第20話 姉妹喧嘩
水の精霊ウィズ。
蒼玉の目。
水色の長い髪。その髪は日によって髪型が違い。時にはストレート。時には三つ編み。時には、縦ロールと日によって次々に形を変えていく。
服装は簡素なドレスのようなもの。淡い水色に濃いマリンブルーが散りばめられた簡素で動きやすいドレスではあるものの、それ故に、その姿で歩く様は優美で流れる水が如く映るだろう。
声は高く済んだソプラノ。お嬢様のような言葉遣いがその声を十全に活かし、その一音一音に優雅さと気品を生み出している。
性格は至って温厚。面倒見がよく、他人のことを考えることができる。しかし、それ故に感情表現は多彩で、穏やかな時はともかくも、怒ったときはまるで激流の如く恐ろしくもある。同じ、女の子であるノンとよく一緒に居り、一番仲が良いが、それ以外の精霊とも決して関係性は悪くなく、一番敵が少ないタイプ。彼女を一言で言い表すなら女性。容姿等はともかくとして、ノンとは違うタイプとして大人である。
これはそんなウィズ達、四精霊が生まれてから少し経ったある日のその後のその後の、とある一幕である。
◆
「これはどういうことですの? ノンっ! 答えてくださいな!」
ウィズがノンを問い詰める。
その顔は、何か信じられない裏切りでも受けたかのように怒りと悲しみに溢れている。
「…………」
ノンは答えない。
「ノンっ! あなたっ!」
「落ち着きなさい、ウィズ。これに関しては……」
「お父様は黙っててくださいまし! わたくしは今、ノンと話しているのですわ。
ねえ、ノン。答えてくださいな。どうして勝手にこんな事をしたんですの?
ねえ、なんでわたくしに一言も言わずにこんな真似をしたんですの!?」
ウィズは俺の制止を振り切り住処の中に飛び込んで、ノンの襟首を掴み揺さぶりながら問いかけ続ける。
俺は、そんなウィズを必死に止めようとするが、住処の中にいるノンの元にウィズがたどり着いてしまった時点で、精霊体では手が届かず、何もすることは出来ない。
「アリア! 二人を止めてくださ……」
俺はアリアの方へ振り返った。彼女ならどうにかしてくれるのではないか。そう期待を込めてアリアに声を掛けるが、それも途中で消えてしまう。
アリアはただ二人を見ている。その表情には焦りや笑みなどの何の感情もなく、ただただ二人を見つめている。
俺にはその表情が理解できず、そして遂にアリアに頼ることを諦めた。
俺は再び二人を見る。
「ねえ、ノン! どういうことなんですの? ねえったら!」
「…………どういうことも何もないのじゃ。我はただ正しいと思った事をしただけじゃ」
ヒートアップしていくウィズの詰問に耐えかねたのか、ノンが遂に口を開いた。
その表情は氷の様で、何一つ感情が見えてこない。ただ淡々と事実のみを伝える。
「それをどうしてと聞いているのですわ! なんで一言も相談してくれなかったですの!?」
「それをすることが今回の件に関してはメリットはなく、デメリットしかない。そう結論づけたからじゃ」
「それはどういうことですのっ! わたくしに相談することは害だとでもいいますの!?」
「そうではないが……、いや、そうなのかもしれぬ」
「ノン! あなた!!」
ノンの言っていることは正しい。確かに今回のことに関して言えば、皆に相談することは決断することの邪魔になるだけだろう。しかし、今はそんな正論を言うべきではないのだ。言葉足らずな上に、ただひたすらに感情を度外視しているその発言は、激昂するウィズの心をさらに逆撫でしていく。
そして……
「もういいですわ!
ノン、あなたにとって、わたくしに相談することはデメリットでしかないということですのねっ!
