度重なる追手 side.ダナニス
「ぐ……ッ」
思わず、机上を叩く。
これ程に、あの若造にしてやられるとは。
これ程に屈辱を味わう事になるとは思わなかった。いや、思いたく無かった。
「ダ、ダナニス様……?」
ビクつきながら部下が僕を見ているのも、脳を素通りする。
框矢がSPを辞めた日。その日こそ、僕が待ち望んで居た日だった。
国家機関の庇護が消え、彼を手に入れるチャンスだったんだ。だから数十人もの部下を従え、框矢の元へと向かった。
鮫島武司ともう一人、框矢と同年齢らしき女子と居るのを近くのビルの屋上から見ていた。
案の定、框矢は僕らの存在にいち早く、気付いた様で。
女子を去らせると鮫島に何か言い、駆け出した。そうして路地の奥にある空地へ誘い、彼を囲んだ。
いつの間にか彼の右手には、何時ぞやの真剣。パッと辺りを見渡せば、真剣が入っていたらしいケースは、ビルの屋上の柵の一つに引っかかっていた。
ところが、彼を囲んで間合いを詰めさせようとした時。鮫島が空地に現れたんだ。
框矢は茫然とし、呆れたように呟いた。それに応える鮫島の声も僕の元へは聞こえない。
まぁ、どうでも良い事だ。一人が二人になった所で、優位な事には変わらないのだから。
彼は鮫島とたった二人、そして彼の武器は真剣のみ。対して僕の数十人もの部下は、皆軽く武装し、拳銃、弓、柔術……各自の得意分野を鍛えてきた者達ばかり。
僕の勝利は確信していた。
“……起きろ、瀧宗”
不思議と響く、静かな框矢の声。遠目にも、左手で鎬を撫でるかの様に鞘を撫で、数秒遅れて鯉口から鞘が消えて行くのが見えた。
瞬間、鮫島の背中が見えたと思った。
が……瞬き後に眼が捉えたのは、崩れる様に倒れた四人の部下。
そして地面を蹴った框矢の足元に転がった、分断された銃弾。
一人、また一人となす術も無く倒されて行く。
「あの男を狙いなさい」
「畏まりました」
静かに伝令し、二人の部下が動き出す。
一人は弓で、一人は拳銃で。
背後からなんぞ、どうだって良い。框矢を追い込んで手に入れられる為なら。
だがその刹那。
別の部下を倒していたはずの、框矢の姿が消えた。
そして血を吹き倒れた、鮫島を狙った弓の部下。同時に銃声が一発。
崩れる様に膝を付いた、鮫島。
その、彼の姿に框矢が気付いた次の瞬間。
我を忘れたかのように、彼が豹変したんだ。
恐ろしい速さ、形相で鮫島を撃った部下に襲い掛かった。
拳銃を持った手を分断し、頭部を瀧宗と呼んだ刀で一突き。
絶命したであろう、糸が切れた様にバウンドした部下。
彼は容赦無く踏み付け、その喉に瀧宗を力任せに突き立てたんだ。
眉一つ動かさず、致命傷以外にも深傷を負わせた。
およそ人間からは離れたその惨殺に、思わずサァッと血の気が引いた。
周りを囲む部下、そして僕を見たその眼は、冷酷な、微塵の情すら感じられない冷たいものだったんだ。
ピッと刀身から血糊を振り払い、ビルに寄り掛かった鮫島を庇う様に向き直る框矢。まるで、その全身から怒りのオーラが滲み出てるような、そんな錯覚さえ覚える。
次に鮫島に手を出したら更に酷い惨殺体が転がるだろう、と告げ、僕に向かって口を開く。
“お前……部下が半数やられても動かないのか。お前が俺を捕らえる命令を出した所為で、部下が死んでいくのに”
そんな事はどうでも良い事に過ぎない。
この部下達は僕の手足だ。決して逆らう事も無く、従順に命令に従う、言わば機械なのだから。
それよりも、惨殺の瞬間を目にし、更に唸る様な低い彼の言葉を耳にしたとは言え、動きが止まるどころか少しずつ後退した部下達に呆れてしまった。
どの様な状況でも、後退はしてはならない、と命令したはずなのに。
「何をしているのですか。撃ちなさい」
部下達に叱咤を飛ばせば、我に帰ったように銃や弓を構え、框矢を狙う。
恐らくは全て躱されるだろう。けれど躱せば後ろの鮫島に当たる。……彼は、どう対処するかな?
