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レポート36

 シールドが張られた桜吹雪学園の校門の前には本田が乗ってきたカローラが止まっており、その後部座席では異様な光景が広がっていた。

 数千を越えるかと思われる体長5センチほどのムカデに似た蟲たちがシートの上で蠢いていて、赤や黒、黄色をした甲殻が隙間なく寄り添いあってある形を作っている。良く見ればそれは人の型をしていた。


 蝶々は競技場を出て本田の運転する車に乗り込むと、すぐに衣服と下着を脱いで全裸になった。毒は思った以上に周りが早く、手足が痺れて視界が霞んでいた。全裸になった白い肌には無数の赤い筋の裂傷がある。大きさは大小様々。乳房を縦に走る傷もある。とても他人には見せられない傷。しかし拒絶されるのはもう慣れっこになっていた。


 そしてその傷の一つ一つが戦慄く様に開くと、まるで体中が穴だらけの様になる。傷口の向こうには漆黒の闇が広がっていた。この傷の向こう側に広がる闇がどこへ繋がっているのか、蝶々自身でさえも知らない。


 闇の中から何かが蠢く音が聞こえたかと思うと、大量の蟲たちが一斉にはい出てきて、蝶々の全身に群がっていく。  

 蟲たちは蝶々の命令通りに動いていた。全身に広がって白い肌に針を突き刺して血液を吸い始める。正確には血液に含まれた毒を吸い出しているのだが、数千の小さな針が肌に付き刺さる感覚と鍵爪が肌に食い込む痛みは尋常ではなかった。並大抵の人間であれば気がふれてもおかしくはない。しかし即効性の毒を吸い出す為にはこれ以外方法がなかった。


 蟲たちの塊と化した蝶々の口から時折呻き声が漏れた。熱を持った吐息。全身が痺れて痛みなのか快感なのかわからない奇妙な感覚が全身を支配していく。


 蟲に埋もれながら、自分の人生にぴったりだと自嘲気味に口許が歪む。愛する人には絶対に見られたくない姿だと頭の片隅で思いながら、そんな人間が現われるものかと、もう一人の自分に慰められる。


 毒の為なのか、朦朧とする意識の中で記憶が流星群の様に通り過ぎていく。


 蝶々はこの世に生を受ける直前、温かい光が自分の体を包み込んでどこからか声が聞こえた事を微かながらに覚えていた。

 生まれた時、自分を見つめる大人たちは皆笑顔を浮かべていたが、しばらくすると笑顔は消えて、変わりに動揺と畏れで固まってしまった事もよく覚えている。


 物心がついてからは、母親にも裸は一度しか見せた事がなかった。

 その時の母親の目が忘れられない。自らを責める様な深い悲しみと慈愛に満ちた、満天に輝くどんな星よりも心に響く優しい輝き。


 幼い頃は、こんな体に生んだ母親を憎んだ時期もあった。力の抑制が出来ずに母親を殺しかけた時があった。まだ二歳にも満たない年頃だった。

 そして見兼ねた祖父は古い知人を頼りに蟲使いを探し出して、蝶々を預ける事にしたのだった。


 齢三百歳の蟲使いジル―― 第二の母にしてこの世界で唯一人の同志。

 彼女が教えてくれたものは人肌の温もりと運命を受け入れる覚悟だけだった。

 力の制御のコツは成長とともに自然と理解できるようになっていった。

 彼女の元で暮らしたその数年の間に、この力が遺伝では無い事を知り自分が背負った宿命に対する怒りは消えた。


 そして運命を受け入れる覚悟がつき始めた頃に、父親と母親が迎えに来た。しかし嬉しいのか悲しいのかよくわからなかった。いや、「普通の人」に対して感情の表現が良くわからなかったのだ。


 ただ妹の玉子を見た時に忘れていた怒りが込み上げてきた。理不尽な運命に対する激しい怒り。血は繋がっているのに心が繋がらないもどかしさ。怯えた目で見られる度に、自分が存在する事に疑問を感じてしまう。心は暗い闇の底に滑り落ちてしまう。世界は氷で出来ているのではないかと思えてしまう。


 玉子に認めてほしい、認めさせたいと願う程に距離は離れていく。しかし蝶々は玉子を振り向かせる術を知らなかった。絡まった糸をほどこうとしているのに、糸は自分の体にも絡み付いて身動きがとれなくなっていく。


 そんなある日、異変が起きた。

 玉子の体に起きた微かな兆候を一匹の蟲が感じ取り、蝶々に教えてくれたのだ。


 ジルの元で暮らしていた時に話を聞いた事があった。蟲使いの力に影響を受けて、稀に力が発動する人間が居る事を。

 しかしその殆どは既に体の組成が安定した状態にある為、結局門は開く事なく失敗に終わると言う。もし門が開いたとしても失敗に終わる可能性が高いらしい。


 ジルの弟もその一人だった。内臓に門が出来て、その門が開いた時に弟の体は裏返しになってしまったと言う。皮膚は内側に引き込まれ、内臓と骨が辺り一面に散らばったと、遠い目をして語った。

 以来、誰も愛さず、影の中を歩いて生きてきたのだと――


 だから玉子に初めて発作が起きた時、蝶々の怒りは空の彼方へと消え去っていた。そしてあきらめた。一人で生きていこうと心に決めた。


 家を出なかったのは、母親に止められたからだ。

 それが運命ならば家族共に背負って生きていこうと強く抱き締められた時に、蝶々は生まれて初めて母親にしがみつき、そして初めての涙を流した。


 それからの蝶々は玉子と距離を置いた。背中で気配を感じながらも視界に入らぬ様努めた。日々を重ねるにつれて、心の周りに積み立てた氷のレンガは高さを増していったが、家族共に暮らせる代償だと自分に言い聞かせていた。


 玉子の門は開く事なく小康状態を保ち、玉子自信も母親から聞かされていた原因不明の病気と言う嘘の説明を何とか受け入れて、元気に暮らしていた。

 姉妹の仲は悪くなったが、バルフォン家は鈴木家として地球での暮らしをそれなりに平和に過ごしていた筈だった。


 突然蝶々の体を覆っていた蟲たちがざわつき始めて、一斉に飛び立った。

 その下で眠っていた蝶々の目がかっと開いて、赤い瞳が空を睨んだ。

 そして弾かれた様に全裸のままカローラを飛び出すと、桜吹雪学園を覆うシールドを見上げた。


「門が開いた……!? まさか玉子なの……?」


 赤い瞳が激しく揺れていた。

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