わたくしはもう知りません! 勝手になさいましっ!」
遂に、ウィズの怒りは頂点に達し、話し合うことすら諦めたウィズは部屋を飛び出していく。
彼女が俺とすれ違う瞬間。確かにウィズは涙を流していた。
「ノン! 何をしているのですか。あなたはそれでいいのですか!」
「問題ないのじゃ、父上。我は正しい判断をした。ただそれは万人にとって正しいとは言えなかったのじゃろうな」
「それがわかっているなら何故!?」
「それでも、我はこの判断を間違っているとは思わぬ。誰にとっても正しい判断であったと考える。故にウィズを追いかけることも、賛同することもできぬのじゃよ」
「ノン! あなたという子は! ああ、もういいです。勝手にしなさい。アリアっ!」
「うん、わかってるよ、カエデ。行ってきなよ。ノンはわたしが見ているから」
俺はとにかく、ウィズを追いかけようと、しかし今のノンを放っておくこともできないと、無我夢中でアリアに声をかける。アリアもウィズがいなくなったことで、先程までの無表情が消えていたようで、少し悲しげな顔をしつつこちらの意を汲んだ返事を返してる。
俺は、その場から立ち去った。
アリアの先ほどの無表情も、ノンの気持ちも今は後回しにして。
ただ、一番弱っているであろうウィズのもとへと。
◆
俺はウィズを探していた。
ウィズはどこかに走っていってしまった。このまま、精霊体で探してもほとんど意味はないだろう。
そもそも精霊体は知覚する為の手段ではないのである。
あくまで、周囲を知覚するのは世界樹本体の仕事なのだ。
俺は周囲一体にマナを広げ、ウィズを捜す。
いない。いない。いない。いない。いない。いない。いない。いない。いない。いたっ!
見つけたウィズだ!
なんのことはない。すぐ身近にいたのだ。精霊たちの住処のちょうど反対側。俺がまさに神器サバイバルナイフを刺された場所のすぐ側だ。逆に遠くばかりを探していて、足元がお留守だったとは…… 一生の不覚!
まあ、ともあれ、俺は、世界樹の根に座り、膝を抱えて泣いているウィズの背後に精霊体を出現させる。
そして話しかけようとした時……
「お父様ですか……」
先を越された。泣いていても周りには気を配っていたらしい。
常に周囲に気を配って生きているウィズらしいといえばらしいかもしれない。
「ウィズ、その……」
と、ウィズに話しかけようとして、俺は言葉に詰まる。
正直に言おう。俺はこういう状況に慣れていない。何を話せばいいのかわからないのだ。
さっきはとにかく無我夢中で、追いかけてきたのはいいのだが、俺は今までこんな状況に遭遇したことはない。
そもそも人間時代の俺は、こういった気を遣うことは苦手だったのである。軽い友人関係、浅い人間関係の中で生きてこようとしていた。
偉そうにノンに高説たれようとしていたが、実際ノンの言葉に反論をできなかったのだ。あれはまさに俺の考え方だった。俺の考えそのものだったのだ。
だが、他人として見る時、何か間違っているとは思った。だが、それが何なのかはわからない。
故に、俺はウィズを慰める言葉を持たない。ウィズをどうこうできる資格などないのだから。
「いいですわ、お父様。あなたがそういう方だということは、わたくし知っていますもの」
「すみません」
逆にウィズに慰められてしまうくらいだ。情けない。
何が父親が馴染んできただ、何が所帯染みてきただ。
結局、俺は人間の時から何一つ成長していないし、何一つ変わってなどいないのだ。ただ、正論だけを述べて、素を出すことさえせず。俺は正面から他人と関わることをしたくないのだ。
故に俺は――
「あの。お父様。聞いてくださいますか?」
――そこまで考えたところで、ウィズが話しかけてきた。
不甲斐ない俺に変わって自分から話してくれるらしい。
正直に言えばホッとした。
誰かを慰めるのには、そのものと同じ立場に立つ必要がある。でも、俺にはそれはできない。故に、相手から話してくれるということは一つの救いなのだ。慰めることはできなくても、話を聞くことで見えてくるものはあるのだから。
「こんなので良かったら聞きましょう」
「ありがとうございますわ、お父様」
ウィズが俺にお礼を言ってくる。
お礼を言うべきなのは明らかに俺なんだろうに。
情けない。
「今回のこと、わたくしは決して、ノンがあの亀裂の事をお父様に話してしまったこと自体を、怒っているいるのではありませんわ。わたくしもノンの判断は正しいと思います。あの亀裂はいずれわたくし達自身の亀裂になってしまったでしょうから。その原因は早々に断ち切るべきです。それは納得できるのですわ」
ウィズは語りだす。
「でも、ただ一つ許せないこと。それは、ノンが自分の決断だけで動いてしまったことですわ。
あの子は正しい子です。冷静で判断を間違えない子。まるで大地のように揺るがない子ですわ。それでいて、他人に対しての観察もやめない子。でもそれゆえにあの子は孤独なのです。
大地は揺るがず、拒まない。
でも、それって悲しいことだとは思いません?
