第13話[閑話1] 世界樹の樹液《メープル・シロップ》
「芽の章」と「幼木の章」の間のお話。
プロローグで主人公の名前を書いた時から、この話のタイトルは決まっていたと言っても過言ではない!
これは、俺が世界樹メープルランドと名付けられてから、少し経ったある日の話である。
木としての名前が付けられた俺は、今までには考えられないくらい、すくすくと成長していた。
あれから数週間しか経っていないにも関わらず、今や、その全長は一メートルにも届かんとしている。
こちらに転生してから、およそ二年近くで十数センチしか伸びなかった時とは雲泥の差である。
そんな中、俺は、アリアの監督の元、日々、マナの還元や循環を行っていた。
毎日の訓練と実践の成果か、一日に生み出せるマナの量は日に日に増えているが、その大半は本体内での死蔵状態である。
アリア曰く、「死蔵しているんじゃなくて、成長用の貯金」らしいが、どうもあるものは使ってしまいたくなる浪費家の俺としては、なんだかもどかしい気もしなくない。だが、アリアが常に俺のマナの使い道を監視している為、そうそうマナを浪費する隙もなかったりする。
なんだか、財布を嫁に握られている哀れな夫の気分だ。
さて、このマナの貯蔵に関して驚いたことといえば、世界樹の持つマナの貯蔵能力の高さである。
世界樹である俺の本体は、一メートルまで伸びたとは言え、まだ世界樹としては、ほんの小さなものである。
しかし、そうであるにも関わらず、俺の体内に保存されているマナは、すべて排出するならば、周囲数十キロを軽く覆い尽くせるであろう量なのだ。どう考えても物理法則が仕事をしていない。まあ、異世界に物理法則を求める方が間違っているのかもしれないのだが。
それにしても、この膨大なマナが俺の体内でどのように保管されているのかに興味を持ってしまうのは、まあ、好奇心の生き物である元人間としては当たり前のことであろう。
いくら自分の体とは言え、人間が自分の血液の流れを把握できなように、俺にも世界樹の中がどうなっているのかはわからないのである。今ほどレントゲンが欲しいと思ったことはない。しかし、無いものはないのだ。今、この状況で、自分の体内の様子を知る方法は、俺にはひとつしか思いつかない。
なので、その方法、アリアに聞く、をやってみた。
「あのアリア? 体内のマナってどうしてこんなにもたくさん保存できるんですかね? というか、世界樹の体内ってどうなってるんです?」
「ん? 気になる? そう……ふふっ。知りたいなら、教えてもいいけどねー」
マズイ。すごく悪い笑みだ。嫌な予感しかしない。
今まで、アリアがこの顔をしたときはろくなことがないのである。
具体的には、訓練が厳しくなったり、本体を蹴られたりする。
ああ。できるなら、今すぐこの場から逃げ出したい気分だ。
まあ、木なので物理的に動けないのだが。
「あの……、やっぱり、いい、です……」
「知 り た い よ ね?」
「っ! はひっ。ぜひ教えてください……」
「そう。ならしょうがないから教えてあげよう」
ダメだ。逃げられない。諦めて、話を聞くとしよう。
まあ、どうなっているかの話を聞くだけである。まさか解体するようなことをしたりはしないだろう。
「よしよし。そうだねー。それ自体は大したことはないんだよ。
世界樹の中にマナを保存する方法はね、マナを高密度に圧縮して循環させる。ただそれだけ。まあ、その圧縮度がとんでもなく高いから、元のマナに戻った時とでは大きく体積の差が出るんだけどね」
何でもアリア曰く、世界樹の体内では、俺は無意識の内にマナを高密度に圧縮した上で、体全体へと常に循環させているのだと言う。これは、どんな世界でも世界樹しかできないことらしい。神にすら中々できないというのだから驚きだ。
そして、普段俺の体から自然と溢れてくるマナは、その流れから溢れた、ほんの残滓が元のマナ密度に戻ったものであるのだという。
「へえー。そうなんですか。つまり人間にとっての血管のような、体中に張り巡らされた管に高密度のマナが流れていると考えればいいんですかね」
「そういうことだね。通常、マナは霊体状のもので、物質では触れることはできないし、一部の者しか見ることすらできないものなんだよ。でも、これを超々高密度に圧縮し、凝縮すると、粘度の高い液体状の半物質になる。生き物でも触れれる程度の状態にね。だから凝縮されたマナは物質であるところの世界樹の体内を流れることができるってわけ」
「へえ。面白いですねぇ」
「実際に圧縮されたマナを見てみるかい?」
「そりゃあ、是非」
「そう……」
ん? 見てみる?