框矢の真の実力を測りたくて、敢えて框矢を狙わせた。
一斉に銃口や矢先を向けられた彼が浮かべたもの、それは驚きでも無く焦燥でも無く、純粋な不快感だった。
空気を斬る音、銃声が交じり合って響く。そして金属音も。
薄い煙が晴れ、そこには当たり前のように框矢が瀧宗を部下に向けて、構えていた。
彼の足元には、矢であったり銃弾であった物が無数に転がっていて。
要は全て、瀧宗で防ぎ切ったと言う事か。
水を打った様に静まり返り、身動きしない部下達にまだやるか、と一瞥し、先程よりも強い怒りを僕に向けて来る。
自分や関係無い人間を巻き込むな、だとか、僕の夢を叶えたいなら勝手に一人で叶えろ、だの。
良い迷惑だ、とあれこれ言って来るが、関係無い。これが 、僕なりの夢の叶え方なんだから。
フッと嗤うと、更に部下達に命令を出す。今度は全力で框矢を捕らえるように、と。
そうして不意に、框矢は僅かに後ろを向いた。彼の口が動いた次の瞬間、遠目にも苦しそうにしている鮫島の表情が、悲しげに歪んだ。
そして、框矢が部下達に向き直った刹那。彼の姿は消えた。
彼の姿が見えないまま、まるで豆腐でも砕くかの様に、部下達が血を吹き倒れて行く。
「?!」
「な、何が起きてるんだ……?!」
側近の部下がざわめく間にも、腕から、脚から、首から、胴体や頭部からも。部下達は多量の出血と共に崩れ倒れて行く。
彼らが持っている拳銃、ライフル、弓は全て二等分されて転がる。
いや、転がっているのは武器だけでは無かった。
指、脚、腕……そして頭。一体何なのか分からない肉片が、散らばって居たんだ。
最後の女の部下が倒され、漸く見れた框矢の姿。
死体を踏み付け、その肩から瀧宗を抜き、僕と最後に残った側近の方へゆっくり近付いて来る。
動く者は僕らと框矢のみ。
そして幾人もの部下の、交じった血がビル壁に、地面に、死体に、大量の血痕としてこびりついている。
辺り一面、血、血、血。
鉄臭くて、吐き気さえ催して来る。そんな中を、ゆっくり近付いて来る框矢。
“あとはお前らだけだ”
背筋に寒気が走る声音で、頬に、全身に大量の返り血を浴びて。
その右手に、血塗れの瀧宗を握り迫り来る彼は、何処かの残虐な神の化身にも見えた。
慈悲の一切無い、ひと度その時になれば全てを殲滅する、非情な戦神。
側近の部下が防戦の構えをした瞬間。
ヒュッ……と風を斬る音と同時に、三人の部下が背後の壁に激突し、身動きしなくなった。
框矢とは言えば、左脚を地面に降ろした所で。回し蹴りで最後の部下まで瞬殺され、最早僕には味方は居なくなった。
未だ血に塗れたままの瀧宗の鋒を、喉に突き付けられる。
恐ろしい。そんな思いが増幅する合間にも、悔しさが滲む。
赤子を捻り潰す程に呆気なく、全滅させられてしまうとは。
あまり身動きが取れない中で聞こえてきた、“くだらない野望”と言う単語。
カッと血が昇り、彼の目前に銃口を向けた。
くだらない野望、だと?この僕の夢を?
