兄弟達の挽歌:9
「さぁ何を貴方は知りたいのですか?」
惟智子は湯のみを両手で持ちながらゆっくりと茶を啜る。
ゆったりとした椅子にふかぶかと座りながら早くしろよと催促する惟智子に藤島は頭を悩ます。
何をって言われるとなぁ~困るなぁ。わからないことだらけだもんなぁ。
質問の突破こうが見当たらない藤島は湯のみを口につけながら固まっていた。
何から聞けばいいのかさっぱりなのである。
「聞きたいこともわからないのですか?本当にしかたのない人ですね。」
しびれを切らした惟智子がまるで心を読んだかのように話すと、
「ではまず順をおって話始めましょうか。」といい湯のみの中のお茶をコクリと口に含んだ。
「私が創ったあの物語は、貴方がもってきた二つ事件の共通項を照らし合わせそれに沿って無理の無いように、そして私なりの遊び心を入れて創ったのです。共通項は“血液を奪う”事と“受験生である”事。被害者が受験生という点である事からみると加害者も同じか、また近い立場にあったと考えられます。ストーリー的に無理のないように―私は加害者を被害者と同い年に設定しました。そして血液を奪うというこの点を“吸血鬼”という貴方からのキーワードを絡めてストーリーを展開する。そしてできたのが秀才の血液を探し求めるヴァンパイアの少年の物語――。」
「はいっ質問!どうして男が犯人だと思ったんだ?」
素朴な疑問だった。彼女が話を始めた時既に犯人の性別は決まっていた。吸血鬼なら女であったっていいじゃないか?むしろ被害者は男だったんだし、女吸血鬼のほうが萌えるじゃん?などとクダラナイ事を藤島は思ったのである。
疑問を投げかける彼に、惟智子は変わらぬ無表情のままビシっと指をさしてこう言った。
「第一の事件の捜査資料をきちんと読みましたか?いえ、断言できます。貴方は資料を斜め読みしたのです。わからない難しい用語を読み飛ばし、なんとな~く事件像を捕らえただけだったのです。貴方の仕事は資料を読み解くことではないのですか?窓際部署に左遷されたからといって、職務を適当にこなすなんて信じられないのです。それに、わからないところは読み飛ばすなんて最低です。愚の骨頂です。」
厳しい惟智子の言及にたじたじとしながら、ヘラ~っと笑うと彼女は冷たい視線を飛ばして「もういいのです。貴方には何言っても無駄なのです」と言って持っていたお茶をコクリと飲んだ。
「まぁまぁそう言わずに。今度から資料の読み飛ばしはしないからさ」
手を合わせて頭を下げると、彼女はさも呆れたと言わんばかりのオーラを放ちながら
「わからない用語は以後、辞書などで調べる事を推奨するのです。…まぁ今回は特別に用語の説明をしてあげます。」
呆れたオーラは拭えないが、お許しの言葉が頂けた。
そして彼女は何故そんな事を知っている?と言うような難しい用語の説明をし始めた。」
「あの資料には被害者の遺体が“死蝋化している”と書かれていました。死蝋化とは遺体がなんらかの状況で腐敗菌が繁殖せず、長期間外気が遮断された場所で遺体が腐敗を免れ死体内部の脂肪が変化し、蝋状・チーズ状になったものとされているのです。ミイラとは異なるものなのですよ。そして高温多湿な日本ではあまり見ることのない特殊な遺体状況なのです。カラカラに乾き水分の飛んだいミイラと違い、死蝋化した遺体は普通に重みがあると考えます。コレを女性が移動させたとは考えにくいのです。それと、高温多湿な日本で遺体が死蝋化した点に着目し、犯人の家には地下室があると仮定しました。地下室ならば外気から遮断され湿潤かつ低温状態になり、遺体が死蝋化しやすくなるのではと考えたからです。」
なるほど。だから地下室に放り込んだなんて言ってたんだな。
彼女が語った物語と実際に起きていた事件。空想と現実。相容れないはずの二つの世界が、この本に塗れた彼女のお城では綺麗に融合して溶け合う。
その事実にぶるりと彼は身震いをする。
「本当にすごいな。みごとにあったよ地下室。埼玉にある加島優輝の実家にはバブルの頃に両親がワインにかぶれて、ワイン貯蔵用のために作った地下室があった。君の物語にそって鑑識さんに調べてもらったら血痕が検出されたよ。おそらく第一の被害者村木孝博のものだろうってことだ。」
「そうですか…」
ため息まじりにそういうと彼女は湯のみのお茶をコクリと口に含む。
「そうだ、もう一つ質問いい?」
「なんでしょう?」
これは俺の最初からの疑問だ。ねえ、何故?