どうやって見るというのだろうか?
この世界で圧縮されたマナが存在しているのは俺の体内だけだというのに。
……嫌な予感がする。
「少し借りるよ」
アリアが俺の、正確には俺の精霊体の脇腹をえぐる。
比喩的表現とか、えぐるように殴ったとかではなく、本当の意味でごっそりと脇腹の肉、もといマナをえぐって持っていく。
「はうっ」
俺は声を上げてしまう。
ああ、一つ誤解しないで貰いたいのは、とてつもなく痛いからとか、そういうのではないということだ。
むしろくすぐったいぐらいだ。
この精霊体とは物質ではなく、俺の意識の残滓が残ったマナの塊である。
例え、精霊体から切り離されても、まだそれは俺の感覚とつながっているのである。
イメージとしては、体が二つに増えた的な?
精霊体のえぐれた脇腹もすぐに周りのマナを薄めることで補填できるし、痛みはないのである。
なら、何が問題かというと、切り離された方も俺の感覚とつながっているということだ。
つまり、俺はあの、アリアが片手で弄んでいるマナの塊からでも感覚を感じるのである。
……これ以上は言わなくてもいいよな。つまり、まあ、そういうことだ。
痛くはないのだ、むしろ……
コホンっ。
とにかく、脇腹はダメなのである。弱いのである。声が出てしまうのである。
でも、それをいじくりまわしているのは、見た目幼女のアリアだ。
ここで、反応してしまうのは、何かダメな気がする。
どうにかしなければ。どうにか耐えなければ。
どうにか。
どう、にか……
◆
五分後。
色々あって、精も魂も尽き果てた俺がそこにいた。
もし、俺が人間の体であったら、まず間違いなく俺は今、いわゆるレイプ目になっていただろう。実際、精霊体がなってるし。
ごめん。俺、汚されちゃったよ……
もう、お婿にいけない……
と、まあ、それはともかく。
……それはともかくっ!
十分間、俺の脇腹から抉り取ったマナを、何やらいじくり回していたアリアの手には、今、何故か、大振りのサバイバルナイフがあった。
もしかして、俺の脇腹、もとい元脇腹のマナから、新たに創造したということか?
まさか、俺がこの世界で最初に見ることになる創造がこんな形であろうとは……
正直がっかりだよっ!!
というか、それなら言ってくれれば、マナを新しく還元したのに。
なんで、俺の脇腹から。よりにもよって脇腹から取ったんだっ!
「そっちのほうが、面白いし?」
「やめてください。本っ当に、やめてくださいっ!」
「はははっ。ごめんごめん」
笑い事ではないのである。
俺に新たな性癖が生まれたらどうしてくれる!
前も脇腹を抉られたことはあるが、あれはすぐに解放された。今回は十分もである。正直ヤバかった。
まあ、それはいい。もう、終わったことだ。
そんなことより、そのナイフは一体どうするのであろう?
今、ナイフなんて出しても何の役にも立たないと思うのだが?
「ん? だから、圧縮したマナを見せるんだって。
こうやって……」
アリアが両手でナイフを持って、上に振り上げ……
ザグッッッ!!!!
痛いっ!
痛っつー……、今度は本当に痛かった。
アリアが腕を振り上げ、そして振り下ろした途端、俺に痛みが走ったのだ。
正確には、俺の本体、その幹の部分の真ん中辺りにだ。
見てみると、そこにはアリアの出したナイフが俺の幹に深々と突き刺さっている光景が。
十センチは刺さっているだろう。
あのか細い腕でどうやってここまで深く……
おっと、問題はそこではない。なぜ俺が刺されているのかということだ。
俺、何かしただろうか。
二股とか、浮気とかして刺されるような男のようなことを。
そんなに、モテた記憶はないんだがな……
まあ、あくまで本体の感覚は木であり、人間程敏感でないため、例えるなら針仕事で指に針を突き刺したぐらいの痛みしか感じないのではあるが、モテてもいないのに刺されるのは何か釈然としない。
いや、モテたら刺されても良いというわけでもないんだけどね。
しかし、いきなりナイフで突き刺すのはどうなんだ。人として。いや、神として。
「だって、見たいんでしょ? 圧縮したマナ。だから見せてあげようとしてるんじゃない。
ほら、そこだよ。見てごらん」
アリアがナイフを抜いて、その部分を指差す。
その傷口から何やら薄く黄色がかった半透明の液体が垂れてきている。かなり粘度が高いらしく、とてもゆっくりだ。
例えるなら、はちみつやメープルシロップに練り飴を足した感じであろうか。
その圧縮されたマナが俺の木肌から延々と流れ落ちてくる様は、まるで木から樹液から樹液が溢れてくる光景のようで、木になりたかった俺としては、すこし感慨深いものがある。
実際、よくよく考えてみれば、俺の体内を常に巡っている体液のような液体なので樹液と呼ぶのは決して間違っていないのである。
世界樹の樹液。いい響きである。
なんでだろう。そう呼ぶことができるのが、かなり嬉しい。
「どうだい。見れて良かっただろ?」
「そう……ですね。良かった、かもしれません」
「ふふん!」
何故か、アリアが自慢げに胸を張ってる。
別にアリアの手柄ではあるまいに。
いや? 俺の世界樹の体はアリアに作られたのだから間違ってはいないのか?
