ボーイズ・ドント・クライ
京都に修学旅行に来た菅野雪乃は悩んでいた。
友人の悠木結花が、クラスメイトの長谷部涼平を好きになり手伝ってほしいと頼まれる。
しかし、涼平は恋愛になるとはぐらかされて途方に暮れてしまう…。
それからは、いつもの五人だった。
清水寺を出て、円徳院を出た頃にはすっかり昼になっていた。
自由行動を終えて京都駅周辺に戻って来た後、私たちは着替えて夕飯を取ると、暫しの自由時間を手に入れる。
旅館で買い物に行くもの、男子の部屋に遊びに行くもの、部屋で話し込んでいるもの…様々なペースで各自が、思いのままに行動する。
私は今日の悪ノリを反省しながら、旅館の畳に大の字にになって天井を見つめていた。
畳の冷たさが、ただ気持ちよかった。
「おーい」
香澄が覗き込む様に、私の視界を顔で埋め尽くした。
「なんだよ?」
「ちょっと出かけないか?」
「外出は禁止だと思うけど」
「少しくらい良いじゃないか」
悪そうな顔になる彼女に、溜め息をついて起き上がる。
「そもそも、私は生徒会副会長で、クラス委員だ」
「修学旅行中くらい、肩の力抜いたらいいじゃない…高校最後の想い出作りだと思ってさ」
「最後って…まだ私たちは高校二年だぞ」
こういう時の誘い方は、反則だと思う。
しかし、私も旅行という言葉に浮き足立っている一人だった。
「少しくらい…ね?」
深々と頭を下げたと思ったら、すぐに上目遣いで笑顔を向けてくる。
こういうフランクな接し方をする香澄を、実はけっこう気に入っている。
元々、問題児としての行動が多かった私としては、こういうイベント事は大好物だった。
さらに共犯者として、彼女がいてくれる。
模範生の結花や亜希としは出来ない、そんな悪ふざけを彼女となら出来るからだ。
そんな内心を外に出さずに、私は渋々立ち上がると、「今回だけだからな」と一言。
そこからは、ちょっとしたスパイ作戦みたいだった。
こっそり制服に着替える。流石にジャージだと目立ってしまうので。
旅館の裏手から出て、少し歩いて大通りに出る。
そこから三条駅から祇園四条駅まで歩き、四条周辺を、私たちは観て歩く。
特に買うものはなかったが、夜食として和菓子を何点か購入した。
繁華街という印象が強く、三条の周辺と違い人も多く前に進むのに時間を要した。
脇道を使って鴨川沿いに戻る。
静かに流れる川を見ていると、ふと香澄がこう言う。
「悠木さんだったのか…」
「え?」
私は何の事か分からなかったが、すぐにそれが今日の昼の話だと理解した。
しかし、意表をつかれて全てが顔に出てしまっている。
それを自覚して、冷静を取りも出した頃には時既に遅し。
「雪乃は隠し事が下手だよね」
まるで彼女の策略にハマったようで、癪に障るが不思議と憎めなかった。
というか、多分彼女はある程度分かっていたのだろう。
結花に心の中で深く謝罪しながら、もう隠す事を諦めた。
「あまり、リョウを急かさないであげて」
「涼平に昔、何があったの?」
「雪乃は、リョウがどんな人間だと思う?」
少し考えた彼女に、質問を質問で返される。
しかし、よく分からない内容だ。
「捻くれ者で、上から目線で凄く意地っ張り…」
「はははは、凄く的確だね」
思いついた涼平という人間のイメージを並べると、香澄がお腹を抱えて笑い出す。
そう、彼は本当に偉そうで意地っ張りで、自分を曲げる事が嫌いだ。そして…。
「でも、時々優しくて、他人の為なら自分が傷つく事を厭わない」
「流石だね」
さっきまでの彼女とは違った、とても真剣な顔で私をまっすぐ見ている。
それは、私個人と本当に向き合おうとする、そんな意思表示としても感じられた。