「どうして死に別れた兄弟がいるって思ったの?」
怪我をして入院。輸血パックが足りなくて兄弟からの緊急輸血により一時的に生き永らえた加島優輝。それでも彼は虫の息で――兄からの移植がなければあんなにも回復することはなかっただろう。
彼女は言い当てたのだ。物語として語ったすべての一節一節が現実の加島優輝の生活と合致していた。
さぁどうしてそんなことがわかったんだ?説明してくれよ。
「それは…」
俺によくわかるように。さあ…
「それは…貴方風に言うところのなんとな~くですよ。私が創った物語のストーリーに欠かせない配役だったというだけです。実際の犯人に兄弟がいようといまいと私には知ったことじゃないのです。」
湯飲みを持ちながらぼんやりと空を見る惟智子。
どうやら今回も大切なところをはぐらかされたような気がする。
納得いかない藤島をよそに、「ふむ。」惟智子は一呼吸つくと、残っていた和菓子を口に頬張る。
抹茶と餡子の味が口の中にじんわりと広がっていく。甘いのに苦い…
「今回の物語はこのお菓子と同じ、甘くて苦い。切ない味がするのです。」
切ない?この残忍な事件が?
「それって一体どうゆうこと?」思わず問いかけると、彼女は急須を手に取り湯のみに茶を注ぎながら
「加島優輝のことは私にはわかりません。しかし、私が創った主人公はとても苦しみ悩んでいました。倒錯して壊れていく自分をどこかで客観的に見つめながらも認められずに苦しみもがいていたのです。彼には本当は必要だったのです。自分を傍で見つめ正し、ひっぱってくれる人が。愛を注いでくれる人が。しかし、その役をやるはずの父、母は役不足。頼りの綱の兄は自分を残しこの世を去ってしまいました。だから…」
だから?だから人を殺しましたって言うのか?
「だからって!だからって人を殺めてもいいなんて事にはならないだろ?」
噛み付くように彼は話す。温和でおちゃらけたイメージの彼には珍しいことだ。
ヒートアップする彼をよそに、惟智子はいつも通りの無表情だ。そして極めて冷静に話を進めていく。
「ならないです。そう、ならない。でも彼はそうしてしまった。そうするしか己を守る方法が見つからなかった」
「わからない。わからないよ。だからってなんで人を殺して血を飲むことになるんだよ。」
わからない。まったくわからなかった。惟智子が何を言っているのかが理解できないのだ。己を守る為に殺人を犯すなんて。だって被害者は何もしてない。加島優輝を傷つけようなんてしていなかった。命が脅かされることなんてなかったのに…!
「貴方は共感呪術というものを知っていますか?」沈黙をやぶり言葉をはっしたのは惟智子だった。
聞いたことのない言葉をまた呟いている。
困った顔で返事をかえすと、彼女は丁寧に説明を始めた。
「共感呪術とは民俗学の専門用語です。自分より優れた人の血を飲んだり肉を食べたりすることでその人物の力を手に入れられると昔の人々は信じていました。もちろん実際に血肉を食べることで力が手に入るなんて、そんなことはありません。迷信であることは間違いないのですが…彼は信じてしまったのでしょう。いえ、信じたかったのかもしれません。」
そう言うと惟智子は持っていた湯のみを覗き込み指でくるくると飲み口をなでるような仕草をとる。
藤島は知っている。これは彼女の癖なのだ。いい辛い事の前にする癖。
彼女は今、とても言いたくない事を言おうとしている。
「彼は唯一の支えであった兄を亡くして、自分の中にその兄を作ろうとしたのです。血を与えられ臓器を移植され、彼は兄になった、兄の力を手に入れた―そう思ったのでしょう。それに、自分が支えたかったのかもしれません。最愛の兄を亡くし、日夜壊れていく母の助けに、兄に成り代わることで果たしたかったのかもしれません。」
「そんな…」
そんなのおかしい。絶対におかしい。自分という中身を捨てて他人になりたいと願うなんて。
人は着せ替え人形が服をクルクル着替えるように中身を入れ替えるようなことはできない。
そんなの誰だって、誰だってわかることなのに。
彼はそこまで追い詰められていたというのか?
