第12話 その木の名は……
それから一年の時が流れた。
俺は相変わらず、訓練に訓練を重ねる日々を送っている。
勿論、黒いマナには細心の注意を払ってだ。むしろ神経症じゃないかと言われるくらいには、注意を払っている。
だって、怖いんだもん。
一応、アリアもしっかり監視していてくれているし、俺自身もマナの循環にだいぶ手馴れてきたので、何かあっても大丈夫だとは思うのだが、しかし、やはり怖いものは怖い。
あの黒いマナ事件は正直、俺にとってトラウマなのだ。
しばらくは黒いものを見ただけで、過敏症のようにビクビクして反応してしまったりもした。
ある時、アリアがたまたまゴスロリを着ていたのを、咄嗟にその黒色を黒いマナと勘違いして、精霊体を暴走させてアリアに殴りかかってしまったのは、なんとも忘れたい恥ずかしい思い出だ。
ちなみに、その後、アリアは決して怒ったり、イヤミを言ったりすることなく、むしろ対処方がなってないと冷静にダメ出しをして、俺を数時間説教した。
その言い分があまりにも尤もなのと、普通に冷静に対処されたことが、余計に恥ずかしくて、むしろイヤミを言うなりしてくれた方がよっぽどマシだった。
まあ、アリアもアリアで俺の様子に気を使ってくれたり、黒いマナについて真剣に考えているのだろう。
それがわかっただけで十分な成果だったと思いたい。
というか、そう思ってないとやっていられない。
ああ、アリアといえば、あの日のアリアの宣言である。
あの後、実際アリアは、本当にこの世界専属の神様になったらしく、毎日のように俺の所に来るようになった。
ただ、実際の住処は別にもあるらしく、四六時中ここにいるわけではないのだが。それに、その住処はやはりこの世界ではないらしい。アリアが現れるときはいつも唐突で、気が付けばどこからともなくそこにいる。そして帰るときも、俺はずっと見ていたはずなのに、気が付けばアリアの姿がそこから消えているのだ。
一度、どういう移動の仕方をしているのか聞いてみたのだが、説明内容がいつにもましてちんぷんかんぷんで全く理解できなかった。
ともあれ、この世界専属になったことで、住処にいる時でもどうやらこちらの様子は見ているらしく、俺が何か困っているとすぐに現れる。最近は、むしろ少し構われ過ぎで正直少しうざい。で、実際にそう言ってみると、今度はすぐに反抗期扱いしてくる。やっぱりうざい。なんだ、お前は俺の母親なのか!?
そして、彼女は今日も通い妻如く、粛々と俺の所にやってくるのである。
ああ、憂鬱だ。むしろ前くらいまでの頻度に戻らないかな……
まあ、実際、来る頻度が減ってしまったらそれはそれで寂しいんだけどね。
自分で言うのもなんだが、ひねくれているのである。
アリアがそのことをツンデレと言ったときには、迷わず殴ったが。
「カエデっ! ねえっ! カエデったら!」
ああ。どうやら今日もアリアがやって来ているみたいだ。
はいはい。聞こえてるよっ。うるさいなぁ。
ちょっと、精霊体の耳元で騒ぐのはやめてくれないか。実際、そこから聞いているわけじゃなくても、なんか非常に耳障りに感じる。
というか、ああー、近い近い。顔が近い。
別に俺の本体じゃないから問題ないはずなのに、なんでこんなにもこの距離感にドギマギするのかね。
「はいはい。って、ああ、もうっ! 少し離れてくださいよっ。
あのー、悪いですけど、一週間ばかり一人にしてくれませんかね。少しは、プライベートな付き合いの方も大事にしたいんで」
「何、倦怠期の夫婦みたいなこと言ってるんだよっ! 大体、君に他に誰との付き合いがあるっていうんだい?」
それを言わないでくれ。友達いないみたいで、寂しくなるから。
べ、別に、友達がいないわけじゃないんだ。そもそも生き物がいないんだから仕方ない。
そうだ。そうだ。
俺はぼっちなのではない。一人でも生きていける強い人間、いや世界樹なのだ。
でも、やっぱり少し寂しいかも。
感情面じゃなくて、むしろ羞恥心的な意味で。
ぼっちと思うと恥ずかしい気持ちになる。
「大丈夫だよカエデっ! 君にはわたしが付いてるじゃない」
「……そうですね。アリアは俺の友達ですもんね!」
「えっ!? 友達? ……んん、まあ、そうだね。きっと友達だね……」
「何ですかっ、その含みのある言い方は。いいですよ。俺は、ぼっちの俺は、心の中のもう一人の自分とでも喋ってますから。ふんっ、だ」
「はいはい。厨二病乙。って、そんなどうでもいい事よりも、大変なんだよっ!」
大変らしい。
俺の交友関係や精神状態なんか、どうでもいいくらい大変らしい。
まあ、このやり取りも冗談だからいいんだけどね。
本当にぼっちだとは、実際は半分くらいしか思ってない。
まあ、半分は思っているとも言うが。
「はぁ……。何なんですか、今度は。
アリアのただでさえ無い胸が、さらに薄くなったりでもしたんですか?」
弄り返してみた。
ん? 2話前の過去の反省だって?
