「特別な誰か」
それからというもの、珂惟は毎日のように史一座へとやってきた。
最初こそ珂惟の腕に恐れをなしたのか、「俺ら、『沙州賓館』の葡萄畑を手伝いに行かなきゃだから」と、そそくさと舞台道具を運び出していた三兄弟たちだったが、そのうち珂惟の気さくさと巧みな話術にだんだん打ち解け始め、楽器を触らせてやったり、女はひっこんでなと内緒話をしたりと楽しげだ。
「珂惟兄が敦煌に来たとき、あのガタイがいい男を一発で倒したじゃん。あれってどうやんの?」
三兄弟の中でも、珂惟の一つ年下の三兄は特に彼になついていて、なんだかんだとその回りをうろちょろしている。
「俺あんま体が大きくないからさ、力では押せないんだよな。だから相手の力をうまく使いつつ、点穴に打撃を入れてるだけなんだ。いわゆる急所ってヤツ」
「すげえ、今度それ教えてよ!」「俺も聞きたい!」「俺も!」
騒ぎ出す三兄弟に珂惟は笑顔で「いいよ」と答えている。
昼飯時には彼の食器が加わるようになり、食後だけでなく舞台後まで珂惟を囲んでダラダラと馬鹿話を続ける三兄弟は、しばしばおかみや座長に「おまえたち、さっさと畑に行きな!」とどやされた。
霞祥はといえば――。
「あら珂惟さん、袖がほつれてるわよ」
「ホントだ。いつのまに」
「直してあげるから、上着を脱いで。さあ」
「ありがとうございます!」
珂惟から上着を受け取った霞祥が、荷台に積まれた荷物から針を取り出し、木陰に腰を下ろす。
「あら。この上着、他にも直した方がいらっしゃるのね。綺麗な縫い目だこと。珂惟さんの大事な方のお手かしら?」
「俺みたいな儒子なんか、まともに相手してもらえない傾国の美女のお情けです。今の霞祥さんみたいな」
「あら、お上手」
「本当ですって」
三兄弟たちが、賓館に持ち帰る荷物を荷車に運び込むのを手伝いながら、茗凛はチラチラと二人の様子を伺っていた。針を動かす霞祥の隣で、珂惟が何かしら話しかけている。霞祥は時々頷き、時々目をあげて珂惟に答えていた。
目を合わせて笑いあってるじゃない、あの二人。まるで長い付き合いみたいな自然さで。なんか……仲良し……。
姐さんは本来面倒見がいい人だけど、他人、特に男性には、多分余計な誤解を招かないようにだろうけど、ニッコリ笑顔で「敬して遠ざく」を貫く人なのに……そんな姐さんに、あんなに近づけるなんて。
にわか参拝客に笑顔を見せたり、姐さんに甘えたり、私に飲みさしを渡してきたり――誰に対しても、同じ。
それはつまり、みんなとは違う「誰か」がいるってこと……じゃないのかな。
「おい茗凛!」
声にハッとすると、眉間に皺をよせた三兄が「早く荷物を寄こせ」とばかりに、荷車の傍らから両手を突き出している。
「あ、ごめん」
押し付けるように三兄に荷物を渡すと、茗凛は踵を返し、背後の笑い声から逃れるように、天幕の中に入った。
一座の誰もが珂惟がいるのは当たり前、としているそんな中、ただ一人だけ、彩花は珂惟に対して固い対応を見せていた。
「琅惺様はいかがされてますか?」
珂惟が現れるようになってしばらく、彩花は珂惟にそんな質問をしていたが、
「いや、最近会ってないから分からないや。あっちは優秀な留学僧で、こっちはただのお付きのもの、だからさ。今は住んでるところも違うし」
彼が笑いながら答えると、至極納得、とばかりに大きく頷き、その後は挨拶程度の会話を交わすばかりになった。
そんな彩花を見て霞祥は不思議そうに、
「珂惟さんには興味がなさそうねえ。素敵な人だと思うのに、どうしてなのかしら」
「まあ好みはそれぞれだからねえ。それに、おまえはその方がいいだろう?」
なぜかおかみはそんなことを言って、茗凛に目を向けているではないか! しかも意味深な笑みを浮かべて。それだけでなく「それもそうね。よかったわね」となぜか霞祥まで!
「ちょっと! 何意味の分かんないこと――」
茗凛が描き終えたばかりの眉を吊り上げて抗議すると、二人は意味ありげに顔を合わせて笑った。




