっくりそのままお返しします」

 そうして二人はからからと笑った。にわかに珂惟が立ち上がり、

「そうだ茗凛。前に言ってた評判の焼餅ナンの店、連れてってくれよ。おかみさん、ちょっと茗凛をお借りしていいですか?」

「ああ、夕方の舞台までには帰っといで」

 訊いちゃいけないことを訊いてしまった、という罪悪感を滲ませているおかみは、珂惟の申し出をすんなり受け入れた。


 住宅街に入ったところで、茗凛ははあっと大きく息をつくと、

「おかみさん、騙されてるよねえ。ホント猫被りが上手なんだから」

 隣の珂惟を横目で睨みながら言う。珂惟はそれを流しながら、

「ばーか。年長者とおまえとで、同じ対応するわけないだろ。当たり前すぎる話だ。でもさ、おかみさんって茗凛の母さんの同期ってことは――もしかして若い?」

「そうねー。まだ四十にはなってないかな」

「まじかよっ! てっきり五十近いのかと……でもあのおかみが舞妓……信じられん」

 珂惟が想像しているだろう姿が茗凛の脳裏にも浮かぶ。あの、恰幅のいいおかみが舞台衣装を着て、くねくねと踊る姿が――吹き出したのは同時だった。

「おま、何笑ってんだよ、おかみさんに失礼だろ!」

 言いながらも笑う珂惟は涙目だ。茗凛は、

「自分だって笑ってんじゃん!」

 おかみさんに悪いと思いながらも茗凛は、なかなか笑い声をとめることができなかった。


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