これで最後 三
ー影人sideー
「ラプター!」
二階から飛び降り、あいつの会社へと全力で駆ける。
中空にはラプターが羽ばたき、俺の頭中にはあいつの会社の構造が目まぐるしく形を成して行く。
幾回にも分けて膨大なリストを通覧する中で、何故か引っ掛かった、清洞朔の名前。
全てを閲覧し終わった後でも、彼の名はずっと頭に残っていた。
だから調べた。
リストには彼の後に同姓の男の名が記されていた。それが、清洞慶。
息子か何かだってことは直ぐ予想は付いたけど、それなら母親の名が足りない。
そう思って、清洞朔の妻を吟味し見つけたのが、彼女のカルテ。
清洞朔との息子である慶を出産後、数年して子宮癌を患ったと記録されていたんだ。
結果、女性特有の器官、子宮の全摘出と引き換えに快復した。
二度と自分達の子供を授かれず、唯一の息子は生後何ヶ月の幼さで奪われて。
俺の考えが正しいなら、きっと夫婦は框矢の実親に違いないんだ。
そして生まれて親の顔も覚えない内に、框矢はFARMの連中に連れ去られて実験台にさせられた。
あいつは框矢を手に入れる為なら、絶対何だってする。食品会社の社長のくせして、ロケットランチャーなんか持ち出して来るぐらいだからな。
「ラプター、最上階の様子を見てくれるか?框矢の姿を確認してくれ!」
俺の一声に大きく旋回し、上昇して行く下で、会社の搬入口へと走る。
もう少しで搬入口に辿り着こうとした刹那、頭中をある事が掠めて踏鞴を踏んだ。
あの長野の一件の後、框矢は怪我をしていた。
左手の中指の爪が剥がれる、見るからに激痛が走りそうな怪我を。
でも、その剥がれた爪は何処へ行った?彼の服には引っ掛かっていなかったし、部屋にも落ちて無かった。
あの時、框矢はあいつにのしかかり、殺しかける寸前で。
……もし、その時に剥がれたのなら?
もし、剥がれた爪があいつの服に付いていたとしたら。
恐らく血塗れであるはずの爪は、十分DNA鑑定のサンプルになり得る。
更に清洞夫婦と接触している場合、彼らのサンプルだって入手出来る。と言うか、手に入れようと凡ゆる手段を講じるはずだ。
息子を探し出して再会させてやるから、貴方達も体調管理の為に健康診断を受けろ、とか何とか言って。
裏から手を回しさえすれば、血液くらい簡単に手に出来る。表では人望と社会的地位が有る、あいつなら絶対に。
脳裏に、框矢が以前、全国を回った時の体験談を話していた姿が過った。
その時に、秋田で出会い、快く一宿一飯してくれた夫婦の事……俺も、聞いていたのに!
「くそ……ッ、もっと早く気付きゃ良かった!」
でも今は後悔よりも、框矢の下へ行く事が優先。
ピィー……
ラプターの鳴き声に、上空を見上げれば、彼は最上階付近で二回旋回して屋上へと消えた。
……居る。
靴紐を堅く結び直し、呼吸を整えると、中へと侵入した。
内部構造、警備員のシフトとルートは頭に入ってる。
後は他の業者と会わなければ良い。社員は、会社の裏であるこの場所には入って来ない。
隙を見て階段を下り、地下の業者の駐車場へと足を踏み入れた。
ここには各階へ直通する、荷物専用のエレベーターが連なる。
ズラッと並ぶエレベーターの扉には、番号が順に振ってあって、それは各階数を指すのだと直感した。
業者のトラックの陰に隠れ、柱の陰に身を潜め、通り過ぎる業者達をやり過ごす。
幾度と無くそれを繰り返し、“30”の扉付近まで来た時。
「おい」
見つかった?!
