「前夜」
月満ちる夜――。
しかし見事な満月を仰いで心清しくする者は、いない。なぜなら強い風に巻き上げられた砂が視界を遮り、あらゆる隙間から体中に入り込んでくるからだ。
しかしそんな中でも、外に出なければならない者はいる。
「今、なんか聞こえなかっ、た?」
砂を食まないように固く口を閉じ、就寝を告げる鈴を振り歩いていた剃髪の少年が、口中で呟き、足を止めた。
と同時、ほんのひととき風が止む。月明かりが照らし出す広い境内に長々と延びるのは、ただ一人分の影。
少年僧は恐る恐る振り返った。
そこには青白い月を背にした一棟の建物が、飲み込まれそうなほど深い闇色をして、そびえ立っている。
一陣の風。
ガシャンっと鐘の音。
意味不明な叫び声。
彼は走った。ガタガタと震える手で閂を抜き、門を押し開き、そのまま外へ飛び出していった。一度も振り返らないまま。
吹きつける砂塵が、地に立つ全てを荒々しく打ち付けている。そんな中、ゴオと唸る風に、門扉がギイギイと、不気味に揺れていた。
門の上に掛けられた扁額におぼろな月光があたり、草書体を鈍く浮かび上がらせる。
浮かび上がった金文字――それは『法恩寺』。