死活問題
カプセルホテルからバイト先までの間にある、駅のコインロッカーに瀧宗を預けた框矢。リュックサックを背負い、部品製造のバイト向かう。中学中退であるはずの彼がこの仕事に受かった理由。
それは本社などでは無く、その下請けの個人小企業だったからだ。従業員数、僅か十人。工場から委託された工業部品を加工し、指定数を渡す事が契約であった。
巨大な生産機器を人力で操作し、鉄板から様々な部品へと加工する。
ところが重労働とも言える機器操作を担ってきた者達が、立て続けに腕や腰などを痛めてしまった。
無理に身体を使わせるわけにはいかず、かと言ってこれでは契約のノルマは達成出来ない。ノルマが達成出来なければ契約は切られてしまう。そうなれば死活問題である。
そこで求人情報誌に広告を打ったのだが、勤務時間の割に安めの給料しか出せないこの企業に面接を申し出てくれる者が現れるはずも無い。
彼らの所よりも条件が良い所なんぞ、幾らでもあるのだから。
切羽詰まってきた頃、現れたのが框矢だった。
“求人広告を見ました。学歴不問は本当ですか”
電話で聞いてきた彼に年齢や体力的な事を聞いて、面接を決意。
框矢と面接し、一番に思ったのは。
随分と冷めた眼をしているんだな、という事だった。
「年は?」
「16歳です」
「高校は?」
「行っていません」
淡々と答えていく彼が、どうしてこんなに冷めた眼をしているのかが気になり、自ら面接をしていた社長は框矢の方にテーブル越しに身を近付けた。
「君は、大人をどう思っているのかな?」
それは、聞いた社長がふと浮かんだ素朴な疑問。
何故、そんな事を聞くんだ?
框矢はざわめく心を表には出さないようにしながら、言葉を選び口を開いた。
「正直、信用していません。もちろんあなたのような、良い方もたくさん居るのだとは思いますが……」
「!」
大人を、信用していない。
社長が予期していなかった言葉である。人が良い彼にとって信用する事は大事だったからだ。
「何故信用していないのかな?」
「俺は、ずっと大人に騙され続けて生きてきました。これをしたら食事を摂っても良いと言われ、済んだ頃には自分の取り分は大人達が食べてしまっていた、と言う事も多々あります。
学校もまともに行かせてはもらえませんでした。俺は施設育ちです。その施設もまともではありませんでしたが」
頭を回転させ、嘘を吐く。だが真実も混じっていた。FARMはまともとは言い難い施設であったのだから。
社長はそれを聞き、框矢は虐待の末に施設に預けられたのだ、と解釈した。
「……そうか、それは良くない事を聞いてしまったね。だがここでは信頼、信用が大事でね。それが出来なければ働く事は出来ない。従業員も皆、信頼出来る者達ばかりだから、ゆっくりで良いから信用するよう努力してくれるかい」
「……分かりました」
そんな事を言われてもな。ダイル以外の他人を信用するのは簡単じゃないんだが。
框矢は内心溜息を吐き、採用の礼を告げて社長と別れたのだった。
框矢は、そんな昨日の面接時の会話を思い出していた。
大人には裏がある。良い面を見せていても、裏を返せばそこは漆黒の闇だったりするのだ。
嫌という程、FARMでそれを学んだ框矢にとって、自分に色んなものを与えてくれたダイル以外の大人を信用するのは至難の技とも言えた。
「おはようございます。今日から宜しくお願いします」
社長と先輩従業員に迎えられ、初日から中々にハードな業務をこなす事になった框矢。
作業場の掃除に始まり、出来上がった工業部品を数え、段ボールに詰めて所定の位置に運ぶ。
鉄製品が大半の部品類は、段ボールに詰めるとかなりの重量となる。それは大の大人でもよろける事もある程。
だが框矢はその身体能力……特に腕力により、特別よろけることも無く黙々と部品類を運び終えると、次の指示に従って仕事をしていた。
汗こそかくものの、顔色一つ変えず仕事に従事する彼のその表情はまるで能面のように静かで無表情とも見れる。
「框矢、この部品をあっちに持って積んでおいてくれ!」
「はい、A工業の所ですね」
「悪いがその機器の下の砂、掃いて捨てといてくれるか」
「分かりました」
巨大な機器の間から飛ぶ指示を聞き取り、聞き返す事無く的確に業務をこなす。
そうして晩になるとお疲れ様でした、と頭を下げて作業場から消えていく框矢を、ジッと見ていた社長。
一体何処へ行くのだろうか。
高校生で無いにしろ、年齢は現役と同じ16歳。寝る場所はあるのだろうか?
