これで最後 二
ー鮫島sideー
“お前一人だな?”
“ああ”
次は十五階です、とエレベーターの音声が遠くに聞こえる中、框矢達の会話が届く。
“その日本刀は渡して貰おうか”
「日本刀……?!銃刀法違反だぞ」
榊原の驚声にハッとする。
そういや榊原の奴、框矢が瀧宗の所持許可を持って居る事を知らないんだった!
「榊原さん。框矢は長官直々の所持許可証を持っています。
違反ではありません」
「何?長官って……陸自長官か?」
「ええ、そうです」
俺が答えるより早く影人が答えてくれた。彼の眼は、その間もパソコンを見据えていたが。
「鮫島」
説明しろ、と目つきで訴えて来る。
だが、今はそれを説明するわけにはいかないんだ。話せば長くなるし、こんな状況下では油断大敵。
「全て収まったら話してやるから。今は無理だ」
焦ったそうな榊原を尻目に、俺もパソコンへ、その音声へと集中した。
“俺に丸腰になれと?”
その声にははっきりとした、威圧。
機械越しでギリギリ聞こえる、低音のそれは……框矢の表情が見えないだけに、殊更恐ろしく感じる程だ。
“力づくでも渡してもらうぞ”
部下の声に暫く沈黙が広がり、数秒。
“やれるならやってみろ。お前らの前の部下、あいつらと同じ様に伸されたいか”
それは、前任者達と同様に殺されたいか、という問。
それっきり、口を開く者は無く、ただエレベーターの上へと移動する音声が聞こえて来るだけ。
不意に視界が明るくなり、彼があの部屋に辿り着いたのだと理解した。
微かなくしゃり、と紙音と共に、画面一杯に広がったのは。
“刮目、耳を傾けろ”
短く、乱雑な殴り書きだが要点を述べたメモだった。
再度光が画面に差し、ゆっくり、室内の中央へと映像が移行して行く。
壁一面のガラスのはめ込み窓を背景に、暗い影を落として窓際に立って居たのは。
会社社長、ダナニス・青馬衣当人。
“待っていましたよ、框矢”
徐に振り向いて穏やかに笑う。が、その裏の顔を知っているだけに、その笑みは薄気味悪いものでしか無い。
“僕も流石に疲れて来ました。……今回で最後にしたいのですよ。部下もかなり失っていますからね”
“奇遇だな。俺もこれで最後にしたいと願ってたところだ”
無感情かと勘違いを起こす程、気持ちが読み取れない抑揚の無い台詞。
“エレベーターには、僕の部下がついて来ていたはずですが?”
まさか、また倒してしまったのですか?と呆れたように呟く。
“敵地につき、少々威嚇させて貰った。……怪我一つ負ってないさ”
ふん、と鼻を鳴らし、更に移動する。
“……良い加減、諦めてくれると有難いんだよ俺は。
そもそも何の為に俺を付け狙うのか、正直困惑しているんでね”
“何度と無く、言っているではありませんか。僕の夢の為に、君が必要なのだと”
“……夢、ね”
框矢が、クッと薄く笑ったのが聞こえ、それに怪訝な表情を見せる社長。
“生憎、お前の夢なんぞ忘れたよ。お前が何度も手下を向けて来るんでね、正直手一杯だったんだ。
お前の様に、高学歴の要職の身分の奴には分からないだろう?俺みたいな、学歴が一つも無い人間がこの国で生きて行くのが、どれほど大変なのか”
窓際に距離を置いて並び、彼と向き合う。窓からの光に照らされ、社長の左半身が僅かに白んで見える。
“お前の横槍の所為で、折角手にした職は二つとも失った。SPでの上司も、お前の所為で死にかけた。忘れたお前の夢などに、時間をくれてやる程俺は暇じゃないんだ”
思わず、今は何とも無くなった脇腹の銃痕へと手が伸びる。
“……では、もう一度聞かせましょうか。今度は君が忘れてしまわぬ様、しっかりとね”
余裕さえ窺える笑みを見せ、あの男はひと呼吸置いた。
「よし……良いぞ、框矢。上手く引き出した」
例え、今の言葉が本心だとしても。高学歴の人間に対して、一種の壁を立てていたとしても、俺は……。
框矢の近くで、支えてやりたい。そう思うんだ。まあ、俺の方が逆に支えられるのかもしれないとしても。
“僕は一代でこの会社を起業し、成功しました。そして、日本有数の大企業とまで言われるまでに発展させた。この頭脳と手腕があれば、国をも動かせる”
語り始めた途端、その笑みは己に陶酔するかのような、表情へ変わっていく。
框矢が何も発しないのを良い事に、楽しそうに“夢”と銘打つ野望を力説する。
自分の腕なら、国を動かせる。
政治を動かせる。
そうすれば、その国の生活水準はきっと良くなるだろうし、発展する。
自分が国の頂点に立つ事で、その国は潤うはずだ、と。
「呆れて物も言えん。……あれ程に人望も有り、慈善家として名を馳せていたのに。
堕ちたな」
榊原が、ぽつりと漏らした。
社長は自身の“夢”について、事細かに説明した。だが、それは海外の諸外国に対してであって、日本の話では無い。
これでは、内乱罪どころか未遂罪にさえならない。
ただの妄想。
“なぁ”
不意に、框矢が社長の話を遮った。
“仮にその夢とやらが叶い、お前がその国の頂点に立ったとして、それで終わりか?”