遣る瀬無い気持ちが藤島を侵食していく。そんな彼を冷たい色の瞳で流し見ながら彼女は物語の続きを語る。
「そして彼は兄の力を手に入れたと思いこんだまま。過ごしていくことになります。成績は向上しまわりの環境も変わってくる。彼は思ったでしょう。兄の力は凄い―と。本当は彼自身の努力の力であるにも関わらず彼はソレに気がつきません。いえ、長年言われ続けた呪いの言葉に阻害され己の力のことなんてわかりもしなかったのでしょう。」
何も出来ない愚図。加島優輝は長年そう言われて育ってきたそうだ。出来の良い兄とそうでない弟。
わかりやすい構図に皆が皆飛びついたのだ。
日々溜まっていくストレス。親から言われる他愛無いけど傷つく言葉。
その全てを、弱い立場とされた彼にぶつけた、ぶつけ続けた。
こいつは何も出来ないやつなんだ!
だって言ってたんだ。兄貴は凄いけど弟のこいつは駄目だって、愚図なんだって。
『ナンにも出来ない愚図なんだって!』
そして幼い加島優輝はゆっくりゆっくりその言葉に縛られていったのか。
「やがて、彼のドーピングでの快走劇も終焉がきます。人はソレをスランプ、不調などといいます。誰しもが通る道です。彼もその道を通ってきたはずだったのに―彼は知らなかったのです。兄自身もソレに苦しめられていたことを。彼は兄をヒーローと勘違いしていました。なんでもこなせる超人であると。そんなことあるはずもないのに。影で苦しむ姿を彼は見ていなかったのでしょう。いえ、見せてもらえなかったのかもしれません。兄は、無邪気に己を慕う弟の夢を壊したくなかった、ずっと彼のヒーローでいたかった―とそんなところでしょう。しかしソレがいけなかった。兄は悩むはずがない!こんなにも苦しんでいるのは“兄の力がなくなろうとしているからだ!”彼はそう考えた…」
「だから…他人から力を奪おうとしたのか。」
あぁ…なんて、なんてことなのだろう。
どうして誰も止めてやることができなかったのだ。
辛い物語はなおも続く。ぼんやりと虚空を見つめながら、語り部の惟智子は話すことをやめる様子はない。
「そう、迷うことなく彼は実行したのです。他人を襲い力を奪った。そして自分の中の兄の力は復活したと考えた。自己暗示…いえ、これはもう呪いです。自分で自分を彼は呪っていったのです。力が復活した彼はスランプを乗り越え勉強を進めていく。それは他人から奪った力があってこその結果であると、彼は間違えた答えのまま進んでいったのです。」
第一の事件はそうやって起きたのか。では第二の事件は?
「村木孝博の事件の事件と沢辺誠の事件では遺体の扱いかたが違うって言ってたよな?それはなんで?村木孝博は“死蝋化”で沢辺誠は?なんであんなにミイラみたいだったんだ?」
「ミイラみたいじゃい、ミイラを造りたかったのではないかと思うのです。偶然にも死蝋化した被害者の遺体を見た彼はその姿に神聖なものを感じたのかもしれません。そして第二の被害者の遺体も腐り落ちるのではなく、形ある神聖なものにしたかった。でも、彼は頭のいい人です。死蝋化させるのが今の環境では不可能だと察知していたのでしょう。だからより乾燥しやすいよう中身を抜き、バラバラにした。仲のいい友達だったからこそ彼が大切だった。腐ってなくなるなんてことは避けたかった。彼が大切で好きだった。だからこそ兄以外で初め興味を持ち共にいたいと感じていた。だから抜いた中身は…食べていたのでしょう?」
「あぁ…」
そう言ったきり彼は声を発することができなかった。
一度だけ覗いた取調べ室の光景が目に浮かぶ。
加島優輝は笑っていた。
綺麗な顔で笑いながら料理の事を楽しそうに話していたのだ。
「知ってる?刑事さん、人の肉ってさぁ独特の臭味があるんだ。でもね、ワインなんかに漬けておくと臭味がやわらぐんだ。それでね、煮込むんだよ、コトコトコトコト~ってね。心臓入りのミネストローネが1番美味しかったかなぁ~セロリとかローリエの香りで臭味が完全に消えるんだ。煮ることでやわらかくなるし最高なんだよ。あーあと脳みそも美味しかったなぁ。ソテーして食べたんだけど、とろけるんだよね口の中で。やっぱりさぁ~脳って凄いんだよ。だってさ、人間って脳みそで全てを行なってるんだぜ?手が動くのだって、足が動くのだって、目で見て色を感じるのも鼻で匂いを感じるのも、全て全て脳があってこそなんだ。それを僕は食べたんだ。あれ?僕??俺?兄ちゃん??誰が何を食べたんだ?なんかよくわかんなくなっちゃったや。あはははっあはっあははははははははははは。」