「雪乃は多分、ボクと進、家族以外でリョウが心を許している唯一の相手だと思うよ」
嬉しそうに彼女は語る。少し間を置いて思い出すように、「あ、あと沢城先生」と付け加える。
「珍しい事なんだ、リョウが誰かに深く関わろうとするの…今回もリョウが雪乃を班に誘っただろう?」
「ああ」
確かに、班に急に私を誘って来たのは彼だ。
しかし、それは彼なりの気遣いだと思っていた。
「普段はそんな事は絶対しない」
彼の事を知ってから、そんなに時間は経っていない。
今思うと、この修学旅行で行動しているメンバー以外と彼が過ごしている時を知らない。
いや、学校で別の人間と話しているので、言い方が違う。
そう、彼は他の人間と笑っていないのだ。
笑っているという表現だとまた曖昧かもしれないが、他の人間の前で彼は優しく微笑んだ表情をしているだけだった。
もちろん深い話をしない。男女問わず、口調が違う。
私の前のような、『互いを知る』会話を彼は行っていない。
「ボクが無理矢理に引っ張ってきた相手と、適度に合わせようとする」
「でもいつも笑って、私と…」
そして、私と同時に彼を知った人間がいる。
彼が表情を崩さない人間、笑っているようで表情が何処か心あらずの相手。
そう、それは…。
「そうだよ、リョウは悠木さんには踏み込んだ話をしない」
「結花も言っていた、自分の前ではリョウが自然に笑っていないようだって」
「悠木さんも流石によく見ているね」
何故か彼女は、嬉しそうにする。
しかし、誰にでも好き嫌いや人付き合いが苦手な一面だってあるだろう。
「でも、それが恋愛の事に関係あるのか?」
私の質問に彼女は、申し訳なさそうに小さめの声で「深い話は出来ない」と返す。
「でも、これはリョウにとっては凄く良い事なんだ…雪乃みたいな人間がアイツの心に入り込んで行く…私たち以外の誰かと関わろうとしている」
違和感を含んだ言い方をする。
まるで私の話とは、別の論点で話をしているようだった。
「雪乃、リョウはね…恋愛がしたくないんじゃないんだ…アイツは…リョウは誰かを傷つけるのが怖いんだ」
「そんな…」
さっきから彼女が話していたのは、恋愛の話ではなかった。
長谷部涼平という人間が、他人と接する事を説明していたのだ。
だから話が合わなかった。そもそも、それ以前の話だった。
彼は恋愛や友情という、以前に他人と距離を置いてしまう。
「そうだよ、他人同士が関われば、嫌でも大なり小なり傷つけ合う事はある」
「でも、それじゃ何も進まないじゃないか」
そうだ、これでは結花が仲良くなりたくても難しい。
彼はそれが結花ではなくても、誰であっても他人を知ろうとしない。そして、自分を知ってもらおうとしない。
「そうだ、だからボク達は少しずつリョウを前に進ませたいんだ」
「私だって出来たんだ、結花だって…」
「そうだね、でも雪乃以外は誰も出来ていなんだよ」
「だからって…」
まるで結花じゃ無理と言われているようで、滞りを覚えた。
しかし、香澄は悲しそうな顔で私に告げた言葉も、ある意味真実だった。
今のところ、彼は結花にも亜希にも、生徒会の誰にでも繕っている。
ふと、思い出した様に彼女は続ける。
「文化祭の時に、リョウが自分からピアノを弾くと言い出したんだよね?」
「ああ、あの時は私も涼平がピアノを弾けるなんて知らなかったから」
文化祭のときを思い出す。
トラブルで舞台の催しがストップしてしまい、観客から不安の声が上がった。
その時に、彼はいきなり舞台に立ってピアノを演奏し始めたのだ。
「そうか…これもやはり雪乃の影響だと思うよ」
「私の?」
「そう、雪乃と話しだして、リョウはハッキリと変わっている」
止めてほしかった。
