神無月の空の下で
京都に修学旅行に来た菅野雪乃は悩んでいた。
友人の悠木結花が、クラスメイトの長谷部涼平を好きになり手伝ってほしいと頼まれる。
しかし、涼平は恋愛になるとはぐらかされて途方に暮れてしまう…。
親友の頼みを無下にもできず、私は彼女の為に探りを入れる事になる。
京都駅のホールで、私たちは十五分の自由時間に入った。
私たちは時間をつぶす様に、お土産売り場を見ている事にした。
黒を基調とした落ち着いた雰囲気の駅構内で、吹き抜けのホールを見上げて、私は京都に着いた事を実感する。
「雪乃、こっち」
振り返ると、香澄が土産売り場から手を振っている。
近付くと、彼女は一人のようだった。
「男性陣は?」
「疲れたから集合時間まで座っているって」
「おじいちゃんか…奴らは」
香澄の目線の先では、涼平と日高君がベンチに座ってボーッとしている。
視線を香澄に戻すと、彼女が手に取っているストラップに気付く。
「それ何?」
「京都限定の『湯葉男くん』だ、可愛いだろう?」
「へえ…」
少しグロテスクとも言える形に可愛い目が付いていて、何とも言えないデザインをしていた。
ただの白い固まりなので、それが湯葉をモチーフにしていることも言われないと気付けない。
「あれ、悠木さんは?」
「結花は飲み物買いに行っている」
着いて早々、結花は席を外した。
彼女曰く、「長谷部君と長時間話して、緊張しすぎて疲れた」だ、そうだ。
あの日以来、結花の意外な面が多々見られた気がする。
「悠木さんには、これ似合いそうなんだけどな」
残念そうに香澄は、湯葉男のぬいぐるみを手に取って眺めている。
二人きりのこのチャンスを活かそうと、私は思い切って香澄に質問しようと思う。
「ねえ、香澄」
「何?」
「涼平って好きな人いるの?」
私の質問に彼女は驚いたような表情をすると、すぐにその顔は邪な笑顔に変わった。
「あれれ?」
「どうした?」
「最近、誰かさんは他人の彼氏に告白したんじゃなかったでしたっけ?」
「私じゃない!」
「となると…」
ここは嘘をつくわけにもいかない。
目の前の女探偵は少し考えると、閃いたかのように駅の構内に目をやる。
私じゃないなら、当然次は結花が疑われるだろう。
「友達の友達だよ」
「ふーん…そういう事にしておいてあげるわ」
深くは詮索されなかったが、彼女の中では結花という答えは出ているだろう。
私は肯定せずにいれた事に安堵する。
しかし、ここで安心していたら、また蒸し返されかねない。
すぐに本題に入る。
「で、どうなんだ?」
「実際の所はボクも知らない」
「そうか…」
ここまで勇気を振り絞って、焦らされたのに何一つ収穫が無かった。
肩を落とす私に気も止めずに、香澄は真顔でこう聞いてくる。
「ただ、その子は本気なの?」
「ほ、本気みたいだぞ!」
何故か、ここは冗談半分で答えてはいけない気がした。
結花も本気だろうし…。
しかし彼女は、その答えに微妙そうな表情をする。
その事実が悲しい、嫉妬とか寂しさとは別の言葉に出来ない悲しみを含んでいる…そんな表情だった。
「それなら良いんだけど…」
また彼女は、表情を変える。
無理矢理絞り出した笑顔を見せる。
「多分、リョウには好きな人はいないよ」
涼平の親友の推理では、「いない」だ。
彼女は涼平とは日高君と並んで一緒に居る時間が長い。
その彼女が言うのだから、かなり信憑性は高いだろう。
しかし、こう続ける。
「いたとしても、絶対好きにならない様にしていると思うよ」
「どういうことだ?」
私の問いには、首を横に振るだけだった。
そのまま彼女は真っすぐ私を見る。
「これ以上はボクからは言えない…ただ生半可な気持ちで振り向かせれるような相手じゃないわ」
まるで、私に言われているようだった。
その表情は、何か理由があると感じさせたが、聞き返して良い雰囲気でもなかった。
「友達の友達に伝えておいて」
「う、うん…」
歯切れの悪い返事をしてしまう。
「今のリョウは難攻不落の要塞みたいなものだからな」
「要塞?」
変な例えだと思った。
しかし、そこまで頑に詳細を話さない事を、第三者である私が突っ込んで良いとは思えなかった。
「それにしても、リョウを好きな人か…」
「香澄は、気になった事は無いの?」
「ないよ」
即答される。
それは、まるで今まで何回も繰り返された質問のようにだった。
その冷静な表情が次の瞬間に、笑顔に変わる。
「それに『はい』と、答えたら進に告げ口する気でしょ?」
「そ、そんなことしないぞ」
まさかの反撃に、戸惑ってしまう。
香澄と涼平と日高君、三人の関係には少し疑問が多かった。
その一部を垣間みた気がした。
平安京遷都以前から存在する清水寺は、世界遺産としても名高い日本の歴史ある文化財の一つで、日本各地から以外にも世界各国からの観光客が、平日だというのに押し掛けてくる。
音羽山の中腹に位置し、急な斜面に古い建物が並ぶ参道を上ると、入り口と言える仁王門が見えてくる。
その随求堂の地下を大随求菩薩という菩薩の胎内に見立てて、その中を歩き奥にある石に祈りを捧げる「胎内めぐり」が有名なスポットの一つでもある。