息を詰め、咄嗟に柱の陰で身を縮める。
「今日は社長宛ては無かっただろ」
「あ?ああ、そうだったか。いや悪いな、こうも毎日荷物が多いと混乱するんだ」
「分かるぜ、俺も何度そう思ったか」
柱の陰から会話の方をそっと覗き込むと、業者の男二人が、30と書かれたエレベーターの扉を苦笑しながら見ていた。
どうやら見つかった訳では無かったらしい。
小さく安堵の息を漏らし、会話に集中した。
「でもまぁ、このエレベーターがあって良かったよな」
「全くだ。これが無きゃ、三十階まで上らなきゃいけなくなる所だったからなぁ」
「……そういやさ、社長宛のこのエレベーターだけ、暗証番号が要るよな?」
「嘘だろ……マジかよ」
思わず眉を寄せる。まさか暗証番号が必要だなんて。
思わぬリサーチ不足の発覚に、自分を殴りたくなる。
「何、お前……番号まさか忘れたのかよ?」
急に声を潜めた業者の彼らに、再度耳に集中する。
「その、まさか。……お前、憶えてないか?次は絶対忘れないようにするよ」
しょうがねぇな、と呆れながらも、キャップを逆向きに被った男が番号を口にした。
「8325689だ、今度はしっかり憶えとけよな」
「ああ、悪いな」
そのまま、二人は配達車に乗り込んで去って行った。
「……」
8325689。
「っしゃ」
何て運が良い。
思わぬ収獲に、小さくガッツポーズを作る。
運が良い、なんて言ったら、框矢には呆れられそうだな。
暗証モニターを開け、手早く打ち込む。そして開いたその箱内に身を滑り込ませた。
框矢は運なんて信じて無い。そんなものに縋っていたら、今の彼は存在してないだろうしな。
恐らくこのエレベーターは、社長室内に直通し、途中、どの階にも止まらないはず。
社長室はでかいこのビルの最上階、しかもワンフロアぶち抜きの広い部屋。
早く。
早く!
暗い空間の中で、強く念じる事しか今は出来ない。
あいつがあの夫婦を人質だと、框矢に迫る前に。
願わくは、彼と清洞夫婦が実親子と判る前に。
あの無音の号哭を、毒となり得る喚声を框矢が発してしまう前に。
荷物専用なだけに、人間が乗るエレベーターよりも上がるスピードが遅い。
こんなにも鈍いのか、と焦れったくて焦れったくて。
ゴウン、ゴウン……と思ったよりも静かに響く機械音を感じながら、社長室へ。
ゆっくり開いた扉から部屋へ入ると、そこは異常に静寂な空間だった。
「……何処まで、卑劣な……ッ」
あいつの立つ窓際からは正反対の、部屋の中央のソファの背に二人寄り添って佇む、不安げな清洞夫婦。
彼らとあいつの間には、小刻みに身体が震えている框矢。
ヤバい!
直感した。
あの時、長野の山の中腹で我を忘れた時の彼に、余りに類似していたから。
ダッと駆け出すと、夫婦の前に、框矢を遮る様に止まる。
「?!……き、君は...…?」
一体何処から、と気が動転しかけそうな彼らに、静かに、だけど有無を言わさぬ口調で告げる。
「框矢の親友です。詳しくは後でお話しします。今は俺の言う事に従って下さい。
……彼が、まだ理性を保っている内に、早く」
ウエストポーチから、二組の耳栓を渡す。
「理性を……?」
「良いから早く。彼が我を忘れてしまったら、あなた方が危ないんです」
しっかり耳栓をした事を確認すると、二人をしゃがませる。
妻の彼女に至っては、へたり込むが正しい。
そして二人を庇うように、框矢をその眼に映させない様に、自分の胸へと顔を引き寄せた。
その、須臾の差。
部屋を衝撃波が襲った。
「……ッ」
壁を震わせ肌を劈き浸透する、怒り。
その衝撃波で部屋の凡ゆる物が振動し散らかり、はめ込みの一枚板の窓ガラスはビリビリと音を発した。
二度目となる、框矢の発狂紛いの叫喚。
一度経験済みだからか、俺は平静を保っていられた。けれど夫婦は、特に母親の彼女はギュッと目を瞑り、辛うじて意識を保っている状態。
