第14話 百年後の成長
無限に広がる大荒野。
その赤茶けた乾いた大地と、雲一つない青空が綺麗なコントラストを描くこの地には、一本の美しい木が立っている。
その高さはおよそ六十メートルはあろうか。
大地に根ざす立派な太い幹。そこから無数に伸びる枝枝からは、多くの葉が横に広く、まるで天を覆い尽くさんがごとく生い茂っている。それはまるで大地を守る屋根のようでもある。
そしてまた、天と大地を分かつその青々とした葉達は、また先端がそれぞれ三つに分かれるような切れ込みが入っており、その一つ一つがまるで海神がもつ三叉の鉾のような美しさと威厳を誇っているのだ。
ああ、それはなんと美しい存在か。
ああ、それはなんと威厳のある存在か。
世界樹メープルランド。
それは、この世界にただ一つ存在する命であり、この世界のマナを司る偉大なる存在。
この大荒野、そしてこの世界そのものの中で最も美しい存在、それがこの世界樹なのである!
…………
…………ふうっ。満足満足。
どうだろうか。皆にも、この素晴らしい世界樹の美しさが伝わっただろうか。
ん、これは自画自賛じゃないのかって? 恥ずかしくないのかだって?
はははっ!
ああ、そうだよ。自画自賛だよ。だが、全然はずかしくなんかない!
俺は今、非常に満足している。
見てくれ、俺の、いや世界樹のこの素晴らしい威厳を。幹や枝葉の形と大きさの完璧な黄金比を。
俺はこんなに素晴らしい木を見たことがないっ!
いや。確かにまだ不満はある。
たとえば幹の太さだ。確かに綺麗な形ではあるのだが、もう少しコブ付いた感じの方が、大地に根ざしている感じが出る気もする。いや、しかし、この全体の黄金比を崩したくはないし……
それに、そう。あれだ。枝の本数だ。もう少し下部の枝の数を絞って、一本一本を太くし、上部で枝分かれさせたほうが下から見上げたとき、綺麗に木漏れ日が落ちるのではないだろうか。まあ、太陽はまだないから、木漏れ日も落ちないんだが。
こう考えてみると、まだまだ不満はあるのだが、しかしそれでも余は満足であるぞよ。
俺は遂に、こんなに立派な木になったのだから!
「――ふーん。立派なのかなー、これが?」
なんだ、アリア。俺に喧嘩を売っているのか?
いいだろう。その喧嘩、言い値で買おう! 後で後悔しても知らないからなっ。ぐうの音も出なくしてやるっ!
さあ! この木のどこに文句があると!?
「まあ、普通の木としては立派な方なのかもね。でも、他の世界の世界樹も見たことがあるわたしとしては、まだまだだよ。大きさも、見るものを圧倒する威厳も全然足りてない」
ぐぅ。
あまりの正論にぐうの音も出ない。いや、出てたけど。
うーむ。そう言われてしまうと、そう思わなくもない。
確かに、今の俺は全長六十メートルにも及ぶ巨木だが、所詮は普通の木としての話。
世界樹としては、まだまだひよっこだろう。
かの有名な世界樹ユグドラシルなんかは、その木や根に複数の国、ないしは世界を内包していたというし、その大きさは推して知るべしだろう。
それにまだ所詮六十メートルだ。
もといた世界ですら、世界最大の木であるハイペリオンは百十五メートルもあるという。そもそも百メートル超えの木なんてゴロゴロ転がっていたのだ。それを俺はたった六十メートルで……
いや、でも。でもだぞ、俺はたった百年でここまできたんだ。時間の割には大きいほうじゃないか?
そうだ、そうだ。樹齢百年で六十メートルなんて、俺は十分にやっている。
精霊体の訓練や、還元・循環の訓練もあるし、これ以上早く大きくなるのは難しいのだ。仕方ないのだ。
「ふーん、そうかそうかい。志が低いんだね、君は。
そんなのでいいのかい? はぁ~、そんなとことろで満足してるなんて、わたしは君を見損なっていたようだね。
カエデの理想はそんなちっぽけなものだったのかい?
時間なんかを言い訳にして、それでそのちっぽけな自尊心を満たしているのが君の木への理想だったのかい?
そんなちっぽけな、くだらない理想ならいっそのこと捨てちゃいなよ!!
わたしが見初めた君の木への思いは、そんなものじゃなかったはずだよっ」
ぐはっ!!
アリアの言葉が、俺の心に深く突き刺さった。
確かに、確かにアリアの言う通りだ。俺の理想は、俺の木へかける思いは、決して誰にも負けないもっとずっと大きなものだったはずだ。
なんで、俺はこんな小さなことで満足に浸っていたんだ!
なんで、俺は、今もっと大きくなろうと足掻いていないんだっ!!
自分が情けない。もっと、上を目指さなければ。
さあ。こうして悩んでいる時間すら惜しい。
今は、もっと大きくなるために努力すべきなのだ!
「そうだよっ。その意気だよっ。それこそわたしの心を射止めた君の理想だ。さあ、特訓だよっ!」
ああ! どんと来い!
今の俺に心の弛みなど全くない。どんな訓練だって乗り越えてみせる!