その堂下は真っ暗で、壁にある数珠のような手摺を頼りに歩き続ける。
一寸先も闇というのを体験できる、それくらい暗いのである。
そこまで暗いのだから、不安は半端ない。
結花は終止、涼平の裾を握っていたし、私も不安で仕方が無かった。
しかし、鋼鉄の神経を保持する香澄と、まったく表情に変化が見れない日高君は躊躇う事無く早々と進んで行ってしまった。
残された私たちは、追う様に暗闇を抜けると、光の世界が待っていた。
階段を上がりきると、先に出ていた二人が待っていた。
「胎動巡り、本当に真っ暗だったね」
そう言いながら、少しも怖そうにせず香澄は笑顔で出迎える。
隣の日高君も、落ち着いている。
「そうだな」
反対に私たちはというと、予想以上の暗さに私と結花が怖がってしまい、なかなか前に進めなかった。
それに涼平が前から声をかけてくれていた。
流石に、出て来て結花はグッタリしていた。
「悠木さん、大丈夫?」
日高君が声をかけると、結花は無理矢理に笑顔を作る。
「うん、少し怖かった」
「無理しないで、休んで来たら?」
涼平が結花の顔を心配そうに覗き込む。
それに、反応する様に顔を赤らめて彼女が、視線を落としてこう答える。
「ううん、大丈夫」
こういう所は、本当に涼平を意識していると分かってしまう。
多分、香澄も日高君も勘付いているだろう。
「リョウ、遅かったな?」
「お前ら、二人で進むのが早いんだよ」
「愛の力さ」
謎のガッツポーズをしながら、香澄は惚気てみせる。
こういう破天荒な部分が、私が救われている事もある。
変に彼女は私に気を遣わない。
「あっちに音羽の滝があるらしいよ」
香澄の発言を無視して、日高君は先を進もうとする。
ノーリアクションの日高君に、香澄は残念そうに付いて行く。
そういえば疑問があって、私は声にしてみる。
「音羽の滝って何だっけ?」
「確かご利益があるんだろう?」
と、涼平の曖昧な回答。
「延命長寿、恋愛成就、学問上達の三つだと思う」
と、日高君の見事な模範解答。
「リョウは学問上達だな…中間テストがボロボロだったしな」
「何で知っているんだ?」
戸松の発言に、涼平は慌てている。
その様子に私は声を出して笑ってしまう。
その様子を見て、涼平は引きつった顔で私を見る。
「菅野、お前よりは点数は良い」
「失礼な今回は良かったほうだ」
「英語が赤点スレスレだったくせに」
「五月蝿いな」
確かに今回は酷かった。
赤点は無かったものの、全部平均点前後だった。
「底辺争いご苦労」
ふんぞり返った香澄が、自慢げに段差の上から見てくる。
そういや、このカップルは文武両道だった。
「香澄、感じ悪いな」
「雪乃は英語以外も…」
「結花、バラさないでよ」
結花の呟きに、私は慌てて止めに入る。
確かに今回は特に英語と数学は惨敗だった。
「そういう、悠木さんは…」
恐る恐る聞く涼平に、威圧的に結花は答える。
「もちろん全教科二十位圏内よ」
「申し訳ありませんでした」
直様、涼平は深く頭を下げる。
私の友人とは思えないくらい結花も勉強ができる。
国語に関しては、学年でトップである。
音羽の滝の周囲は人だかりが出来ていて、順番に観光客が天井から流れる三筋の水を掬いで酌んで口をつけていた。
「滝というイメージとは少し違うな」
予想していなかったのか、香澄が驚いて見ている。
私はテレビの中継で見た事があり、滝というともっと大量の水が勢い良く落ちてくるイメージがあった。
ふと私は、音羽の滝に行く階段とは反対の階段に、『恋占い』『縁結び』の文字を書いたノボリを見つける。
「涼平はここで、恋占いでもいいんじゃないか?」
「恋愛する相手もいないのにか?」
「そんな事ないかもしれないだろう?」
私は涼平がどうしてか、恋愛から距離を置いている事は分かっていた。
しかし、それでも友人の為にも、その気になってもらう必要がある。
「いや、こんなに周りに美人ばかりがいるんだ…少しくらいは考えるだろう」
「しつこいな、考えないよ」
涼平の顔に嫌悪が混じる。
しかし、少しの冗談なのに恋愛が絡むと、彼は常にこうやって苛立を見せる。
何故、彼をここまで拒絶させるのか分からなかった。
「何で…」
「雪乃…」
感情的になり、涼平に突っかかりそうになったその時、私の手が誰かに引かれる。
それは、結花の腕だった。
「まあまあ、そんな事で喧嘩しないの」
香澄が間に入ってくる。
「雪乃も涼平を弄り過ぎ!面白いのは分かるけど…」
「俺は面白く無い」
こういう時の香澄は、とても正論を振りかざしてくる。
「ごめん…」
そこでやっと、感情的になりすぎた自分を恥ずかしくなった。
私は涼平の気持ちを置き去りにしていた。
私は涼平と周りに頭を下げた。
「涼平も」
日高君が、少し低いトーンで涼平に話しかける。
いつもの落ち着いたトーンというよりは、重みがある印象だった。
「何で、俺が…」
「涼平…」
ぶつぶつ言う涼平を、日高君は睨みつける。
その瞬間、涼平は怯えた顔になり、深く頭を下げる。
「ごめん」