彼女と彼女の事情 前編
修学旅行に行く菅野は、涼平たちと同じ班になる。
しかし、この旅行前に悠木の告白から菅野はある悩みを抱えていた…。
人間はいつでも嫌な想い出を残す。
それは後悔や罪という一言で、その本人を縛り上げてします。
書物はこう語る。
罪の意識は、最も重要な形では、一段と根の深いものである。それは、無意識の中に根をおろしていて、他の人びとの非難に対するおびえのように、意識にのぼってくることはない。
新幹線の中というのは思った以上に、席と席の感覚が狭く、一つ向こうの席の会話が平気で聞こえてくる。
しかし、今の鈴ノ音学園の生徒にとっては、まるで教室にいる感覚で過ごしている。
学生が新幹線の一車両を貸し切り同然で使用できる日、修学旅行である。
特別な相手と特別な旅行だけあって、生徒たちのテンションは高めである。
それもあって、修学旅行の貸し切りの新幹線とバスの中は大概が無法地帯だ。
加えて、超放任主義の担任。
落ち着くはずも無い。
クラス委員の私、菅野雪乃のおかげで出発からてんてこ舞いだ。
担任の沢城先生は、出発五分で早くも寝だして戦線離脱。
ボロボロになった私が、ゆっくり過ごせる頃には、目的地の一つ前の名古屋を通り過ぎた頃だった。
窓の外を眺めて、富士山を見る余裕が無かった事を悔やむ。
「京都か…小学校以来だな」
鞄から昨日買ったスナック菓子を取り出して、私は無意識に呟いていた。
それに反応するように、隣に座る戸松香澄と悠木結花が反応する。
「高校の修学旅行で京都って」
と、結花。
「海外行きたかったー」
と、香澄がぼやく。
二人とも私の友人だが、本当に正反対とも言える性格をしているが、目的地への不満は同じらしい。
「まだ言っているのか」
反対隣、通路を挟んでクラスメイトの長谷部涼平が、声をかけてくる。
その発言に便乗して、奥から日高進が顔をのぞかせる。
「京都も楽しいって」
「そうだ、近場なだけ遊べる時間も多いし」
「二人共、ポジティブだな」
「お前がネガティブなんだよ」
香澄は、涼平たちの声に外方を向く様に窓の外に目をやる。
「先輩に聞いたら、去年は海外だって言っていたわ」
珍しく不満を形にする結花の発言に、涼平は目を丸くする。
「それは豪勢だな」
確かに以前、生徒会の先輩から昨年の修学旅行が海外だと聞いた事があった。
しかし、生徒会に入りたてで環境が変化したばかりの私にとっては、右に左の話だった。
「うちの学校ってそんなに裕福だっけ?」
「前会長が権力使ったんだって」
日高君の疑問に反応する。
以前、私はこの日高君に見事に片思いをして見事に玉砕したわけだが、今では平気に話を出来ている。
「今年は菅野が頑張れば、海外になったんじゃないのか?」
それもこれも、こんな無責任な発言をする涼平のおかげでもある。
彼は夏休み明けのある日、私の恋心を偶然知ってしまい、何故か協力してくれた。
失恋した私に気を遣いながらも、こうやって気軽に話した方が良いというのも、私の性格を知ってか、彼が勧めてくれた。
「そういうのは亜希に言ってくれ」
「平野さんに言えるわけ無いだろう」
平野亜希と言うのは、私と同じ生徒会副会長をしている。
この差別発言をしている涼平も、生徒会役員の一員だ。
私たちは、九月の終わりにとても不思議な体験をした。
それもあってか、涼平とは一緒に行動する事が増えた。
「涼平、食べるか?」
「お、おう」
私がスナック菓子の袋を開けて差し出すと、彼は戸惑った様に手を袋に入れた。
彼は少し戸惑っているようだが、私も彼を『涼平』と呼ぶのにまだ馴れていなかった。