……しかし、大きくなるための訓練ってなんなんだろうな?
「特訓内容は簡単だ。今すぐわたしにその樹液をお腹一杯飲ませるんだよっ! さあ、早くっ!」
「っ! 分かりましたっ。さっ、どうぞっ!」
俺は、アリアの指示に従い、すぐさま幹の隙間から樹液を垂らす。
この百年にも及ぶ長期間、毎日のように、ひたすらアリアに樹液を与え続けた俺は、遂に木を傷つけなくても樹液をどの部分からでも自由自在に分泌することを可能にしたのである。
……まあ、正直、俺もいらない技術だとは思う。
だが、この成果か知らないが、最近では液状化した高密度のマナですらほとんど自由自在に操れるようになったのだ。それどころか、体内のマナの密度分布まで自然と把握できるようにまでなった。
なんだこれ。
これも修行だったのだろうか。
そう考える時が俺にも少しはあった。
いや、でも俺は知っている。俺の樹液を舐めている時のアリアの心の底から嬉しそうな顔を。
アレは間違いなく、そんなことを考えず、単に樹液を舐めたいだけだ。
他のどんなことがアリアの算段の内だったとしても、アレだけは違うと断言しよう。アレはただのアリアの食いしん坊だ!
「いただきますっ」
アリアが俺の幹に齧り付く。いや、実際に齧り付いているわけではないのだが、そうとしか表現できないほど勢いよく樹液に突進してきたのだ。どう見ても樹液を飲み干す気満々だ。
あんなに甘いものばかり飲んで太らないのかね……
あー、それにしても、すごく美味しそうに飲んでいるな。
あーあー、そんな頬一杯に貯めなくても。
うん。見ていて、なんとも愛らしい光景である。
あー、心が和むわー。
………………ん?
だが、よく考えてみれば、アリアに樹液を飲ませることが、俺が大きくなるのに何の関係があるんだ?
むしろ内部で貯蔵しているマナが減って成長が遅れるんじゃないのか?
樹液こと液状化マナは高密度のマナの塊である。それは一滴ですら、その数百倍から数千倍近い量のマナが凝縮されているのだ。
それを毎日、アリアがあんなに飲んでたら――
「――っちょ、アリアっ!? もしかして、アリアが樹液を飲むことで、むしろ成長って遅れてませんっ!?」
俺は、一瞬頭によぎった嫌な予感をアリアに問いかける。
するとアリアは夢中になって樹液を飲んでいたその動きをピタッと止め、顔をあげてしばしこちらを見ると……
「…………」
無言で再び樹液を飲みだす。
あれ? 何、その間?
え? 本当にそうなの?
ねえ、アリア? アリアさん!?
俺は精霊体でアリアを強く揺さぶる。するとアリアはめんどうくさそうに顔を上げて、
「……ちっ! もう、そのことに気がついたか…… だがもう遅いわ!」
そうどこかの悪役のような口調で毒づくやいなや、再び勢いよく樹液を舐めるのを再開した。
何故だろう。心なしか、先ほどまでより樹液を飲むスピードが早い気がする。
ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっ…… ちょっと待って! 本当に? 本当に?
マジでこれで成長遅れてるの?
ヤメテ。俺の成長の糧を飲むのはヤメテ。
俺は必死でアリアを制止するが、アリアは止まらない。木にむしゃぶりつくようにして樹液を飲み続けている。精霊体で引っ張ろうがお構いなしに、むしろ飲むスピードが上がっているくらいなのだからどうしようもない。
仕方なしに、俺は最後の手段に出ることにする。
そう。アリアに樹液を飲まれ続けた、この百年で身につけた技術を最大限に用いて、体内の液状マナを操作し、アリアが舐めている付近の樹液を全て引っ込めたのだ。
これをすると、体内循環に乱れが出てしばし体調不良になるので、あまりやりたくはないのだが止むをえない。
このままアリアにマナを吸われ続けることを考えれば、二三日冷え性に襲われるくらい、些細な損失だろう。
俺がマナを操作し終えて樹液が供給されなくなり、残っていたぶんもアリアが舐め尽くしたことで、その幹の隙間から樹液が完全になくなる。
もはや直接吸い付いたところで、樹液が一滴も出ないことを確認したアリアは、そしてゆっくりと再び顔をあげた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
しばし、見つめ合う、アリアと俺の精霊体。
「…………」
「…………樹液、ちょうだい?」
アリアが媚びるようにコトンと小首をかしげる。
かわいい。なんだこの可愛らしい生き物は。
それは、いつもと違う小動物的な可愛さである。
反則的なかわいさだ。
だが、そんなもの!
「…………」
「…………ダメ?」
「……ダメです!」
俺の木としての成長願望には叶わない。
……まあ、少し心が揺れ動きかけたことは内緒だ。
「えー」
俺のきっぱりとした断りに、アリアが不満そうな声をあげる。しかし、俺は全く取り合わない。
アリアの笑顔もかわいいが、それでも俺は成長したいんだ!
その後、俺は二時間に渡りアリアを説教したのだが、最終的に涙目のアリアの可愛さにやられて、結局二日に一回は樹液を与えるよう譲歩してしまったことはこれまた内緒である。
ああ、かわいさが憎い!