彼を撃てば、僕は框矢を手に入れられないばかりか罪に問われかねない。
けれど夢を侮辱された様で、無性に腹立だしくて。
だけど至近距離で銃口を突き付けられたにも関わらず、框矢は眉一つ、顔色一つ変えずに言ったんだ。
“くだらないさ。少なくとも俺にとってはな”
そして感じた右手首への圧力。気付けば彼の左手が、拳銃を持った僕の右手首を捕えていた。
振り解こうにも出来ず、そのまま発砲しようにも、それもままならず。
その圧力に顔が歪んでいくのが自分でも分かる。ギリギリと痛みを伴い、そして次の瞬間。
ボキッ、と嫌な鈍い音と同時に、右手首に激痛が走った。
お、折れた?!手首が……ッ。
叫び声をあげずにいるのが精一杯で、框矢に拳銃を取られてしまった事に気付くのも遅れた。
“お前、社長なんだってな。それも日本じゃ有名な。俺にお前は全く必要無い。殺しても良いくらいだけど、知名度が高いお前を殺せば、俺はこの国では暮らせなくなる。
これ以上俺や俺の周囲に何かする様であれば、容赦はしない”
冷たく降って来た框矢の声。
彼にとって自分は不必要、殺しても良い。その意味を理解するのに数秒掛かった。
必死に框矢を振り向かせれば、眉間の数mm先に鋒を向けられ、動けなくなったんだ。
“二度は言わない。後処理はお前の仕事だ”
そこには、明らかなイラつきと怒りがあった。
そうして、僕が何も言えずに激痛に耐えるしかない中で、框矢は彼より背が高いはずの鮫島を担ぎ、ビル壁を蹴って屋上へと消えた。
その後暫く、僕は利き手首の骨折の激痛に耐えるしか出来ず、漸く他の部下を電話で呼ぶと病院へと直行した。
勿論、あの空地は封鎖して。
それから数週間。
ビル壁と同色の塗料を大量に揃え、吐き気に耐えつつ、部下と後始末に追われる。
頭部、指、手脚、途切れた臓物。そして最早何なのか分からない、無数の肉片。
拾えるだけ拾い集め、密かに処理し、空地に面した全てのビル壁を厚く塗装する。
地面には新たにコンクリートを敷いた。
一度だけでは隠しきれなかったんだ。あの、大量に付着した血痕は。
それから暫く、僕ともあろう者が悪夢に魘される日々を送った。
血塗れの瀧宗を手に、大量の返り血を浴びたあの框矢が襲って来る悪夢に。
利き手首の骨折も重なり、鮫島への対処が遅れた。
僕の事が漏れぬ様に口止めしなくては。
それで鍵重長官の元へ出向いた。ところが、SPを解雇させようとしたのに、先手を越されてしまったのだ。
いつも通りの口調で、いつも通りの態度で話す長官。
“護衛してもらった時から、彼が気に入ってしまってな。一身上の都合、という事で第一班班長……まぁSP自体を辞任し、私の下で働いてもらう事にしたのだよ。
今は私の部下として、覚えなければならない事を大量に抱えているのでな、君に鮫島君を会わせることは出来ないのだ”
この様子なら、恐らく長官は気付いていない。鮫島の怪我が、僕の所為だとは知らないのだろう。
あまりにしつこく尋ねれば、逆に僕が疑われかねない。それは避けたいからな。
まだ、長官は使える人間だから。
そのおかげで鮫島に手を打つ事が出来なかった僕が、今に至る。
「……あの、ダナニス様」
「何でしょう」
恐る恐る声を掛けて来た部下に、目線を向ける。
「恐れながらお聞き致しますが、ダナニス様は何故、あの框矢と言う青年をそれ程までに手に入れられたいのでしょうか?
