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誰が為にピアノは響く  作者: 神崎葵
8/20

そして、また少年は立ち止まる 参

菅野の様子が可笑しいものの、長谷部涼平は心中穏やかではなかった。

それも亡くなった自分の元恋人の家族がいる京都に旅行に行くからだった…。

涼平視点で描く京都修学旅行編 1、2日目。

 地下鉄に乗る為に三条京阪駅を目指す。

 墓地は、地下鉄で数駅先から少し歩いた先にある。

 もうすっかり暗くなっていた。

 急ぎ足で俺は駅を目指そうとする。

 人通りの少ない道を進むと、右手に橋が見えて来て、そこに見知った人影が映る。

 そして、俺は思わず声をかけてしまう。

「は、葉月」

 その学生服を着た人影は、声に反応して足を止める。

「貴方は…」

 気付いていなかったのか、横を向くと背中まで伸びたポニーテールが揺れる。

 中学生にしては少し大人びた顔は、姉に似て整っていた。

 身長はそこまで高くないが、細めの身体が小さく見せた。

 彼女が俺を誰か認識するのに時間がかかったのか、最初は普通に「誰ですか?」と目で訴えていたのだが、その相手が長谷部涼平と分かると敵意剥き出しになる。

「久しぶりだね」

「今更、何をしに来たんですか?」

 声のトーンが低い。

 ここに来て、声をかけた事を後悔する。

 そうだ、俺は彼女に会ってはいけない…そう思っていたんだ。

 慌てそうになりながら、冷静を装って会話を続ける。

「修学旅行で、こっちに来たんだ」

「平気な顔して、よく私の前に来れたもんですね」

「偶然だよ」

「どうだか…」

 繕っているのがバレているのだろう。

 彼女の言葉が刺々しく、俺の心に突き刺さる。

 彼女の態度は、予想していたよりも柔らかかったが、どう接すれば良いかは答えが出ていなかった。

「葉月は?」

「貴方には関係ないでしょう」

 目を合わそうともしない。

 彼女は、目の前の憎悪の対象を直視する事すら避けているのだ。

「すまん」

 苛立つ表情になる。

「何で、修学旅行の生徒が遅くに街を出歩いているんで…」

 途中で言いかけて、彼女はハッとする。

「まさか、姉さんの…」

 ただ黙っているだけで、俺はそれを否定する事もできなかった。

 今度は彼女が、こちらを睨みつけてくる。

「貴方に、お姉ちゃんの墓参りをする資格なんてあるんですか?」

 何も言い返せなかった。

 それは俺自身も自覚していた。

 だが、俺は…

「去年の命日にも来なかったくせに…今まで一度も来なかったくせに!」

 今にも食って掛かってきそうな勢いで、彼女が声を荒げている。

 そして、少しずつ俺に詰め寄ってくる。

「貴方がいなければ、お姉ちゃんは死なずに済んだかもしれない」

「ごめん」

 咄嗟に返した謝罪の言葉に、彼女の表情が冷たく無い。

 まるで、そこには怒りも悲しみもないような。

 そして小さくこう言う。

「この人殺し…」

 既視感の中で、俺は目眩と戦う。

 俺はこの言葉をまた投げられる。

 あの日…智を失った、あの日と同じ様に。

「涼平」

 呼ばれて、俺は我に返る。

 その声の主である彼女は、本来は旅館にいるはずだった。

 彼女は制服姿で、何故か俺の後ろにいた。

 肩で息をして、走って来たようだ。

「菅野」

 菅野の登場で、葉月は小さく溜め息を吐くと、ゆっくりと歩き出す。

「私は行くわ」

「おい、葉月…」

 引き止めても何も出来ない、そう分かっていても俺は引き止めた。

 しかし、彼女は足を止めない。

 そして、そのまま俺と擦れ違い様に、小さくこう囁いてくる。

「バイバイ、お姉ちゃん奪った人殺し」

 その一言に俺は、身体から力が抜けるのを感じる。

 今にも倒れ込みそうだった。

 そんな俺に、追い打ちをかけるように、こう後ろから投げかける。

「それから、もう私の目の前に現れないでください」

 もう引き止める言葉すら出なかった。