その身体の震えは、俺にもはっきり伝わって来る。
頼むから。
頼むから、この場で瀧宗を抜くなよ。
そう、念を飛ばす。
俺はダイルみたいに、我を忘れた框矢を宥める事が出来ない。
それでも、彼を正気に戻さないと……框矢は人間では無くなってしまう。
それも、実親の目前で。
だからもし我を忘れて瀧宗を……いや、村雨でも抜刀してあいつに襲い掛かろうものなら、俺はあいつから框矢を引き離しに掛からないといけなくなる。
そうなれば俺は夫婦から離れなくてはいけなくなり、二人の眼に狂乱状態の息子が映るのは必然。
二十幾年、絶望の中で我が子を探し続け、漸く再会出来た彼らの眼を……再度絶望で満たしたくなんて無いんだ。
「……ありがとな、影人。助かった」
静かな、何の感情も汲み取れない……だけど冷静な框矢の声が、確かに聞こえた。
「悪いけど、預かっててくれ。こいつとは、たいまんでケリを付ける」
夫婦から彼に身体の向きを変え、そこに框矢が放り投げて来たのは瀧宗と村雨。
慌てて受け取り、緩慢に立って彼を見守った。
「……」
不意に服を引っ張られ、斜め後ろに振り向けば、父親の朔が俺を見ていた。
奥さんの翠は完全に気を失ってしまっていて。
手振りで耳栓を外して下さい、と告げると、彼女を抱き抱えたまま片手で外して返してくる。
「今のは……一体……。それは、何だ?」
きっとさっきの衝撃波と、この瀧宗と村雨のことだな。
彼らに……と言うか、彼に伝えて良いのか悩む。
「框矢!」
衝撃波をもろに受け、腰が抜けたあいつに向かっていた彼に声を掛ける。
立ち止まり、振り向いた框矢に瀧宗と清洞朔を交互に指すと、無表情なまま一つ、頷いた。
「説明しといてくれるか?」
「……ああ」
まだ距離があるあいつに再度歩を進めるのを見届け、俺を見る清洞朔に改めて顔を向けた。
「色々、聞きたい事もあると思います。でもその前に、奥様をこのソファに寝かせましょう」
「そうだな……」
茫然としながらも、彼女を抱え、すぐそばのソファに横たわらせた彼。
そして、余っているソファに二人で腰を下ろした。
「……君は?」
「俺は框矢の親友で、影人。法鴉影人です。沢山お聞きになりたい事があるでしょう?答えられる物には、一つずつお答えします」
彼の眼を見つめ、ややゆっくりめに告げれば暫く眼を伏せる。
「さっきの衝撃は、一体何処から?」
「框矢……いえ、あなた方の息子さん、慶が放ったものです」
「え……?!」
そんな、なぜ、どうして。
明らかに動揺し、嘘だと、嘘であってくれ……と呟く。
「嘘ではありません。
清洞さん。あなたの息子さん……彼が、どんな風に生きて来たか知っていますか?」
「ッ」
息を詰まらせ、徐に肯定の意を示す。
知ってるなら話が早い。
胸中で一つ嘆息を吐くと、気を引き締めた。
「彼は、違法な人体実験の贄として生きて来ました。数え切れない程にワクチンを打たれ、他の子供達が死んで行く中、数少ない成功例として15、6歳までその施設に居たんです。
……生き延びたのは、勿論喜ばしい事かもしれません。あなた方、実親とも再会出来たから。でも」
「……でも?」
もう一度吐息し、彼から正面に存在する、窓ガラスを背にした框矢の後姿を眺めた。
「ワクチンは彼に、その他の成功例のなった子供達に、人ならざるものを与えてしまったんです。それが、超人的能力。
自身の姿を変化出来るものや森羅万象を操れるもの、その能力は様々だそうですが、框矢は超人的身体能力でした」
目を見開き、框矢へと視線を向ける朔さんの表情は苦痛を堪えてるものに近い。
「彼が本気を出したら、俺やあなた方、普通の人間に彼の姿は見えません。
今はだいぶ人間らしい感情を持つ様になりましたが、高層ビルから飛び降りる事も、片腕を犠牲に攻撃を防ぐ事も。彼にとっては躊躇い無く行動に移せる行為だったんです」