彼の笑い声が今でも耳に残っている。
普通の少年だったはずの彼の未来はどこで間違ってしまったのだろうか。
「不運が重なってさ、いろんな事間違えたってのもあったんだろうけど…なんであんなになっちゃったんだろうね。やっぱり最初っから素質があったってことなのかなぁ…。」
ぽつりと呟く藤島に、惟智子がめずらしく噛み付いた。
「最初から素質があるとはどうゆう意味ですか?彼が最初から殺人者の素質を持った人間だったとでも言いたいのですか?」
「いや、あの、そういう意味じゃないけど…」
「いえ、貴方はそういう意味でいったのです。――人はすぐ線引きしたがる。こちらは普通であちらは異常。境界が曖昧だと言うことを決して認めようとしないのですね。」
困惑する藤島に惟智子はなおも食いかかる。こんな彼女を見たのは初めてだった。
「いいですか、人の「罪」なんて法律で決められただけのものなのです。人の命を奪って罰せられる現行法が施行されたのは数百年前から。江戸時代にいたっては切り捨て御免などと言って罪に問われない場合すらあったのです。人が数百年前、他人の命を奪うことを禁止し法を作ったから罪だとされているだけ、命を奪っても血肉を食べても法がなければそれは罪ではないのです。彼が命を奪ったことも、血肉を口に入れた事も法律がなければ普通のことなのですよ。彼の言動を狂ったものだ、おかしいものだと決めているのは今の世の中だからというたけの事なのです。」
「じゃあなにか?人殺しは罪じゃないとでも言うのか?」
きつい口調で藤島は問い詰める。
罪じゃないと言うならば、殺されてしまった被害者二人はどうなるのだ。
運が悪かったですねとでも言うつもりか?そんなの許さない。それでは遺族の気持ちが浮かばれないではないか!
憤る藤島を表情を変えず見つめる惟智子。しかし、いつもと変わらぬ声音の彼女だが、どこか苦しそうにも見える。
「そうじゃない。私が言いたいのはそういう事ではないのです。『人を殺す素質があった』貴方のその発言の是非を問いたいだけなのです。いいですか、人を殺めることに素質なんてものはないのですよ。逆に言えば誰しもがその素質を持っているのです。ただ機会がないだけで、誰しもが追い詰められたり、苦しかったり、辛かったり悲しかったり…そういった感情が高まったその瞬間に“機会”が訪れてしまえば…可能性は人々に平等に与えられているのですよ。だから、彼を―加島優輝を『素質があった』などと差別して欲しくはないのです。それに…」
「それに、私も罪人なのです。貴方は私を軽蔑しますか?」
罪人?一体なんの事をいっているのだ?
目の前の少女を見つめながら、そんなの在り得ないと否定を繰り返す。
「なっ…なに言ってるんだよ。君はこの家から出ないじゃないか。罪を犯すなんてできないだろ?どーやって引き篭もりな君が…何をするって言うんだよ…」
必死になって否定の言葉を出すが、それが意味のないモノだと彼はどこかでわかっている。
彼女ならできるだろう。この家から出ずともなんでもできる。
人の脳髄をしびれさせるような澄んだ響きの声音に、キラキラ輝く白銀の髪、そして不思議な程に見るものの意識を吸い込むライトブルーの瞳。
不思議な魅力をもつ少女。
実際に彼は彼女のコトを何も知らない。
その年に似合わない程の博学さ、感の鋭さ、といった特質すべきところはたくさんある。
だがそれだけではないことを彼は知っている。
そうでなければおかしいのだ。
この家の幼き当主。
イレギュラーな子供たちを統べるこの少女がただの頭の良いだけの少女なはずがない。
「いや…うん。俺は君を軽蔑したりしないよ。たとえ君が罪を犯してたとしてもね。」
素直な気持ちを伝えると、スッと瞳をそらし、彼女は手じかにあった本を取って読み始めた。
そして一言「…そうですか。」と小さく呟いた。