まるで彼は結花ではなく、私を選んでいる…そう言われているようだった。
「やめろ…」
「雪乃」
「涼平は自分の意思で前に進んでいるんだ、まるで香澄が…」
私は言葉を止める。
これじゃまるで…
「まるで、ボクがリョウと雪乃をくっつけようとしている…と思った?」
心を見透かされているようだった。
あまりに的確な言葉で、何も言い返せなかった。
「勿論、もし悠木さんがリョウの心を開いてくれたなら、申し分は無いよ」
「だったら…」
「でも、事実として今のリョウを変えたのは雪乃だよ…ボクは雪乃になら、リョウを前に進ませられるんじゃないかって思っている。進の事を抜きにして、好きな子いないかって聞かれた時に、雪乃だったらなって本気で思ったんだから」
彼女は彼女なりに涼平を思っているのだろう。
だからこそ、私に期待しているのが分かった。
しかし、私は何一つ特別な事をしていない。
「自分の恋のライバルに、他の男を勧めている様にも聞こえる」
ここまで来ると、どう言い返せばいいか分からず、とりあえず憎まれ口を叩いておく。
それに彼女は困った顔で笑って返す。
「でも、本当に今のアイツには雪乃が必要なんだよ」
「そんな事言われても…」
リアクションに困る発言ばかりされている気がする。
「ただ仲良くしてあげて欲しいというだけ、別にボクはそれで悠木さんとリョウが付き合っても良いと思っている。ちゃんとリョウが前進すると、決めたのなら」
近づけて来た彼女の顔は、本当に涼平を思っての発言だと感じさせた。
だからこそ、私は無言で頷く。
「おい、そんな所で話してないで旅館に戻って話せ…見回りするのが大変なんだ」
声をかけられて、振り返ると見知った顔が立っていた。
「沢城先生」
担任の沢城が、タバコを片手に声をかけてくる。
いつから、そこに立っていたのだろう。
流石に教師に見つかって、私はどう言い訳をするか脳内をフル回転させて考える。
旅行中の外出禁止か、反省文か、停学か…と覚悟を決める。
が、沢城はすぐに笑顔になる。
「おお、二人で夜の街に繰り出すのか?」
「それなら、こんな制服姿では行きませんよ」
「そりゃそうだ」
沢城と香澄の会話は、担任教師と生徒との会話とは思えないほど、軽い感じだった。
そういえば、沢城という教師がこういう人間だと言う事を忘れていた。
「京都の夜に付き合ってやろうかと思ったんだけどな」
「少なくとも、教師なら止めてくださいよ」
軽蔑したように私が言うと、彼女はあっけらかんする。
「おいおい、引率者が必要だというナイスアドバイスだと思うのだが」
オドオドしていた自分が馬鹿みたいだった。
沢城がタバコを携帯灰皿に捨てると、私はこの目の前の聖職者もどきに目眩がした。
日本の教育機関はどうなっているんだ…こんなんに教員免許を取らせてしまうとは。
「ところで何の話をしていたのだ?」
「明日の予定です」
香澄は悪びれも無く、即答で嘘を吐く。
それに私は付いて来れない。
「深刻そうに明日の予定を話していたのかい?」
沢城の視線が私に向く。
まるで、私への質問を投げかける様に。
それに私は、「えっと…」と言葉を詰まらせる。
ここまで自分が嘘が苦手だと実感する日はなかっただろう。
「ま、だいたい察しがつくがね」
本当だろうか、沢城は香澄と違って高校から涼平と知り合っている。
だからこそ、彼女がこちらの事情を知っているかは疑問だった。
「長谷部はいつも通りなんだろう」
「ええ、でも確実に前に向いていると思いますよ」
「それなら良かった」
こういう沢城と香澄の会話を聞くと、沢城は涼平の過去を少なからず私以上には知っている事が分かる。
しかし、香澄が今の会話を隠した事には何か意味があると思っている。
結花の事か?