 ただ目の前が暗くなって、動く事すら出来なかった。

「雪乃、待てって」

 その声に反応する。

 菅野の後ろから戸松が歩いてくる。

 そして、その現状に顔が強ばる。

 葉月と戸松が擦れ違うが、お互い挨拶もせずに過ぎる。

 今一番見られたく無かった相手だが、今はもうそんな事すらどうでも良かった。

「戸松もいたのか…」

「さっきの葉月ちゃんだよな」

 戸松の顔が様々な感情が混ざり合って、悲しみ、驚きや怒りを口にしたそうで、そして今にも泣き出しそうだった。

 そんな複雑な心境の彼女に、俺は小さく頷いて肯定する。

 また、彼女もそれに弱々しく、「そうか…」とだけ返す。



 翌朝の空は澄んでいた。

 あれから自室に戻って、ただシャワーを浴びて布団に入った。

 クラスメイトは遊びに誘ってくれたが、「体調が悪い」と断った。

 日高は、朝食のときも何も言わずに、ただ普通通りにしてくれた。

 俺もそれに無理矢理合わすことにする。

 それから午前は班で伏見稲荷に行く事になっていた。

 伏見稲荷は延々と続く鳥居の道が特徴で、少し斜面になっているので階段をひたすら上って歩いて行く。

 戸松が気にしていてか、必要以上に絡んでくる。

 彼女と話していて気付けば、残り3人は遥か後方にいた。

 聞こえないと確認してか、戸松が昨日の事を切り出してくる。

「ボクは怒っているからね」

「分かっているよ」

 二人っきりだと、絶対言われると思っていた。

 彼女は墓参りに行く事に一番に反対するとのが分かっていた。

「予想以上に元気だな?」

 俺は「そうか?」と恍けてみせるが、見透かされてか彼女は深く溜め息を吐く。

 意外に心配していてくれたらしい。

 もっと責められるんじゃないかと心配していたのだが、きっと昨日の葉月の一件で怒る気も失せたのだろう。

「せっかくの旅行だし…菅野にも心配かけたく無い」

 きっと、菅野は昨日の事を気にしている。

 今日朝から、その事を聞きたそうにしていた。

 気を回してか、戸松に止められてか突っ込んで来ないが、きっと彼女なりに俺の事を心配してくれているのだろう。

「雪乃に…ね…」

 戸松がそう呟いた様に聞こえた。

 その言葉を拾おうとしたが、戸松は振り返り後方の3人に目を向ける。

「それにしても3人は遅いな」

「お前が早いだけだろう」

「考え事していたら、お前のペースに付いて来てしまった」

「リョウって文科系なのに、意外と体力あるよな」

 確かに、我ながら運動部ではないが、体育は苦手ではない。

 むしろ、高校に入って運動部のクラスメイトに何度か入部を勧められた。

 それも生徒会に入ってからは、明確に減っている。

「そうかな?」

「リョウ」

 気付けば、横で戸松が真剣な顔で俺を見ていた。

「ボクはリョウが前に進んで、幸せになって欲しいんだ」

「分かっている」

 こういう恥ずかしい事を、臆面も無く言ってしまう。

 照れもせずに、こう言う事だけはスッと言えてしまう。

「智に会いにいくのはいいんだよ、でもそれはリョウなりに答えが出てからにして欲しい」

 嬉しかった。

 こっちが照れくさくなって、「ああ」とだけ返事をする。

 その後すぐに、バンッっと音と共に俺の背中に衝撃が走る。

「痛い!」

 戸松が俺の背中を激しく叩いたらしい。

「ウジウジしすぎ!」

「すまん」

 申し訳なさそうにする俺に、戸松は笑顔で返してくる。

「お前ら、少しはゆっくり歩け」

 遠くから声が届く。

 冗談っぽく怒る菅野が、近付いてくる。

 そして、すぐに日高と悠木も続いてくる。

「悠木さん、ごめん」

 彼女が運動が逃げてだと失念していた。

 いつも、日高や戸松の運動神経が良すぎて、最後にバテテしまうのが自分だけに頭が回らなかった。

「ううん、私が遅いだけだもの」

「リョウがズンズン進むからだ」

「お前な…」

 俺のせいにする戸松は、意地悪そうに笑顔を見せる。

 さっきまでの重い空気もなく、俺も朝の様に無理に笑っていない。