はは。そんなものはドブに捨てた。今が楽しければそれでいのだ!
相手のコンプレックスを弄るのは、楽しいなっー。
「……潰すよ? プチって踏み潰すよ?」
アリアが怒った。
笑顔なのに目が笑ってない。
ふむふむ。相変わらずこのネタは弄りがいがあるようで。
いい加減何度も弄っていると、この反応にも慣れてくるのだ。
「ああ。ごめんなさい、つい本音がね。はぁ、でも実際アリアも、せめてBくらいはあれば、丁度いいとおもうんですけどね…… 今の胸じゃ……ぷっ」
「潰す。踏み潰す」
ヤバイ。これは、少し言いすぎたのかもしれない。
アリアが結構マジな顔になってしまった。目からハイライトが消えかかっている。
いや、無表情は怖いから。背中から般若が浮かび上がっているから。
って、ああ、っちょ。足で地面をぐりぐりするのはやめてっ!
なんか自分がすり潰されているみたいで、落ち着かない気分になるーっ
ごめんなさい。俺が悪かったです。ごめんなさい。
「いやいや。ははっ。じょ、冗談ですって。そ、それでどうしたんですか。そんなに慌てて何かあったんでしょっ」
「…………ふんっ。まあ、いいか」
なんとか誤魔化したか。ふぅ……
うん、やっぱり人のコンプレックスを弄るのはよくないねっ。
あれ? これ前もいった気がする。デジャヴ?
いえ、ごめんなさい。反省を活かせてないだけのバカです。
「って、ああっ。そう、そうなんだよ、カエデ、大変なんだよっ! 頭、頭。頭を見て!」
うん? 頭? 何かあるのか?
アリアの頭を見る。特に何も変化は無い。いつも通り、丁寧に手入れされた綺麗な髪。肩まで掛かるサラサラの金髪だ。
最近は少し髪型をいじることも多いらしく、今日はサイドの何房かを編み上げている。
うむ。今日の髪型も、いつも通り、いやいつも以上にかわいい。
「へへっ。ありがと。……って、わたしじゃなくてっ! カエデのっ。カエデの頭を見るんだよっ!」
俺の頭?