至極つまらなそうに発した言葉に、フッと見下した笑みになる。
“そんなはず無いでしょう?”
「!」
社長の返しに、パソコン画面を睨んでいた榊原が、反応した。
“ゆくゆくは、この国も手中に収めるつもりでいます。当たり前ではありませんか。周辺国だけで、僕が満足するとでも?
確かに、この日本には祈りの象徴である皇族、両陛下がいらっしゃいます。ですが、実際に国を、政治を動かす最も大きな役割を担うは政治家。僕は何人か知人が居ますからね、そこから懐柔して行きますよ。何、内側からが困難ならば、外から手を加えれば良いだけです”
“それがお前の最終目的か”
“ええ。その為には少なからず、武力が必要になって来ます。框矢、君は僕の部下何人、いや何十人……若しかしたら百人分を担う武力の持ち主です。だから、君を手に入れたいのですよ”
さらりと爽やかな笑みで出て来た言葉は、爽やかさとは裏腹な、野望欲望に塗れた闇。
“……この国を手に入れて、どうするつもりだ”
框矢を手中に、との声には一切答えないまま、彼の味気ないと言わんばかりの問いが、社長へと飛んで行く。
当の社長本人は、そんな事に気付いてはいないようだが。
框矢が自分の話を一蹴せず、どんな言葉にせよ、返してくれた事が余程嬉しいらしい。
“この国を武力国家にする事。自衛隊は基本、自分から攻撃はしません。‘自衛’ですからね。それでは生温い、と言うのが僕の考えです。自衛隊を国軍に変え、必要とあらば他国に兵を向ける。そうする事で、武力の差で列強に押し負ける事の無いよう、均衡を図るのですよ。
現在の日本は工業、科学面では高評価でも、武力が無いと言うだけで先進国の中では下手に居ますから”
「そんな事は無い。武力を取り払い、自衛の為、支援の為の自衛隊を保持している事で、評価は得てるんだ」
榊原の、半ば己を納得させるかの呟き。
「……」
影人は何の反応も見せない。ただじっと、パソコン画面を見据えるだけ。
「……框矢には、あまり解らないでしょうね。彼は中退とはいえ、中学で学んだ俺とは違い、小学校さえ出ていない。
この国の歴史も、発展して来た経済や科学の事も、何一つ学んでいないから」
その声音には、なんの感情も篭ってはいない。
正直生きて行く為には、専門職でも無ければ歴史を記憶している必要は無い。
国語、数学、ある程度の常識と学歴。それさえあれば、何とでもなる。
だが今はそんな事よりも。
「これで、逮捕状は確定か?」
「ああ。録音してあるからな、立派な証拠になる。……内乱罪及び未遂罪確定だ」
まだ框矢はあの男の社長室に居ると言うのに、榊原とガッと手を組んだ。
「……」
そんな俺達を尻目に、影人は画面へと神経を集中させる。
“さて。しっかり僕の夢を伝えた所で、框矢、君に会わせたい者が居ます。
……いや、框矢ではありませんね。清洞慶”
“何?”
「!!」
社長が“清洞慶”と、框矢を呼んだ瞬間、影人の目の色、目つきが一変した。
清洞慶、だって……?!」
「どうしたんだ?影人」
明らかにその名前に反応した彼。次の瞬間、手付かずのパソコンを猛スピードで立ち上げた。
「畜生!何で気付かなかったんだッ」
悪態をつき、パソコンの真っ暗な画面にカーソルが出るや否やキーボードに両指を迅速に叩きつけて行く。
その速さは、彼の指が霞んで見える程。
「え、影人?一体どうしたって……」
「清洞慶はかのリストに載っていた名前です!
