生涯の師 二
その通りに持って抜いてみると、さっきのは一体何だったんだと思うくらい呆気なく抜ける。
「???」
「鞘内部を特殊な形状にした。逆さまにすると絶対に抜けん。水平より上向きでないと抜刀は不可能だ」
取り敢えず納刀し、再度椅子に座るとダイルを見つめた。
「鍔が無いから片手で鯉口を切る事は出来ん。抜刀の際も、素人が抜こうとしても大概は抜くことは出来ん。ちょっとしたコツが要る。……お前は出来たがな」
そこまで言うと一呼吸おいた。
「お前は、生粋の武人と言える程の才能を持っている。直ぐ使いこなせるようになるだろう。だがな、路上で持ち歩いたり抜刀してはならん。法により捕まるからな」
ダイルは国の許可が得られればまた別の話だがな、と付け加える。
「わかった」
「その刀の名は“瀧宗”。刀はな、持ち主を見ている」
「刀が持ち主を見る?」
「そうだ。長く主と共にいて、使い込まれ大事に手入れされていくと刀にも心が宿る」
「心?」
ダイルがおうむ返しに聞く俺を見やり、次に瀧宗に目をやる。
「まるで妖刀のようだが、引き離されても主の下へ戻ろうとする。己を他の奴には使わせんと抜刀を拒むのさ。
心が宿った刀は主と呼応し、宿る前の倍以上の力を発揮する。その刀本来の全力の威力や、思いがけない能力が備わったりするんだ」
妖刀、がぴったりじゃねえか。
ジッと卓上の瀧宗を見つめ、ダイルの話を聞いていた。
「自分を使おうとする奴が、どんな使い方をするのか見ている。あまりに酷い使い方をすると判れば抜刀させず、その相手の所には行こうとしないのだ」
「相手からすれば使えない刀ってことか」
「そんな所だな。力に屈することもあるんだろうが、絶対に本来の威力を出すことは無い」
ダイルは一呼吸置くと、細長い入れ物を手に取り俺の手に置いた。
中に何かが入っている感触が気になり、顔合わせの重量感のある金属ファスナーの取っ手を手に取る。
中には竹刀が一本入っていた。
「……竹刀?」
「それはカモフラージュだ。竹刀は剣道で使う道具。その裏側に瀧宗を入れておく空間を作っておいたから、そこに入れておけ。それは何だと聞かれたら竹刀が入っている方を見せれば、大概の奴は納得するだろう」
首肯して言われる通りに瀧宗を裏側の空間へしまうと、竹刀も元に戻した。
そして前に渡してくれた細身のズボン、シャツ、上着、ローカットの黒いスニーカーを身に付けた俺を目を細め眺めた。
スニーカーも衣類もぴったりのサイズで、真新しい物。
物心ついてからずっと、新品の綺麗な衣類を身に付けた事が無い。どんな反応したら良いんだろう。
「こんな良い物……本当にもらって良いのか?」
もちろん、と笑うダイルにまじまじと自身の服やスニーカーを見つめ、何度も生地の感触を確かめる。
本当に自分の物なのだ、と実感が湧いてくると、何とも言えない高揚感に包まれて口元が弛んでしまった。
「お前、やっと年相応の笑顔を見せたな」
しみじみと俺を見てくるダイルに、え?と服から目を移し瞬かせる。
「助けた後も、お前はどこか15歳から離れた冷めた眼をしてた。まるで楽しい、嬉しいと言った正の感情が欠けたようにな」
正の、感情?
「……正直、そういう感情は分からないんだ。痛い、苦しい、空腹感、悲しい、憎い。そんな思いしかしてこなかったから」
声を無理矢理押し出すように呟いた。
「今、お前はその服を着て“本当にもらって良いのか”と聞いたな。その瞬間の感情は、嬉しいと言う感情だろう。世の中はお前が経験してきたものとはまた違う、辛さがあるかもしれん。
世知辛い世の中さ、だがな?その分嬉しい事、楽しい事もあるだろうよ」
穏やかに笑い、もう一度座るように言うダイルに従って座れば俺にリュックサックの中にもう一着の衣類と研ぎ石などを入れさせる。
「こっちの短剣はな、村雨と言う。ベルトに輪っかの金具が付いていただろう?そこに付けておけ。普通紙なんぞを切るときはハサミを使うんだがな、使い様によっては紙、布地、植物…刃物で切れる物の殆どを切る事が出来る」
まあ村雨もあまり人前で出すなよ、と付け加え、ある程度の文房具もくれた。
「どうしても、という時があれば儂を頼ってくるが良いさ。だが儂も正式な入国はしておらんからな、政府は儂が日本に住んでいる事は知らん。この家を誰にも知られんようにしてくれ」
「分かった」
ふぅ、とひと息吐くとダイルは一枚の紙を卓上に置いた。
「儂はずっとお前、と呼んできたが……“33番”は人の名前ですら無い」
見ている前で筆ペンを取り、サラサラと二文字の漢字を書くと、俺に見せた。
白い紙に、達筆な“框矢”の文字。
「かまち……?」
首を捻るけどダイルは豪快に笑い、違うな、と俺の目の前にその紙を置いた。
「確かにかまちとも呼べるが、これは框矢と呼ぶんだ」
「框矢?」
「お前の新しい名前だ」
え、と信じられない気持ちでダイルを見た。
「お前も人だ。例え超人的身体能力を持たされていようとな。怪我をすれば出血もするし、ちゃんと感情もある。この国……違う国でも良い、生きてみせろ」
「……っ」
コクコクッと頷く。生まれてからずっと33番なんて呼ばれて来た。ダイルに助けられ、知恵をもらい、世の中の事を教えられて。漸く人並みの扱いをされたんだ。
嬉しいって言うのはこう言う事か。なんと無く、分かった気がした。
俺を満足そうに見つめるダイルの目には、何だか優しい色が見えたんだ。
「なぁ、ダイル」
「何だ」
紙から漸く目を離して、ずっと思っていた素朴な疑問を聞いてみる。
「前にも聞いたけど。何故こんなに色々としてくれるんだ?」
「……」
「色々教えてくれただけじゃない、知恵や名前までくれた。……俺にも何かさせて欲しいんだ」
「お前のような小僧から貰えるもんはろくなもんじゃない。要らんよ」
さも可笑しそうに甲高く笑うダイルに、ムッとしてしまう。こっちは真剣なのに!
「真剣に言ってんだぞ?!」
「お前と過ごすうち、他人とは思えなくなってきてな。儂にはお前が孫みたいに見えるよ」
現にもし儂に孫がいたら、お前くらいの年だしな、と微笑む。
徐に立ち上がると、ダイルは俺を外に連れ出した。
「お前が来て半年、か。早いもんだな。今は春、これから夏が来る。まぁ日本は暑いが冬よりは過ごしやすいからな、良い時期に来たもんだ。
くれぐれも瀧宗と村雨については気を付けろよ」
「うん」
さぁ行け、と言ったダイルに頭を深く下げた。
「ありがとう、ございました」
深く、感謝を込めて自分に頭を下げる。そんな俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で回し、一言。
「気を付けてな」
その言葉にギュッと固く口を結び、一つ頷くと、ダイルと彼の家に背を向けた。
「……ッ」
無性に胸が苦しくて、涙が出た。その感情が何の気持ちかは分からない。
それでも何とか涙を堪えつつ、ダイルから去った。ずっと、ダイルの視線を感じながら。