見てみるが、特に変化があるとは思えないのだが。
うん。いつもどおりの普通の黒髪だ。長さも普通。別に十円ハゲとかもできていない。
あー、そういえば、これ死んだ時の長さのままなんだよなー。
そろそろ変えるか。髪型くらいなら、精霊体の容姿をいじっても、自我の崩壊までは起こるまい。
「ああーっ、もうっ。精霊体じゃなくてっ! 本体、本体の!」
ああ。本体か。
本体なら本体と言ってくれ。正直、まだ人間時代の癖が抜けきっていないのだ。
それに最近は、訓練のために、常に精霊体を出しっぱなしにしているので余計に紛らわしい。
ああ。勿論、マナは入れ替えているけどね。もう黒いマナはゴメンだし。
今やっているのは、固定された一定のマナで精霊体を作るのではなく、常に内部と少しずつマナを交換し続ける流動体で精霊体を作るという高等技術だ。慣れてないので、ちょっと、油断すると顔が本体に引きずりこまれたりする。ちょっと、怖い。
「早く見てっ! 早くっ!」
ああ、うるさいな。
少しくらい考え事をさせてくれ。
何だって言うんだいったい。
俺は、アリアに急かされるがまま、世界樹の頭を見る。
別に、どうにもなって――
――毛が生えてきていた。
おっと失敬。葉が生えてきていた。
そう、あの黒いマナ事件で消失した双葉の内の一つの葉だ。
あの事件の後、世界樹がどんなに伸びてこようとも、再び葉が生えてくることはなく、もう二度と生えないのではないかと心配したあの葉のハゲ跡。
そのハゲ跡に、なんと感動したことに、今再び毛が……、こほんっ、あー、葉が生えてきているのだ。
それも何と二枚も。
これは、感動ものである。奇跡である。ミラクルである。アンビリーバボーである。
俺は今、不覚にも、泣いてしまいそうだ。
まさか、この歳で、毛が生えてこない悩みとそれが解決したときの喜びを実感するとは思わなかった。
散々、ハゲハゲ言われたあの苦い思いが今報われる時が来たのだ。
「生えてる……、生えてるよぉ。アリア。生えてるよぉー」
「そうだよ。生えてるんだよっ」
「やった。やったんですね、俺は……」
「やったんだよカエデは!」
「ああ…… ありがとう、ありがとうっ、アリア」
「ううん。カエデが頑張ってマナを貯めた成果だよ。おめでとう!」
「ありがとう…… ぐすっ…… これでアリアからハゲって言われなくて済むんですね…… 光合成の実験で使われる、葉のない方の植物とか言われなくてすむんですねっ」
……………………あれ?
こうやって考えてみると、剥げていること弄ってきたのってアリアだけじゃないか?
他に意思をもっている生物いないし。
なんで、俺アリアに感謝しているんだ?
何かおかしいんじゃないか?
「まあ、そんなことは気にしないでっ! とりあえずお祝いしよっ、お祝い!」
何か釈然としないものがあるのだが、しかし、まあ、今日は記念日だ。俺に再び葉が生えてきた記念日だ。なので過去のことは水に流そう。
俺も散々仕返しに胸の平ら具合弄ってきたし。まあ、お互い様だろう。
「お祝いですか? なにしましょう?」
「うーん、そうだね。ああ、そうだっ! 君にプレゼントしようと思っていた物があるんだよ」
「プレゼントですか? なんです?」
何故だろう。あんまり嬉しくない。だって木だしなー。もらって価値のあったり、使えそうな物あんまりないし。
『プレゼントは気持ちだ』とはよく言われるが、実際、あんまり使えない物をもらっても、それほど嬉しくないものなのだ。お気持ちだけで十分というか。
むしろ木である俺からしたら、余計なものをもらうと成長の阻害になる可能性もある。
形として残るものは、人間時代も、そして今もなんとも扱いづらいものなのだ。
「うーん。そうだね…… カエデ。君はどんな木になりたい?」
何だ急に? プレゼントの話をしていたんじゃ無かったのか?
まあ、いいんだが。
うーん。それにしても、どんな木かと言われても、そりゃあ、大きく立派な木だが……
「いや、そうじゃなくて。君のなりたい木の、君が成したい、木としての在り様を聞いているんだよ」
俺が成したい、木としての有り様。
それは大地に立つ雄大な木。泰然としてそこに在り、自らの力で万事を為す。
それはもちろん前提条件にある。その上で具体的にどんなイメージなのかと問われると、自分の中でイメージはあっても言葉に出しては説明しづらいものがあるのだ。
しかし、まあ、あえて一言で言うなら……
「楓ですかね」
「楓? 確かにあれも良い綺麗な木だけども、君の求めるような大樹というわけじゃないんじゃないのかい?」
「そうなんですけども……」
どうしてだろう。
この世界に生まれる前は、確かに俺は大樹らしい大樹になりたかった。それは大樹の自活性や、木として揺らがないことに惹かれたからだ。あの時の俺は、誰かに頼ることなく生きている木がとても輝いて見えていた。