まあ、どちらにせよ、なにか納得がいかないんだが。
こらっ、その無い胸を張るな! 張ったところでどうせ無いんだから。
「んっ? 今なんか不快な思考が流れた気がする」
ちぃっ! さすが神だけあって察しがいい。このことを考えるのは止めにしよう。
世界樹の身体が成長したことで踏み潰される大きさではなくなったが、変わりに色々な嬲られかたをするようになったのだ。
神を舐めてはいけない。
「んー。カエデ。」
「な、なんですか?」
結局、いつまでも胸のこと考えてたのがバレたか?
ヤバイ。殺される?
「それ、ちょっと貰っていいかな?」
違った。良かったぁ。
でも。ん?
「それ?」
「ほら、その圧縮されたマナ」
「ああ、俺の樹液ですか」
「ああ。まあ、そうとも言えるかなー。とにかく、それ少し貰っていい?」
「いいですよ。どうぞ」
これくらい別にいくらでもあげよう。
胸の話を考えてたとバレた日にはどんな目に合うかわかったものではないのである。
バレないうちに、誤魔化し誤魔化し。
大体どうせ溢れているのだ。こぼれた分を上げても問題はあるまい。
「うん。じゃあ、貰うよー」
そう言って、アリアは世界樹の傷口に近づくと、両手でその垂れてくる樹液を受け止める。そして、両手から溢れんばかりに溜まったそれを持ち上げたかと思うと、口に当て……
飲んだ。
「えっ! ちょっ、それ、飲んでいいんですか!?」
「んぐっ、んぐっ……ぷはっ、美味しいっー」
「美味しい!?」
「うん。最高!」
アリアは、口元にまだ残ったそれを右手で拭い、その拭った右手を舌でペロペロ舐めながら、とろけるような笑顔でそう言った。
……ヤバイっ。その仕草かわいい。
コホンっ。
とにかく、それは今までに見たことがないくらい、すごく幸せそうな笑顔であった。
どうやら本当に美味しいらしい。
「美味しいだけじゃないんだよ! 還元されたばかりの純度の高い濃縮マナは、マナという生命の源がギュッと濃縮されていて、栄養価もとんでもなく高いんだよっ。瀕死の生き物、ほとんど天国に召されちゃってる生き物であってもすぐさま復活するくらいなんだよっ。人間なら、一舐めで三十歳は若返るね!」
なんだそのエリクサー的な食べ物は。
それにしても、熱弁しすぎだろう。まだ、手に残ったの舐め続けてるし。
いや、かわいいんだけど、どうなんだそれ。行儀的に。
「しょうがないじゃないか! 美味しいんだからっ。
カエデ。君はこの食材の素晴らしさを知らないんだよ。これは、そう。例えるなら、天上から滴り落ちた高貴なる一粒の雫。ほんのりと木の香りを漂わせるしっかりとした甘味。それでいて甘すぎない絶妙の加減。その味の深みは、三千世界を見回しても、これに勝るものはないと言ってもいいねっ。少なくとも、甘味類の中では最高だと、創造神であるわたしが神に誓って断言するよ!」
神様が、神に誓って断言するらしい。よっぽどだな、これは。
「だから、早くもう一口よこすんだよっ! わたしは、君が今日質問してきた瞬間から、ずっとこの時を待っていたんだから!」
そうか。俺が質問した時に浮かべた悪い笑みはこれを狙ってのことだったのか。なんとも食いしん坊な神様である。
まあ、世界樹の樹液がここまで絶賛されることには、俺も正直悪い気はしないのであるが。むしろ誇らしい。
前世では、俺はあまり料理なんてしたことはなかったのだ。誰かに自分の作ったものを美味しいと言ってもらえるのは何とも嬉しいものだ。
まあ、それが俺の体液であるということを深く考えると、何かこう色々ダメな予感が生まれてくるのだが。
だが、まあそれはいい。考えないことにしよう。
さあ、そんなに欲しいなら、どんどん飲め飲め! 遠慮は無用だっ!