言う事は“清洞慶”なる人物は生物兵器の子孫、その父親は兵器の玄孫として登録されてました」
黒い画面が、瞬く間に白文字の羅列で埋め尽くされて行く。
何度も何度もそのシーンを繰り返し、現れたのは、びっしりと画面一杯に溢れんばかりのリスト。
「!!これは……!」
次に反応したのは榊原。問えば、恐ろしいものを見たかのように影人を見やった。
「……これは、政府コンピュータ内の、生物兵器の子孫のリストだ」
これが……生物兵器の子孫のリスト。
実際に見ても、何だか実感が湧かない。政府機密であるはずの情報が、こんなアパートの一室で見れている事もそうだが。
何より、この僅かな時間で政府コンピュータに影人が侵入してしまったという事に、現実味が無いんだ。
「……何と無く、予想は付いていました。框矢は、生物兵器の子孫だろうな、って」
「え」
緩慢に、俺へと視線を流してパソコンへと戻す。
その声は落胆と言うのか、気が抜けた様な、低く呻きに似ていた。
「戦時の政府が開発したワクチンは、一般人にもある程度適合しました。だけどFARMの連中……あれは民間です。
政府機関ですら何割かの適合率だったのに、民間で造られた物が、一般人に適合するレベルに達する事はそうは無いでしょう。FARMの奴らだってそれに気付いたはず。もし、鮫島さんならこんな時どうしますか」
それを、俺に聞くのか。そんな魔の所業の事を。
だが、もし俺なら……。
「適合率の高い人間を探し出して試す、かな……」
口にして、ハッとした。
「そうです。その適合率の高い人間と言うのは、政府機関のワクチンが適合した生物兵器の事。けれど彼らは既に全員死んでいます。
ならば、その子孫を使えば良い。FARMはそう考えたのでしょう。生物兵器の子孫なら、一般人よりも成功する確率は跳ね上がる」
「……」
「框矢は恐らく来孫に当たる。既に一般人と同様に血が薄れ、例えマガイモノでは無くなっていたのだとしても血は争えない。
そして奴らの思惑通り、框矢は全てのワクチン接種に耐え生きた。所謂成功例となったんです」
「だが、それが何か関係があるのか?」
そう尋ねたのは榊原。影人は彼へと顔を向けるとはっきりと肯いたんだ。
「大有りですよ。
今まで、框矢には親は居ないとされて来ました。物心付いた時からFARMで実験台にされ、本人も天涯孤独と諦めていたんです。自分に血の繋がりのある人間は、この世に居ないと。
……ここ最近、あいつは秋田に行っていたそうです。人探しの為に」
社長が人探しの為にわざわざ秋田へ出向いていた?
己への利益の損得だけで、人付き合いするあの男が?
「人探し?」
影人はリストへ視線を戻し、緩慢に口を次ぐ。
「秋田には、ある夫婦が住んで居ます。ほら、この男性」
そう、リストの中に連ねてあった一人の人物を示した。
「彼は生物兵器の玄孫に当たり、現在所帯を持って秋田に住んでいる事になっています。妻の名前が無い事から、彼女は一般人なんでしょう。彼らの間に産まれた息子は慶。
……清洞慶、です」
「「!!!」」
思わず生唾を飲み込んだ。それは榊原も同じだったらしい。
「ちょっと気になって、調べてたんです。この、清洞朔なる人物をね。彼の妻は息子を生んだ後、癌により、子宮全摘出を余儀無くされてました。これがカルテのコピーです」
ピッと一枚のコピーを俺達に見せる。
「リスト上で、清洞朔には“生存”、慶には“行方不明”の表記が出ています。
これは俺の推測ですが、生まれて間も無く、慶……いえ、框矢はFARMによって誘拐か何かで攫われ、実験台にされてしまったんじゃないでしょうか。
だから親の顔も存在も知らずに生きて来た。一歳未満の幼児に、親の顔の判別は出来ませんから」
これはあくまで、影人の推測でしか無い。なのに……こんなにも筋が通っている気がするのは何故なんだろう。
「おい、若しかして……あの男が秋田に行ったのは清洞夫婦が関係してるんじゃないだろうな」
「良い勘してますね、流石は公安の方です。大方合ってると思いますよ。蓋しあいつもそこに目を付けて見つけたのでしょう、框矢の肉親である清洞夫婦を」
「……!」
「後はお願いします。榊原さんは逮捕状請求を、鮫島さんは映像監視を!俺は框矢の所へ行きますっ」
「え?!おい!」
榊原の驚愕も、影人には届かない。
「俺の予測が正しければあいつ、框矢の肉親を人質に取る気だ!
そんな事になれば、長野の時の二の舞になり兼ねないッ。それだけは阻止しないと……!!」
「っ、待て!!」
ガッと彼の腕を掴み、鋭く見据えた榊原が引き留めた。
「説明しろ、二の舞とはどう言う事だ?!」
彼の睨みにも臆さず、苛立ったように窓から身を乗り出す寸前の姿勢で、榊原に目をむく。
「以前長野へ出向いた時、あいつ、俺達の恩師を人質に取ったんですっ。彼は内戦を生き抜いた人だから冷静だったけど……框矢は怒り心頭に達し、我を忘れてしまった。
恩師が止めなければあいつは死んでいたし、框矢は人に戻れない所だった。あの無音の咆哮は、一般人には毒です。芯からの畏怖と慄きを植え付ける」
“初対面とも言える肉親との再会を、そんな物で溝を作らせる訳にはいかないんですよ!!”
榊原の手を振り払い、窓から身を乗り出した刹那、彼はラプターと共に会社へ走り去ってしまった。