香澄の様に『リョウ』と呼ぶか悩んだが、本人の希望で『涼平』と呼ぶ事になった。
「新幹線も久しぶりだな」
「新幹線が嬉しい年齢でもないだろう」
沁沁する涼平に、香澄が大人ぶる。
そんな彼女の態度を日高君がすかさず崩す。
「香澄は、実は修学旅行を凄く楽しみにしていたんだよね」
「な、な…なんで言うのー!」
赤面して、香澄が日高君に食って掛かる。
「へー、さっきから文句製造機だった戸松が、ねえ…」
鬼の首を取った様に、涼平は香澄をあざ笑う。
香澄は混乱しながら、席を立って声を荒げる。
「う、五月蝿いぞ!」
「可愛いところもあるんだな」
「リョウ、殺す!清水の舞台から突き落とす!」
茶化す涼平に恐ろしい事を言い出すクラスメイトの顔は、耳まで真っ赤だ。
「ボクは雪乃や悠木さんみたいな、女友達と旅行出来るのが楽しみなんだよ」
「か、香澄…ありがとう」
堂々と宣言する香澄の発言に、女友達としても恥ずかしくなる。
結花も少し嬉しいそうに笑っている。
「リョウや裏切り者と遊ぶのが楽しみなわけじゃない!」
「ツンデレなんだから」
追い打ちをかけ続ける涼平に、香澄は今にも食って掛かりそうなポーズをする。
しかし、この三人はいつもこうやって楽しそうにする。
普段は一緒に居て楽しいが、時々少し寂しくなる。
きっとまだ、日高君と香澄のやり取りを見るのが辛いのだろうか。
私の失恋が確定的になったのは、日高君は元々香澄という彼女がいたという事実を知った時だった。
今では良い友達として二人を見えているのは、これもやはり涼平の功績なのかもしれない。
「香澄は部活忙しいの?」
あまり考えすぎて落ち込みそうなので、話題を逸らす。
「ううん、部活とは別にバンド活動もやっていて、そっちのが忙しいんだ」
「バンドもやっているんだ…」
「まだ結成したてだけどね」
香澄は、軽音楽部で活動をしている。
彼女の演奏は、軽音楽部の練習を時々見せてもらって知っているが、素人の私ですら凄いと分かる。
「またライブ来てよ」
「うん、是非!」
香澄は、日高君を私が好きだった事を知っている。
それでもこうやって話せているのは、何とも不思議な感覚がする。
「リョウは来てくれないんだ…本当に薄情だよね」
「お前、そういう所あるよな」
私は香澄と、涼平に意地悪な笑みを向ける。
「俺、酷い言われようだな…」
「最近遊びに誘っても、忙しいの一点張りだしさ」
「それはお前らが…」
泣き真似をする香澄に、涼平は弁明しようと言い出した言葉を止めた。
一瞬、私を横目で見た気がした。
彼はきっと、こう言いたかったのだろう。
きっと、「それはお前らが、恋人だから」と。
「なんだよ?」
「何でも無い」
涼平のこういう部分に救われている。
彼は、私に気を遣ったのだろう。
そこで、私は彼をフォローする。
「涼平は反抗期だね」
「生徒会一の問題児に言われたくないわ!」
しかし、そのフォローに皮肉で返されるとは予想しなかった。
「雑務のくせに、大きく出たな。帰ったら夥しい数の書類整理を押し付けてやる」
「お前、それを職権乱用と言うんだぞ」
いつもの口喧嘩が始まってしまう。
私は少しだけ、こういう時間が楽しく感じていた。
「相変わらず、二人は仲が良いね」
茶々を入れる香澄の声にハッとして、結花の顔を横目で見る。
勿論、こちらを凝視している。
表情は…笑っても、不機嫌でもないようだ。
親友の無表情さが、こういう時は不便に感じる。
「こ、今回は多めに見ておいてやるか」
「上から目線過ぎるだろう」
不自然に会話を切る私には、一つの事情があった。
それは一週間前の放課後に遡る。