これで最後
※多々に視点が変わります。
ー榊原sideー
九月中旬。
鮫島を通して、彼は本当に半月後に連絡して来た。
“あの男が、框矢に接触して来ました。相対場所は奴の会社の最上階、社長室です”
何というタイミングの良さか。
どうやってあの男と接触しようかと思案していたと言うのに。
鮫島によると、会社ビルの近くのアパートに、丸一日部屋を借りたと言うことらしかった。
つまり、その部屋まで来い、と。
***************
「呼びたててすみません。今、ちょっと動けなかったものですから」
たった五畳半の部屋の大半を占めるテーブルには、パソコンが複数台や接続機器、例の盗聴録音機、何かの図面が広がっていた。
「良く部屋を借りれたな」
カチャカチャ機器を弄る影人に尋ねれば、その手を動かしたまま答える。
「大家に頼みました。料金を上乗せしたら、喜んで貸してくれましたよ。口止め、何も聞かない、見ていない事にすると固く誓わせました」
「幾ら渡したんだ?」
「即金百万です。少ないですかね?」
少ないか?だと?!多過ぎるくらいだぞ!
「鮫島、どう言う事だ。何故即金であんな大金を払える?」
鮫島に振り向き、小声で尋ねる。が、答えたのは影人だった。
「情報屋の稼ぎがでかいからですよ。鮫島さんから裏の顔の事、聞いてるんじゃないですか」
カチリ、と最後の作業を終えると、工具を傍に置いて俺を見上げる。
「今はそんな事、どうだって良いでしょう?……框矢は、既にあいつの所に向かいましたし」
ヴン……とパソコンを立ち上げる。そこに映ったのは、空に聳え立つ奴の会社。
「これは?」
「框矢が今見て居る景色です。超小型カメラを彼のシャツの襟に隠しました。感度良好で良かった」
影人がポイッと無造作に、俺に投げたそれを慌てて受け止める。
親指と人差し指で摘まんで、たった5mmに満たない黒い物体を眺めた。
「框矢は黒い服を好みますからね、至近距離で舐める様に探さない限りはバレる事は無いはずです」
こんな物まで作ってしまえるのか、影人は。
その器用さ、知識量、そして超一流のハッカーの腕。
面識が出来たのはたかが半月も前の事なのに、公安に引き込み、働いて貰いたいと思うのはおかしいのだろうか。
「鮫島さん、そこの図面とってもらえますか」
「ああ、これだな?」
落ち着き払った声で鮫島に頼み、テーブル横の空いた床にそれを広げ直す。
「……これは?」
「あいつの会社の見取り図です。あの建物は三十階建て。非常通路や業務用搬入口、各フロアのブレーカーの数と階段、エスカレーターにエレベーターの位置、各階何人程が常在してるのか。
監視カメラの数と位置に、警備員の人数とそのシフト、出入りする業者の種類と人数、必要と思われる情報を調べました」
これがそのリストです、とA4紙を十数枚俺に手渡す。
そこには、彼が言った通り、奴の会社の内部情報が細々と書き込まれていた。
「凄いな……」
この短期間で、これだけの情報を手に入れられるとは。
公安にもそれなりに情報収集を得意とする者が在籍しているが、影人には及ばないだろう。
それ程に、彼の才能は飛び抜けている。
“……影人”
「ッ?!」
突如聞こえた、框矢の音声。無線独特の機械音が混じる声は、パソコンからのもの。
パッとテーブルの小型無線機を手に取り、影人が応える。
「框矢」
“社内から誰か出て来た。多分あいつの部下だ。これは回収を頼む”
「はいよ。向かわせるから、全力で直上に放り投げてくれ」
“わかった”
短く応え、それ以降、音声は途絶えた。
「放り投げるだと?……そもそも何で連絡が取れるんだ」
「市販の小型無線機ですよ。俺の相棒に回収させに向かわせましたから、直ぐ戻って来ます」
ほら、と部屋の窓を示す。
開いた窓から器用に室内に入って来たのは、無線機のストラップを咥えた猛禽類で。
「ありがとな、ラプター。暫く休んでて良いよ。また後でお前の力を借りる事になるかもしれないから」
影人はその鳥から無線機を受け取り、部屋の隅に羽を畳んだのを見ると窓を閉めた。
「……隼、か?」
「ええ。俺の大事な相棒で、家族です。賢いので色々手伝って貰ってます」
ふわりと柔らかな笑みを灯し、ラプターと呼んだ隼を撫でる。
「框矢の腕なら、垂直に放り上げられる距離も其れなりに長い。だから無線機を上に投げて、それをこいつに咥え取ってもらったんです。
俺以外に信頼関係を築けているのは框矢だけですから」
鳥と、しかも生態系頂点に立つ猛禽類との信頼関係。
隼は人には馴れぬはず。野生なら尚更だ。
「俺は……母さんの血を引いています。彼女は別に、框矢みたいな人間じゃありませんでした。
でも鳥と意思疎通が出来る人だった。俺もラプターとは意思疎通が図れます。何が言いたいのかくらいは」
まるで俺の心を読んだのかと思った。
……真の彼らの姿を知るには、道程は長そうだな。
「おい、映像が動いたぞ」
鮫島の声に、パソコンへと思考を切り替えた。
もう音声は流れて来ないが、クリアな映像でどういう状況になっているのかが良く解った。
ビルの一階の受付を通り過ぎ、エレベーターへ乗り込んだ框矢。
映像の両端に人影も見て取れる事から、恐らくは左右に奴の配下が居るのだろう。
そしてエレベーターに乗り込んだ瞬間、壁の鏡には瞬間だが、はっきりと見知らぬ男達が映った。
「部下に囲まれてる、と言う事か」
「その様ですね」
静かに動静を見守っていたが、不意に框矢の腕が近付き、見えなくなる。
そしてその影が離れたと同時に、一気に呼吸音、エレベーターの音声、機械音、服の衣擦れ音……様々な音が部屋に流れた。
「框矢が録音と盗聴、両方を開始させた様ですね。繋いで、人声を最優先に拾えるようにします」
影人は言うや否や、映像のみ流れるパソコンに周波装置を繋いで、素早くキーボードを叩く。
瞬き数回の短な時間で、雑音や騒音が遠退いて人語がより明確に聞き取れるようになり、注意深く耳を傾けた。




