法鴉影人
ピィーー…
高く小さな鳴き声に、彼は澄んだ青空を見上げて微笑む。胡麻程の小さな影は、あっという間に大きくなり彼の直ぐそばに舞い降りた。
法鴉影人、17歳。
彼は自身が根城としているビルの屋上に腰を降ろし、寛いでいた。
「ラプター、美味い飯喰えたか?」
そんな彼の声にピィ、と返事をするように鳴いた隼。
「そっか、良かったな」
小さな相棒の頭を優しく撫でると、頭の後ろで組んだ手を枕に寝転がった。
明るいストレートショートヘア、良く動く瞳。所謂可愛い系の容姿である。もし彼が女装したならば、それを男だと見破るのは困難だろう。現に何度か仕事で女装しているが、一度も見破られた事が無い。
影人は徐に立ち上がるとラプター、と相棒を呼びながら屋上の古くサビついた扉へと歩く。
重装備とも言える分厚い手袋を嵌めた右手に相棒を止まらせ、彼は屋内へと入っていった。
影人には親が居ない。14歳のあの日、悪夢の様な事故。信号無視で突っ込んで来た黒塗りの車に、自転車で出掛けていた両親は轢き逃げされたのだ。
即死だった。自転車はあり得ない方向へと捻じ曲がって飛ばされていた。両親もまた、弾き飛ばされて大量出血と全身打撲を負った。
目撃者は無し。
警察は捜査を開始したが、加害者側である黒塗りの車が国会議員の物である事が判ると、あろう事か大した捜査もせずに有耶無耶に事故の真相を揉み消したのだ。
相手は業務上過失致死罪に当たるはず。それなのに懲役も罰金も無く、更にはニュースにも然程上らなかった。
その国会議員はその後、汚職事件を起こして表舞台から姿を消した。
「こんなんで、気が晴れるわけ無いのにな……」
電気が通っていない薄暗い室内で、古いソファに寝そべり天井を見つめる。
彼の両親は、影人を溢れんばかりの愛で包み育ててくれた。息子から見ても、互いに愛し合っているのが良く分かった。見てる自分が恥ずかしくなるくらいに。
そうして時々、銀行での入出金の時に影人を連れて行ってやり方を覚えさせた。両親が唯一持っていた通帳は、実は影人の名義であったのだ。
それを知ったのは、両親があの事故で死んでしまってからだった。
彼が独りになってしまったのを見越した様に、突然彼の周りには親戚が集まり出した。
我先に彼を引き取ろうとしだしたのだ。だがその真の目的は、影人名義で遺された通帳、その残額。
コツコツと息子の為に、と両親が殆ど使う事なく貯めておいてくれた額は、一千万円に届くまでになっていた。
彼らの眼が欲に汚れているのを感じ、影人は独りで生きていく、と全親戚が居る前で宣言した。
「俺はあなた達の元には行かない!独りで生きていく。もう中学も中退して来た」
当然、親戚達は反対した。中学中退の子供が独りで生きていくのは難しいのだ、何を馬鹿な事を、と。
「今まで俺や父さん達に寄り付きもしなかったあなた達が、父さん達が死んだ途端、俺に群がり始めた!
幾ら俺でもその意味する所は分かってるつもりだ。あなた達は、俺名義の通帳を、遺産を手に入れたいんだろう?」
違うか?!
そう言い捨てた影人に、親戚達は黙り込んだ。全くもってその通りだったからだ。彼らにとって大事なのは遺産であって、名義人である影人はどうでもよかった。
「父さん達が地道に俺の為にと貯めてくれた金を、欲で塗れ汚れたあなた達には絶対渡さない!