 彼女や戸松にはこうやって、何度も救われている。

「仕方ないよ、此処って不思議と歩くの楽しいもんね」

 悠木がそんな俺らに強がって、優しい表情を見せる。

 彼女もまた、きっと気を遣える優しい心の持ち主なのだろう。

「悠木さんは来た事あるの?」

「ええ、両親が京都が好きでね」

 俺は悠木さんに歩幅を合わせる。

 それでもまだ、彼女は肩で息をしながら付いてくる。

 しかし、こうやって彼女と話すのも不思議と悪い気はしなかった。

「長谷部君は此処初めて?」

「ああ、京都は以前来た時は嵐山の方ばかりだったから」

「そうなんだ」

 少し昔の事を思い出してしまう。

 智の家族に連れられて、俺らは何度か京都に来ていた。

 伏見稲荷は初めてなのは、智の実家の嵐山の方でばかり遊んでいたからだ。

 今回の旅行は、戸松が気を回して北の方は外してくれた。

「リョウは、あの時迷子になって泣いてボクらを探していたんだよ」

「小学生の時とか?」

「ああ、俺と香澄と3人の家族で旅行に来たんだよ」

 悠木の質問に、表情一つ変えずに日高が嘘を吐く。

 その時、俺らは智の家族に連れられて来ていた。

 4組の家族で出かけた事も何度かあったが、それは京都以外の別の場所だった。

「家族同士も仲良いんだね」

「家も近いしね」

「小学校の頃は、3人でよく出かけたよね」

 戸松が、小学校の時の行き先を並べてくる。

 熱海、大阪、名古屋…勿論、全てが3人でなく、4人だった。

 そこに菅野が後ろから質問を投げて来て、戸松が指折り数えるのを止める。

「中学校の時は遊ばなかったのか?」

「中学の時は…」

 そう、中学になってから俺らは遠出しなくなった。

 俺自身がピアノの練習が本格的になった事もあったが、もう一人も同じ理由で行かなかった事も大きな理由だろう。

 そして、俺はその相手である智と、付き合い始めた。

 4人でも遊んだが、俺らは戸松や日高と違って2人で遊びに出かけていた。

「俺がピアノで忙しくなったからだよ…それだけだ」

 無理矢理、俺は言葉を絞り出す。

 苦しかったか、空気が重くなる。

 悠木も察してか、黙っていた。

 この空気を壊す様に、戸松がテンションを高めで口を開く。

「高校になって、また遊べると思ったのに、最近付き合い悪いしさ」

「それはお前らの邪魔をしないように、気を遣ってだな…」

「それが要らないって言っているんだよ」

 少し不満そうに戸松は口を尖らせる。

 そんな彼女を他所に、菅野が笑顔で切り返す。

「また5人で遊びに行こうよ」

「そうだね、菅野さんたちも一緒に遊ぼう」

 日高が自然に菅野たちを巻き込む。

 そういう所をどうにかしろ、と言いたかったが、このやり取りを数週間続けていると諦めというものを覚える、人間の性というやつだろう。

 そこに当たり前の様に戸松も追加砲撃をする。

「クリスマスパーティーしようぜ」

 もう好きにしてくれ。

 相変わらず突拍子もないアイディアを、こう思いつきで発言出来るのだろうか。

 そもそも、まだ十月だ。

「気が早いな」

「そんな事無いぞ、計画というのは早くするに越した事は無い」

「今のうちに考えて、寸前まで何もやらないくせに、よく言うよ」

「それは、リョウが段取り悪いからだ」

「何で、俺のせいなんだよ」

 酷い言われようだ。

 ノープランの戸松のアイディアに、なるべく形にしていく作業において俺は、他の人間なら不可能に近いものも遂行してきた。

「ボクが寸前まで何もやらない事なんて、分かりきっている事だろう?」

「確かに…」

「それを放置して、何も対策を練らないリョウが悪い」

「凄い人任せだな…」

 恐ろしい理屈だが、戸松という人間が相手だと、もう呆れることを通り越して受け入れてしまう。

 それにしても、今までの無茶ぶりは冷静に考えると酷いものばかりだ。

 そんな会話の合間に、林の間と間から山の空が見える。

「しかし、この山道、けっこう長いな」

「確かに、もう長い事歩いたよね」