「菅野も前に進めそうか?」
沢城の言葉の意味を理解出来なかった。
そこで、「何についてですか?」と切り替えそうとして、すぐに思いとどまった。
はたして、沢城は何処まで知っているのだろうか。
とりあえず、誤摩化すのが得策だと感じた。
「さあ、分からないです」
「そうか」
沢城がタバコに火をつける。そこで一つの疑問が過る。
彼女は何時、さっきのタバコに火を点けたのか。
さっきの会話を聞かれていたのでは、と疑問に思っていると、彼女は腕時計を出して見る。
「消灯時間には間に合う様に帰れよ」
「あ、はい」
急かされるように、私は急いで旅館に向かおうとする。
しかし、香澄は反対側に歩き出した沢城の背に聞く。
「先生はどこに行くんですか?」
一瞬、時間が止まる。
それもそうだ、私たちを監督している教師が旅館に連れて帰らないというのは、不思議な話だ。
「京都に美味しい地酒がある店があってな…って、何を言わすのだ」
「勝手に言ったんでしょ」
「ここからは大人の時間だ、子供は早く帰って寝ろ」
しっしっ、と手で払う様に私たちを帰る様に促す。
腑に落ちない香澄の手を取って、私は引きずる様にして歩く。
しかし、本当に沢城は見回りをしていたのだろうか、という疑問はあった。
偶然にしては、あまりにタイミングが良すぎた。
元々、沢城という教師は謎が多い。
それこそ様々な噂があるが、私が所属する生徒会にすら沢城の影響力が大きい。
そもそも、涼平が生徒会に入れたのも謎が多い。
確かに欠員はあったが、沢城の一存で入会させたようなものだ。
脇道に入り、旅館までの道には居酒屋や京料理が点在するが人通りは少なかった。
小川が流れる道を二人は歩き、視界の先にある小さな橋の上の人影が目に入る。
それが自分の知っている人間だと、すぐに分かった。
「あれ、あそこにいるの涼平じゃないか?」
制服姿の涼平は、立ち尽くしていた。
いや、向かい合ってもう一つ、人影が立っているようだった。
「他にも誰かがいる」
その人影の次に、私の目の入ったのが涼平の表情だった。
私はその表情を知らないが、辛そうな表情で何かを押し殺しているようだった。
私は無意識に駆け出していた。
「待って、雪乃」
香澄の声も聞こえずに、私は涼平の元に駆け寄る。
「涼平」
「菅野…か…」
涼平の向かいには、中学生くらいだろうか…紺色のブレザーを着た女の子が立っていた。
彼女はポニーテールで少し背は低めだろうか、身長とは相反して少し顔つきは大人びている。
その時、私は二人の表情を見て、彼らが再会を喜ぶような雰囲気ではない事を悟る。
私の登場で、供がそがれた様に興をそがれたかのように、表情を緩め溜め息をつく。
「私は行くわ」
「おい、葉月…」
私たちの横を通り、その場を立ち去ろうとする彼女を涼平は呼び止める。
そして、それに反応するかのように彼女は彼に何か囁く。
まるで呪文にかけられた様に、涼平の顔が硬直して立ち尽くす。
そして、振り返る事無く彼女が通り過ぎるのを見送る。
彼女と入れ違いで息を切らした香澄が、私たちのもとに走ってくる。
「雪乃、待てって」
「戸松もいたのか…」
涼平は、私と香澄の顔を少しずつ見た後に俯く。
「さっきの葉月ちゃんだよな」
「ああ」
葉月というキーワードを出した途端、香澄の表情も暗くなる。
その理由も聞けないまま、香澄は「そうか…」と小さく言葉を落とす。
そのまま無言で涼平と香澄と三人で旅館に戻る。
旅館に戻った後は、香澄は普通に戻っていて、私には「またちゃんと話す」と言われた。
そして、私は葉月と呼ばれた少女が、立ち去る時に囁いた言葉を思い出す。
「お姉ちゃんを奪った人殺し」