「そうかいっ! じゃあ、さっそくっ!」
おれがそう言うと、アリアは喜々として飛び込んできて、掬っては舐め、掬っては舐めを繰り返す。そのあまりにもな勢いに、俺の樹液はアリアの体中に飛び散って、全身をベタベタにしてしまっている。それでも、アリアは止まらない。しまいには、手ですくう事すら焦れったくなったのか、垂れている部分に直接口をつけ、そのまま吸い上げようとしてきた。
さすがに俺も慌てて、精霊体でアリアを羽交い締めにし、樹液を求めて暴れるアリアを無理やり引き剥がす。
なんだこれ……
どこかの中毒患者か……?
どうやら、あまりにも美味しいものは人を、いや神様すら狂わせるらしい。
しかし、本体に触られるくらいならともかくも、直接体を舐められたり、吸われたりするのは遠慮願いたい。
いや、俺の精神からまだ人間が抜けきっていないせいかもしれないのだが、これはさすがに色々アウトな気がする。
だって、アリアだぞ。見た目幼女だぞ。絶対アウトだろ、これ!
どうやら、まだ俺にも感覚的気恥ずかしさと、精神的罪悪感というものはあるらしい。正直、恥ずかしさと罪悪感で死にそうである。
それに、問題はもう一つある。
それは、アリアが余りにも大量の液状マナを舐め続けることだ。
皆さんお忘れかもしれないが、そもそも、俺の意識の残滓として、体外に溢れた程度のマナで構成した精霊体でも、俺の一部として感じるのである。
まして、体内を流れていたばかりの高密度のマナなどは、言わずもがなというやつである。放っておいたら、殆ど俺の体と変わらないほどの感覚のフィードバックがあるといっていいだろう。
これも、多少であれば、意識を逸らし、意図的にリンクを切ることもできるので、さっきから必死に感覚を消し続けてきたのだが、さすがにそろそろ限界である。意識のリンクを切るのもかなりの集中力が必要なのだ。これだけ大量に舐められるとそれもおぼつかない。
結果的にさっきの一瞬だけ、ほんの少し感覚リンクが繋がりかけたが、それだけでも自分の身体が直接幼女に舐められているようで、少し気持ちが良……、コホンっ、あー、妙な感じがした。
これは、アウトである! 確実にアウトである! 絶対アウトである! 断じてアウトである! 誰が何といってもアウトである!
「もっと舐めさせろーっ! もっと吸わせろーっ!」
故に、こんなことを言い続けているアリアを野放しにしておいては、正直俺の身がヤバイ。
だから、これは仕方ないのである。止むをえないことなのだ。
恨むなよっ!
俺は、精霊体でアリアを後ろから羽交い締めにしたまま、やったこともないバックドロップをし、失敗して自分の首まで地面に着きかけたその直前に精霊体を解除することで、上手くアリアの身体だけを地面に叩き付けた。
南無三っ!
大地に強い衝撃が走る。
数秒続いた地面の振動のその後には、体を強く地面に叩きつけられた衝撃で目を回した幼女と、打ち捨てられ大地に突き刺さった樹液まみれのナイフ。そして、色々な罪悪感に襲われ、今ある現実から目を逸らそうと必死の世界樹だけが残っていた。
◆
その後のお話。
目を覚ましたアリアは、精神的にも正気に戻ったらしく、俺の説教を受けながら、自分の行為を恥ずかしがっていた。
その姿は大変かわいらしかったのだが、あまりにも俺が説教しすぎたせいか、今度は、逆に開き直ってしまい、むしろ俺がバックドロップをしたことをやり過ぎと攻めてきた。
俺自身、多少なりともそのことに罪悪感を持っていたことが災いしてか、その心の隙間に付け入られ、気が付けば、感覚リンクを切る訓練をもっとして、早く完全に切れるようにすること、そして、それが出来るようになったあかつきには、アリアに浴びるほど樹液を飲ませることを約束させられていた。
あれっ? どうしてこうなった?
なお、それから十年近く訓練を積んで、遂にどんな状況でも、いくらでも感覚リンクを切っていられるようになったのだが、それまでの間もほぼ毎日のようにアリアにせがまれ、結局耐えられる程度の樹液を与え続けていたのは余談である。
実際のメープルシロップは、サトウカエデの樹液などを濃縮して作るらしい。
あと、この話の、主人公は木だからね!
木だから色んなことがあっても大丈夫なんだよっ。
……木だからね?