拒まず全てを受け入れるということは全てを自分と同じにするということ。
結局、大地は何を受け入れても大地ということは変わらないんですわ」
大地はいつだってそこにある。そこにあって、どんなものも受け入れる。
山も、谷も、川も、人も、動物も、植物も、火も、水も、家も。全てを拒まず受け入れる。
でも、それは全てと寄り添うということではない。全てを同化し、包括してしまうのだ。
例えそこに川があろうと、山があろうと、人の生活があろうと、人はその地平線全てを大地と呼ぶ。
結局、大地は孤独なのだ。
どんなものを受け入れても、呼ばれるのは大地とだけ。山も、谷も、川も、全ては大地の一部でしかないのだから。
「大地が唯一、存在を異にするのはあの遥か手の及ばない天だけ。でも、天は大地とは相容れない。だって、大地と相容れないからこそ天なんですもの。
だから、わたくしはあの子の傍にいたかった。傍にいて、それでいてあの子に同化することなく、あの子に寄り添うようにいたかった」
ただ、大地とともにあることはできる。だが、その上で大地と対等であることは難しい。対等であるものは、相容れない天のみ。それと対等に、そして寄り添うことはとてつもなく難しい。
「だから今回のことも相談されたかったのですわ。相談されて、一緒に結論を出したかった。隣で、一緒に決めたかった。
でも、結局あの子は大地なんですのよ。わたくしのことを考えたかもしれない、他の子のことも考えたかもしれない。でも、それらをすべて統括し、結局あの子自身で答えを出してしまったんですわ。
それは正しいことかもしれません。それは最善の方法だったかもしれません。でも、結局それは孤独なのですわ。あの子の出した結論は孤独。全てはあの子の中に包括されていく。誰もあの子に寄り添えない。そのことが何より、何よりわたくしは悔しいのですわ!」
誰も寄せ付けないなら、その胸襟を開かせればいい。無理に近づけばいい。
でも、誰も彼もを受け入れ、その上ですべて自分で包括してしまう相手に対してはどうすればいいのだろうか。
結局、その答えは俺の中にはない。
ただ言えることは。
「大地とともにあることはできる。けど、それは一方通行だ。どこまで行っても、君は片思いだ。ノンの心に君は自分の一欠片としてしかいないのだから」
「そう、ですわね…… すみません、お父様。一人にしてもらえますか」
「ああ」
結局、俺は何もできない。ただ、事実を述べるだけだ。俺の中に答えなんてないのだから。
俺は、精霊体を消し、ウィズの前から姿を消した。ただ、消える瞬間に聞こえた、ウィズのすすり鳴く声だけはいつまでも俺の頭の中に響き渡り続けていた。
◆
俺は知覚を閉ざし、暗闇の中で、頭を抱えてただ一人考え込みつづけていた。
頭の中には、様々なことが巡る。
ノンのこと。ウィズのこと。
俺自身のこと。
そして、二人の口論の中ただ沈黙を貫いたアリアのこと……
「カエデ。君はどこまでも木なんだね。
ただそこにあって、何者でもなく、ただそこにあって、不動である。
君は木だよ。木に相応しい。
でも、それゆえに、君はまだ世界樹としてふさわしくはない。
世界樹は世界を包み込まなくてはいけないんだからね。
君にはまだ、その力がない」
っ!