帰ってくれっ」
また来る、と親戚達は渋々帰って行った。到底自分達では手の届かない、一千万円近くの大金を逃したくは無かったからだ。
その日、影人は両親の位牌を前に気が済むまで泣くと自身の荷物をまとめ、両親の位牌と遺された通帳、遺品、貴重品、そして家の不動産書類を持って家を出た。
決してあの親戚達には良い思いはさせまいと固く心に誓いながら。
いつも彼らが家に訪れるのは正午を過ぎてから。その事を考え、影人は午前中に不動産へと赴いた。両親が時々自分を連れて訪れ、仲良くなった不動産の社長。初老の彼は、影人を孫の様に可愛がってくれた。
「影人じゃないか!」
そう笑顔で彼を出迎えてくれた社長。両親の訃報に悲しみながらも、影人の話を親身に聞いてくれた。
「分かった。この物件は私自ら責任持って預かろう」
「お願いします」
両親が選んだ家具を、そのまま大切に使い続けてくれる人だけに家を売る、と。
社長は人を見る目があると両親が言っていた。だから彼に生家を預けたのだ。たまにはまた顔を見せてくれ、と言う社長に頭を下げ、影人は都心へと去って行った。
その後、遺産目当ての親戚達が影人の家に来て見たもの。それは既に売家の看板が立てられ、誰も、影人すらも居ない抜け殻の家だった。
影人が売った不動産の社長は家はあなた方には売らない、と中に立ち入る事すら許してはくれない。
一千万円の遺産。
彼らは影人を捜したが、彼を見つけることはとうとう出来なかった。
その後、影人は都心から少し離れた郊外の街の一角にある、電気も通らない古いビルの一室を借りた。
元は何かの事務所だったらしく、机と数人掛けのソファがそのまま残っていた。彼にとって幸いだったのは飲料水にもなる綺麗な水が出る水道が生きていた事。
水道代込みで月4800円と言う格安で借りれた為、根城に決めたのだった。今まであまり使わずに貯めてきた、両親からの小遣いを崩しながら。
自身の器用さを活かし、ペットの世話から買い物の代理や掃除の手伝いなど、何でもこなす便利屋を主に高齢者や若い世帯を相手に仕事をする。
一方でハッカーとしての腕を独学で磨き、あらゆるパソコンを覗き情報収集をした。
そして得た情報を欲しがっている相手がいれば、値を交渉し売り渡す。もちろん、危うい状況に陥ったこともある。だがそんな中でも腕を磨き続けた。
影人が得る“情報”は、どれも相手にとって最も欲しい核の物。
天性とも言える勘とハッカーの腕を駆使し、情報を売り、または買う。表の職として便利屋をしながら、裏では情報屋の顔を持っている。
両親が他界し、ビルの一室を借りて数年。若干17歳の若さでありながら、彼は多方面の裏の顔から信用を置かれる、情報屋としての地位を確立した。
そんな彼と取引する者は、必ずある事を誓わされる。
一、影人と言う名以上の事の一切を詮索しない。
一、根城の場所、影人に関する一切を外部に漏らさない。
一、依頼する者は身元を明かす事。
依頼者ばかりが不利のようだが、それでも情報を求める者が絶えることは無い。それほどに影人の情報屋としての力は認められていたのだ。
「たかが17歳のガキだ。情報量は大したもんだがな。なぁに、バラしたってかまやしないさ」
中には誓ったにも関わらず、そう言って彼の詮索や情報も漏らした者もいた。だが影人を甘く見ていたそのツケは、当人が思うよりも重く大きかった。
影人は当人にとって不利な人物、敵対する人物に情報を無償で渡し、根絶やしにしたのだ。
誓いを破る者は許さない。その代わり、守る者には何度でも依頼を許した。そんな彼の姿勢は、影人をより信用を置くに価する人物だと言う評価に繋がっていったのだった。
両親を轢き逃げした国会議員の汚職も、彼がハッカーし、暴き出したもの。
元々根の良い議員では無く、両親の事件以外にも賄賂や経費の不当使用など、様々に手を汚していた。
影人はそんな議員の全ての悪事を暴き、警察では無く、新聞社や週刊誌にリークしたのだ。
匿名で齎された、国会議員の汚職とその証拠。当然新聞社や週刊誌のみならず、マスコミまで騒ぎ始めた。
各自に調査し始め、記事のネタと一緒に齎された証拠が正しいと判るや否や、一斉に報道したのだ。
己がして来た事全てを報道され、その議員の信頼と信用は地に失墜し、彼は表舞台から失脚。警察の事件隠蔽も明るみになったのだった。だが、何故か最後まで両親と影人の名は明るみになる事は無かった。
両親の仇は打った。けれど心が晴れる事は無い。仇を打った所で影人の両親が戻って来る事は無いのだから。
影人は相棒の隼を撫でながら、ずっとソファに寝そべっていた。