人が良い、善で出来たようなそんな彼に素朴な疑問が首をもたげる。
框矢は夜間工事のバイトへ向かっていたのだ。日払いの仕事が無ければ、所持金の少ない彼は生活出来ないのだから。
この部品製造のバイトは月末に給料が渡される為、その日に金がもらえる夜間工事のバイトは必須だったのだ。
10時から20時までは部品製造、22時から3時まで夜間工事を掛け持ちし、休憩時間と朝方から9時までを全て睡眠に充てる。
そうして手にした数千円のバイト代を、カプセルホテルとコンビニでの飲食、瀧宗を預けるコインロッカーに充てた。
その日その日の生活で精一杯な為、貯蓄に回す事など到底出来ない。せめてカプセルホテル代が浮けば余裕が出るのだが……。
体力は人並み、だがその筋力により、框矢は夜間工事の現場でも雑務全般を担えると重宝された。
「9時まで寝てから30分に出るか……」
時計を見ながらカプセルホテルへ戻り、横になった途端に深い眠りへと落ちる。そんな日々を過ごし、ひと月が経った頃。部品製造の社長に勤務後に呼び止められた。
「框矢、君はどこで生活しているんだい?面接時に聞いた施設で今も暮らしているわけじゃないんだろう?」
「カプセルホテルで寝泊まりしています。一泊二千円ですから。ホテル側も金さえ払えば年齢の事も聞いてはきませんし」
「……」
カプセルホテルに泊まれる金があるのなら、何故自分の下でバイトをしているのか。
当然そんな疑問が脳裏をよぎる。それを聞いた社長に、框矢は彼の顔を見て当たり前のように答えた。
「日払いの夜間工事のバイトを掛け持ちしています。その日その日で精一杯の金額ですが、今の俺には生活出来る額ですから」
その答えに驚いたのは言うまでもない。
自分の作業場でハードな方の業務をこなした後、今度は夜間工事のバイトまでしているとは。
「い、いつ寝てるんだ?」
「休憩時間と明け方から9時までです。横になれば直ぐ熟睡出来ますし、それで疲れも大体取れてるので然程困ってません」
休憩中はコンビニ食品を食べた後はずっと寝ている框矢を思い出し、社長は漸く納得がいったのだった。
では失礼します、と自分と作業場から遠退いていく框矢を見つめ、社長はずっと考え込んでいた。
二ヶ月三ヶ月と働くうち、夜間工事のバイト、部品製造のバイトに慣れて信頼されるようになって行った框矢。
細身で決して屈強な体躯とは言えない。だが誰よりも重い物を運べる上に、指示を聞き間違える事が無い。
要は使える奴だと定評が付いたのだ。
彼は部品製造の社長の好意で、作業場の一角で寝泊まり出来るようになった。浮いたカプセルホテル代と月末の給料は使わず、相変わらず日払いのバイト代で毎日を過ごしていた。
変わったのはコインロッカーから瀧宗を出し、手元に置いておくようになったことくらいなもの。
「なぁ框矢。お前のその細長いバッグ、何入ってんだ?」
「竹刀です。俺の、恩人から譲り受けた何よりも大事な物です。……どうか、それ以上は聞かないでくれませんか」
「あぁ竹刀か。うん、分かった。悪かったな」
作業場の先輩従業員からそう聞かれる度、言葉少なく答える。彼らは朗らかに返してくれるが、框矢はどうしても心底から信用出来ずにいた。
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