俺は顔をあげる。
アリアだ。知覚を全て閉ざした暗闇の中にアリアの姿だけが浮かんでいる。
その表情にはいつもの明るさはなく、少し悲しげに微笑みながら、こちらを見ている。
「アリアですか……? 本当に神出鬼没ですね。知覚を閉ざしていても現れるなんて」
「神様だからね」
「神様…… アリア。あなたには、どうにかできたんじゃないんですか。あの二人の喧嘩を」
なんでもできる神様なら。全てが丸く収まる方法を、答えを出せたはずなのだ。
俺にはできなくても神様なら……
「できたかもね」
「ならっ! どうして……」
「神様にだって、できることとできないことはあるんだよ?
あの喧嘩そのものをどうにかすることはできる。
例えばそう。ノンやウィズの精神をイジってしまう。喧嘩しないように、仲直りするようにイジってしまう。そういうことならできる。でも、それを解決と呼ぶかい?」
「それは……」
「結局、神様にだってね、答えのないことを答えることはできないんだよ。
それは結局、本人が折り合いをつけるしかない。
でも、神様になら答えのない問題自体をなかったことにはできる。できてしまう。
故にわたしは、干渉できない。
わたしにできるのは環境を整え、少しずつそれが動くのを、変わっていくのを待つだけ。
君の…… いや。いつかを待つのも辛いんだよ?」
「いつか? なんのことです?」
「君がその答えを理解できる日がいつかだよ」
わからない。俺には理解できない。
「でも、いつかは少しずつ近づいている。わたしの生まれてしまった願いが叶う日は近づいている。その日が来れば、わたしも変われるのかもね」
「それは、一体……」
「さあ、カエデ。目を開き、前を見るんだ。君はまだ、いつかにたどり着けないけど、でも、君の子供たちは違う。彼らは前に進み続けている。だから、せめてそれを見て、君も前を知るんだよ」
俺は、俺はなんなのだろう。俺は。
俺は、混乱の中で、アリアに促されるがまま、目を開いた。
◆
再び、世界が目の前に広がった。
青い空。赤茶色の大地。
そして、目の前には世界樹にもたれかかるように座るアリアの姿。
俺は、ただなんとなく、その姿に触れたいと思った。
そして、アリアの傍に精霊体を出すと、そっとアリアに触れようとする。
少しずつ、少しずつ指がアリアに近づいて……
「起きたみたいだね」
俺はアリアから急いで距離を取り平静を装う。
「アリアも起きたみたいですね」
「ふふっ、別に離れなくてもいいのに。まあ、いいや。さあ、急ごう」
「どこへですか?」
「ウィズの元だよ。彼らが歩き出す前にその姿を君に見せなくちゃ。さあ、早く!」
アリアが俺の精霊体の手を取りどこかへ引っ張っていく。
「ちょっ、アリア! ちょっと、待って……!」
「早く早くだよ!」
そう俺を引張って行くアリアは、すでにいつもの子供っぽいアリアで、俺はただ引っ張られるがままそれについていくことしかできなかった。
そこは先ほど、俺とウィズが話した場所であった。俺がウィズを慰めれなかった場所。
そこに、二つの影がある。
一つは青い影。ただ、大地に寄り添いたいと願う青い影。
もう一つは赤い影。ほんの僅かだけ、でも確実に燃え続ける赤い影。
世界樹が根を広げるその地には、ウィズとソラが隣り合ってその根の上に座っていた。