 日高が顔色一つ変えずに言うと、菅野は悠木の様子に気がつく。

 どうも、少し足取りが重いようだ。

「結花、大丈夫?」

「ちょっとキツいかも」

 足取りを重そうにする悠木は、少し顔色も悪く見える。

「あそこで休もうか?」

 そんな彼女の様子を見て、戸松が階段の先の建物を指差す。

 それは古い木造の建物で、店先に座れそうな椅子が用意されていた。

「そうだね」

 菅野が勢い良く店に近付く。

 少し休めそうなエリアを見つけると、悠木を手招きして座らせる。

 戸松と日高は、顔を見合わせると「ボクらは少し先まで見てくるよ」と、先を進もうとする。

「休んでいかないのか?」

 俺が二人に投げかけた問いに、香澄は首を横に振る。

 多分、先に何かなければ下山するように促すつもりだろう。

 確かに、悠木の体力で下りる事も考えておかなくてはならない。

「そうか、それなら俺も行くよ」

「リョウは此処に残って」

 何故か、戸松に残る様に言われる。

「何で?」

「女の子をこんな山道に置いて行く気かい?」

「山道って言っても、人通りも多い観光地じゃないか」

「ぐだぐだ言わないの、何かあったらどうするんだ」

「分かったよ」

 釈然としなかったが、彼女なりの気遣いの一つだろう。

 それが二人に向けてなのか、俺なのか分からないが、彼女なりに何か考えての事だと、付き合いが長いと理解出来る。

 俺が了承すると、二人は颯爽と階段を上って行く。

「あいつら、本当に置いていきやがった」

 二人が座っている休憩所の周りは、階段に沿って小さな店が数点並んでいた。

 そこの建物の隙間から街を見下ろせる。

 しかし、かなりの高さまで上っていたのだと、この時点で初めて気付かされる。

「結花、大丈夫?」

「うん、少し休めば大丈夫」

「悠木さんも無理しなくて良いよ…あいつらが戻ったら、一旦下りようか」

 どちらにせよ、悠木が限界だと判断できる。

 この山道は途中から、やけに単調だった。

 おもかる石を通り過ぎてから、同じような景色が続いているようにも見えた。

 そんな周囲を心配させないようにと、悠木も「ううん、気にしないで」と強がって見せる。

 スッと菅野が立ち上がる。

「私、あそこで何か飲み物買ってくるよ」

 そう言って、俺らのリアクションも見ずに菅野は、少し先にある売店に足を進める。

 呆気にとられていたが、すぐに悠木に断って菅野を追いかける。

 走って追いかけて、「おい」と少し大きめで声をかける。

 丁度、悠木には話し声は聞こえない距離だろう。

「何で来るんだよ」

 そう言って、菅野が不満そうにする。

 しかし、彼女の悠木に対するフォローは今の俺は気にする余裕は無かった。

 そして、こう言う。

「昨日は変な現場を見せてしまって…」

 言葉の途中で、視線を避けてしまった。

 そんな俺に、彼女は「気にするな」と笑ってみせる。

「ま、前の彼女か?」

 あまりに具体的な質問に、思考が停止する。

 しかし、近しいもの以外で話をするというのは、色々と勇気が必要なのだと思い知らされる。

 それでも、菅野はきっと自分の事を心配しているからこそ出た質問だろう。

 俺は小さく深呼吸して、俯いたままで言葉を返す。

「いや、その妹だよ」

「や…やはり涼平は、彼女いたんだな」

「ああ、中学校の頃の話だよ、たった数ヶ月だったけど」

 それから、居心地の悪い数秒の間が空く。

 まるで数時間も間が空いている様に感じる。

「すまん」

「謝る必要はないだろう」

「妹さん、怒っていたみたいだし、思い出したくないのかな…って」

「そんな気にしなくても良い」

 菅野は葉月の言葉が聞こえていなかったのだと、胸を撫で下ろす。

 きっと、彼女なりに俺の事を考えて、聞かないでいてくれたのだろう。

 それから、菅野は励ます様にこう言った。

「そんな落ち込むなって、他人はどうやっても傷つけ合うものだし」

 俺は、気休めにしかならない言葉を無下に出来ずに、「ああ」と返す。

「生きていれば、また笑い合えるさ」