私は彼の武力が如何程なものか見ておりませんが、あなた様が呼びかければ、まだまだお力になりたいと集まる者が居るのでは……」
確かに、部下がそう思うのも当然だろう。
「僕にとって、貴方達は大変優秀で頼りにしている存在です。勿論、それなりの武力も持っている。ですが、彼はたった一人で貴方達五十人以上を纏めた程の武力を持っているのですよ。正に百人力、と言ったところでしょうか」
あの、鬼神の様な彼を思い出して一息吐く。
「この間、僕が五、六十人程を引き連れて彼を迎えに行った事は知っていますね?」
「はい、存じております」
「彼は……、たった一人で殲滅させてしまいました。手にしていた一刀の日本刀と、彼のその身体能力だけで」
「?!」
「無事であったのは、僕と、側近で僕の護衛をしていた者三人だけです」
まあ、その側近達も腹に一撃を受けて瞬殺されてしまったのだけど。
あの後、気絶から正気に戻るのにかなりの時間が掛かった。
「僕の夢の為に、貴方達の様に信頼の置ける者を更に集めるつもりではいます。
が、彼を仲間にする事は、所謂“鬼に金棒”と言うもの。いつ、どのような状況に陥ろうとも、必ず切り抜けられる万全の布陣になるのですよ」
それに、彼を手に入れる為に、既にFARMに巨額の投資をしていた。部下だって集めてはその度に、框矢に減らされる。
まあ、今更引くに引けないのが正直な所で。
鬼神の如き、あの武力。
純粋な恐怖を味わってしまった後でも、やはりあの身体能力は捨て難い。
何者もの追随を許さない高い身体能力、そして天性の武人とも言うべき頭のキレや判断力。
……欲しい。
「協力して頂けますか?」
「はい、勿論です!ダナニス様の為に、皆が全力を尽くします」
ゆったりとした笑みを浮かべ、部下に聞けば即座にそう応じる。
「では先ず、彼の居場所を突き止めねばなりません。地理に聡い者を交え、彼が現在何処に居るのか、捜して下さい。何かあれば、逐一報告をお願いします」
「承りました」
一つ敬礼し、僕から去って行く部下。
数日して聞かされたのは、居場所不明、と言う報告だった。
「どう捜しても、発見出来ないのです。どうやら、彼は既に東京には居ないものと思われます。引き続き捜索しておりますが、少々時間が掛かるかと……」
東京には居ない?まさか、国外へ出たのだろうか。
……いや、それは無いはず。航空券は全て調べ上げたと報告があったんだ。それならば框矢の名が必ず記録されて居るはずなのだから。
「それと。先日ダナニス様が彼を迎えに赴かれた際、鮫島武司ともう一人、彼と同年齢らしい女子が居たとお聞き致しました。が、その女子も発見に至っておりません。
框矢と何かしら、関係があると踏んではいるのですが」
「貴方達の力でも難しいですか……。分かりました、引き続き捜索をお願いします」
「はい」
框矢が僕と部下達に気付いてから、一番に動き、去って行ったあの女子。
カフェに入り、その後出て行ったと言う報告は受けていない。
一体何処へ消えたのか。そして框矢も一体何処へ……?
ひと月経っても捜索に進展は無く、僕は新たに指示を出した。人数を倍以上に増員し、全国津々浦々に捜索の手を拡げるように、と。
半年経ってもまだ框矢の行方は掴めず、焦りが部下達にも見え始めた。
彼だとて年を経る。今は20歳だろうが、一年も経てば21歳に、更に経てば22歳に。
発見が遅くなればなるほど、23歳、24歳と年を重ね、容姿だって変わって来るだろう。益々発見は困難になる。
一年経って漸く判ったのは、SPの給料で国内を移動しているという事。
結局、都内で住処としていた場所は見つけられなかったものの、彼が何をしているのかが判っただけで進歩と言える。
それを手掛かりに、また範囲を狭める事が出来るのだから。
東京都の隣接県……埼玉、千葉、山梨、神奈川へ部下を出し、地道ではあるが、框矢の写真を手に情報入手に徹する。
そうして手に入れたのは、神奈川で彼によく似た青年を見掛けた、と言うもの。
神奈川の全域、そして山梨と静岡にまた部下を送り、次に情報が入ったのは山梨。
その次は静岡。更に次は愛知。
愛知の次は三重、そして和歌山、奈良、大阪……。
どうやら太平洋側を順に南下しているようだ。
だが驚いたのは、東京以外の県で、交通機関を使った形跡が全く無い事なんだ。
バスや市内電車の類いは履歴が残らないから判らないが、新幹線、JR、高速バス……履歴が残る手段は全て避けているようで。
と言う事は、框矢は殆ど徒歩で移動している事になる。
これならば、とも考えたが、既に一年は経っているだけに、易々とは追い付けない。
彼の脚を持ってすれば、簡単に距離は稼げるのだから。
そうして捜索を開始してから一年半。
とうとう、僕は框矢に追い付いたんだ。東京を始めとし、太平洋側を南下し、四国や九州へはフェリーで通り、中国、近畿、北陸を過ぎ。
それは、彼が青森を抜ける所だった。