でも、どうだろう。実際に生まれてみて、アリアと関わってきて、俺は単に一人で生きるためだけに、自分の為だけに木になりたいというのとは別の感情も持ったのだ。
誰かを楽しませたい。アリアを楽しませたい。そう思うようになった。
それは変化である。これを成長と呼ぶのか、それとも某小説が如く、人間強度が下がったというのかはわからない。しかし、少なくとも俺は今の自分に満足している。俺は、自分だけのためじゃない木になりたいのだ。
もちろん、楓の他にも、綺麗な木はある。春であれば、桜だろう。梅を見るのもいいかもしれない。もみじだって綺麗だ。そもそも、そういった変化を持たない木でも、立派な木というのはそれだけで美しい。
けど、まあ、そこは、自分の名前に対しての贔屓だとでも考ってもらいたい。
俺は、存外、この楓という名前が気に入っているのだ。正直やや女っぽいと思ったこともあったが、その常の大樹とは違う、たおやかな木のあり方は素直に美しいと思う。
しかし、まあ、どうせなら苗字の楠の方も在り様として追加してもいいかもしれない。あれは、まさに俺が求めていたような立派な大樹なのだから。
「ふーん。楓、楠…… 面白いね。ふーん、これが君の変化なのかー。理想の形……。うん、決めたこれが君へのプレゼントだ」
「で、結局なんなんです。そのプレゼントというのは?」
「名前だよ。君の名前」
「すでに俺には楠木楓という立派な名前がありますが?」
「それは、君の人間としての名前だよ。あるいは人としての意識の名前。でも、すでに君は世界樹なんだよ。それにふさわしい名前もいる。嫌でしょ? 世界樹クスノキカエデなんて風に呼ばれるのは?」
それは確かに何か違う気がする。俺は自分の名前に誇りをもっているが、世界樹の後にそういう和名が付くと、なんとなくダサい気がしてしまうのだ。
例え厨二病と言われても、ここは世界樹としてそれらしい名前が欲しいところではある。
「そう。だから君に、世界樹としての君に、わたしが名前をあげる。それがわたしのプレゼント。
それにね、名は体を表すというでしょ? まだ、世界樹としての名前を持たない君は、世界樹としてどう育っていくのかが決まっていなかったんだよ。だから、成長が遅い。いつまで経っても葉が生えてこなかった」
名前。それはそのものの有り様を決める一つの形。古来より、魔術師はその名を敵に知られるとこを恐れてきたという。それは、名前を知られることが、敵の手中に落ちるも同然であったから。名前は、その者の本質を、そして全てを表している。
故に世界樹としての名前を持たない俺は、まだ世界樹として未完成であったのだろう。十分なマナがあってもその成長は遅かったのだ。それが、一年経った今でも、数センチしかおれが伸びていない理由。新しい葉が生えてこなかった理由。
「もちろん、カエデという、楠木楓という君の名も大切だよ。君の人としての記憶、有り様。そういったものを君に残している。でも、君の人間としての体が死んだ今では、それは君のその意識としての名でしかない。君には木としての体の名前も必要なんだよ」
つまり、それは俺が楠木楓であるということは変わらないということだ。
まあ、木としての名前は芸名みたいなものなのだろう。いや、むしろ逆なのか? 今や、世界樹こそが本体である。楠木楓こそが、人間としての意識の芸名であるのかもしれない。
まあ、肉体と精神のどちらが主でどちらが従であるかは別として、とにかく俺は二つの名前を持つことになるわけだ。
少し呼び分けがめんどそうだな。
「まあ、しばらくは君は楠木楓だよ。ただ、時が経ってそのうち人間としての意識が弱くなった時には、そうでなくなるのかもしれないけどね」
「まあ、それはなってみないと分かりませんね」
「そうだね。まあ、ともかくも、わたしが君に木としての名前をあげるということなんだよ。創造神からの直々の命名なんだから、光栄に思ってよね!」
「はいはい。それでどんな名前なんです?」
「むぅー 反応が薄いなぁ。まあ、いいや。うん。君の新しい名前は君の木としての未来を決定する。だから、君がどんな木になりたいか聞いたんだ。それでわたしが決めた。君の世界樹としての新しい名前は……」
「名前は……?」
「世界樹……」
「世界樹……?」
「世界樹メープルランドだよ!」
メープルランド 。『楓の地』。
それが俺に与えられた名前。
なんかどっかのテーマパークっぽい名前だな。
でも、まあ、いい名前だ。
俺の名前は、楠木楓。そして、新世界の世界樹メープルランド。
こうして新たな名前とともに、俺の世界樹メープルランドとしての新世界での人生が、今、本当の意味ではじまったのである。
《第一部「芽の章 新世界のはじまり」 完》