 しかし、その言葉に返す言葉がすぐには出なかった。

 反応すら出来ない。

 彼女は知らない、その相手がもう生きていない事を。

 頭の中がグチャグチャになるように、思考が麻痺している。

 しかし、顔をあげて彼女の顔を見て察する。

 その言葉に後悔している事に。

 それから、彼女が今まで知らないフリをしていた事に衝撃を受けて脱力する。

「…そうだな」

 無理矢理に言葉で返す。

 何か言おうとする彼女の言葉を、先に言葉で遮る。

「じゃあ、好きな人を、大切な人を傷つけない事は不可能なのかな?」

 まるで意地悪の様に質問を投げる。

 今は、何に苦しい気持ちになっているか判断出来なかった。

 ただ、菅野に裏切られた様に気持ちになった。

 それが自分勝手な意見かもしれなかったが、その事が何故か叫びたくなるほど辛くなった。

 そして、俺の意地悪な質問に彼女は答えを失う。

「それは…」

 道を見失った様に、彼女はオロオロして考えている。

 何を考えているのだ、彼女は俺の事を気にして励まそうとしてくれたのだ。

 しかし、それを分かっていながら、言われたく無い言葉を言われただけで腹を立てて、そして答えの無い質問を投げかける。

 俺は、そんな自分の行動に嫌悪を抱きながら、彼女を通り過ぎて階段を下りる。

「悪い、俺は先に戻っているよ」

 そう言って、俺は彼女と擦れ違う。

 その横顔は、今にも泣き出しそうだった。

「涼平」

 と、小さく呼ばれたが、俺は振り返らずにこう応える。

「ちょっと一人になりたいんだ」

 少し下りた時に、声を大きくした菅野の呼び声が聞こえたが俺は歩みを止めなかった。



 清水通りまで戻るが、不思議と戸松たちから連絡は無かった。

 いつもなら問答無用で呼び戻されるのだが、彼女もきっと察してくれたのだろう。

 そのまま、清水通りの隣の通りに入り、そこにある抹茶専門店に入る。

 メインの通りから外れているせいか、数名の外国人観光客を覗いて人は少ない。

 そこで、俺は店内ではなく、店先に座れる長椅子に腰をかけて、店員に善哉を頼む。

 それから少しして、出て来た善哉に口をつけて、俺はそっと青い空を見上げる。

 何で、俺はあそこで強がっていられなかったのだろうか。

 もう何度も、こうやって智が死んだ事は実感させられてきた。

 数年が経ち、そこまで深く苦しむ事も少なくなっていた…はずだった。

 半時間程したら、戸松に連絡しようと携帯電話で時間を確認する。

「ここの抹茶は美味いな」

「うわ!」

 いきなり、隣から声がして椅子から落ちそうになる。

 そこには、いつもの事ながら心臓に悪い死神様が座っていた。

「オーバーリアクションすぎるだろう」

「いきなり出てくるなよ」

 こいつは自然に出てくる事をしてくれないのだろうか。

 ここまで来ると、わざと驚かそうとしているようにしか思えない。

 いつも通りの黒い衣装で、彼女は平然と抹茶を飲んでいる。

「私は君の監視役だからな」

 さらっと、俺にプライバシーが存在しない事を知らされる。

 しかし、それとは別に疑問が浮かぶ。

「どうやって抹茶を注文したんだ?」

「今だけ、周囲の人間にも見えるようになったいる」

 なんだそれ、と言いかける。

 今まで気にしていた、俺以外の誰にも見えないという設定を一言で簡単に覆す。

「えらく便利な設定だな…他人には基本見えないんじゃなかったのか?」

「誰もいない空間にずっと話していたら、君が頭の可笑しい人間だと思われてしまう可能性を考慮した結果だ」

 そういう所だけは考慮するのか。

「意外だな」

「何がだ?」

「死神でも、抹茶とか飲むのか」

 モトは小馬鹿にする様に溜め息を吐く。

「何だ、君は私が美味しい物を食べてはいけないとでも言いたげだな」

「そんな事は言っていないだろう」

「食事も取らせてくれない、間食も許されない、君はブラック企業の上司かね?」

「例えが分かりにくいが、そういうことじゃない」

「では、何だね?」

「お前らは見えていないのだから、食品を接種するという印象がなかったからさ」

 その言葉に、モトは少し拍子抜けしたような顔をする。

「言う通り、私たちは食事を取らなくても死にはしない…だが、食べれないわけでもない」

 という事は、食べる必要は無いが、食べる事は出来るということらしい。

 しかし、彼女の理屈だと、死神にとって食事は道楽の一つなのかもしれない。

「浮かない顔をしているね」

「見ていたんだろう?」

「勿論だ」

 こういう態度が、苛立を覚えさせる。

 でも今は、この死神に怒りをぶつける気すら起きない。

「だったら分かるだろう…」

「君は、今は何にそんなに落ち込んでいるんだ?」

「それは…菅野が…」

 無意識に言葉を濁らせようとする。

「君は菅野雪乃の言葉に落ち込んでいるのか、死んだ彼女を思い出したからか、それとも彼女が全てを知っていたからか?」

 その質問が、自分にとって答えが無い事に気付いていた。

 さっきの菅野の態度は、昨日の葉月とのやりとりを聞いていれば気になって当然だ。

 自分自身が抱いている感情が何なのか、それすら分からずにいた。

 それを、この死神に問われるとは思いもよらなかった。

「今はそっとしておいて欲しいんだよ」

 しかし、今のこいつに関わっている心の余裕もない。

「君は今そんな事で悩んでいる場合か?」

「分かっている…」

 モトの言う事は分かっていた。

 過去を引きずった悩みより、自分の命を大事にすることじゃないのか…そう言いたいのだろう。

 もっともな意見だ。

 それだけに無性に腹が立つが…。

 しかし、おかげで少し冷静になれた気がした。

 俺は小さく息を吸い込み、死神に質問を投げる。

「なあ、一つ聞きたいんだが」

「何だ?」

「人は死んだらどうなるんだ?」

 それは死神という存在が目の前に現れてから、ずっとモトに聞きたかった事だ。

 聞いてしまってはいけない気がしていた。

 だが、どうしても今の俺は知っておきたかった。

 彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻す。

「失敗して、死んだ後の事を考えているのか?」

「いや、昔亡くなった人間の話だ」

「それを知ってどうするんだ?」

「いや、別に…」

 そうだ、知ってどうなるのか。

 安心したいのか、納得したいのか、それすら自分でも分からなかった。

 ただ聞けば、前に進めると思ったのだ。

「具体的には禁則事項だから言えないが、君はどうなっていて欲しいんだ?」

「それは…」

 言葉を探す。

 確かに、自分はどういう答えを求めていたのだろうか。

 今も天国で幸せに笑っている、とでも言ってほしかったのか。

「君が知りたいのは、死ぬ直前に彼女が何を思っていたかじゃないか?」

 その言葉が、あまりに的確だった。

 そのせいで反応出来ずに、静止してしまう。

 そうだ、結局は自分が自分自身を許す理由を探していただけなのだ。

 前に進みたいと言いながら、自分を許して現実の問題から逃げ出したいのだ。

「…そうかもしれない」

「それは、その人間でないと分からないよ」

「だろうな」

 それはそうだ、もう聞く事は出来ない。

 その事実を実感する。

 肩を落とす俺に、彼女は少し考えて聞いてくる。

「その人間は幸せだったのか?」

 その言葉は、俺が一番知りたかったことなのだろう。

 智が最後に何を思ったのか、本当に幸せだったのか、それを知りたかっただけなのだ。

「どうだろうな…結局は、ちゃんと最後話せずに終わってしまったからな」

 苦笑いをすると、俺は何故かここまで的確に自分の気持ちを言い当ててしまう、死神に自分の事を話したいと思った。

 多分気まぐれなのだろう…でも、今は誰かに聞いて欲しかったのだ。

 そして、俺は語り始める。

「彼女とは幼なじみだったんだ」

 小さな恋の物語を。


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