レポート33
「でかしたぞ、クレト!」
ピックパークを助けようと校舎の中へ駆け込んで行ったディッツが、外の騒ぎを聞き付けて玄関から飛び出してきた。
そしてその横には女王の体を乗っ取ったクレトが屋上から飛び降りてきて並んだ。そのマッチョな小男とピンクのドレスを着た大女の絵柄は、まるで悪い夢でも見ている様だった。
いや見ているのではなく見せられているのだ。
今の私にこの悪夢を終わらす手立ては無い。悔しいが主導権は向こうが握っている。それが現実だった。
「さあお嬢ちゃん、どうする? おとなしくピックパークを渡せば命までは殺らねえと約束してやる。お前だってこれ以上頑張っても無理だってわかってんだろ?」
ディッツは不敵な笑みを浮かべて近付いてくる。口調は私を諭す様な優しい演技をしていたが、優位に立った事で瞳の奥に見える残虐な光が強まっている。ピックパークを渡しても渡さなくても私を殺る気の筈だ。
しかし向ってくるディッツは片足を少し引きずる様にして歩いていた。葉月の放ったからくりこけしを受け止めた時に負傷したのだろう。良く見ると右手も痛めているのか、ぶらりと垂れ下がっている。
先程の教室での光景が脳裏に甦った。あれ程の重傷を負っていたのにピックパークの吐き出した肉玉を口にした途端、傷は消え腕まで生えてきた。今ここでピックパークを渡してまたダメージを回復されては、もう私の手に負えなくなってしまう事は目に見えている。
偶然にしろ、戦闘能力が低いピックパークに的を絞った事が流れをまだこちらに引き寄せていた。
今この局面を乗り切る事が出来れば、ピッパーク一人の確保どころではない大成果が待っている。
体の芯が痺れる様な高揚感に見舞われた。
ここで結果を出せば、私がハンターになる事を家族の誰も反対できない筈だ。いや、させない。
「葉月、結界を二か所同時に作れる……?」
私はディッツから目を離さず聞いた。
「出来るけど、どうすんのよ?」
「最初はピックパーク一人でも上出来だと思ってたけど、今このチャンス逃したらもうこの先絶対ハンターになれないような気がして……」
「はあ、そう決めた訳。で、ディッツとクレトを別々に囲えば言いわけね」
葉月が私の瞳を覗き込む様に見つめた。
「ううん。クレトとピックパークを別々に囲んで。それで葉月もレオと一緒に結界の中に居て。もし……私がディッツにやられてもしばらくすれば姉貴とタッキーが駆け付けると思うから……」
葉月が何か言おうとしたが、諦めたように肩をすくめて息を吐いた。私の無謀とも思える決断を尊重してくれた彼女に私は心から感謝していた。
「ありがと。そして、ゴメン……」
「謝るのは死んだ時にしてくれる? あんたの霊を呼び寄せて琴乃ちゃんとネチネチいじめてやるから」
「わかった……!」
私は苦笑した後で、ディッツと向き合った。頬の辺りが緊張で引きつっていたので、思い切り張り手をかまして一切の表情を剥ぎ落とした。
一度深呼吸をした後で、右足をすっと半分だけ出して踵を浮かせる。
そして腰を落とし、左手は腰へ、右拳を顔の前で構えた。
空手の猫足立ちと言う構えだ。
レオの格闘プログラムに地球の格闘技をインプットする時に、偶然知った形だった。そのネーミングから親近感を感じ、以来自宅の地下道場でのトレーニングで身につけた形だった。
もっとも私らしく、心が落ち着く構え。この先の人生を、この星で、ハンターとして生きていく事を決意した私の形――私の決意を示すスタイル。
3メートル手前で、ディッツの足が止まった。
「ほう……」
唇の片端が上がって、歪んだ笑みを浮かべる。
「さっきまで怯えてた子猫ちゃんが……。気に入らねえなぁ、その目が。なにを企んでやがる?」
ディッツはふと自分の右手に気付いて高らかに笑いだす。裏返った声の下品で卑しい笑い声。
「これか? まさかこの怪我に勝てると思ったのか!? 全く気に入らねえな! 俺ぁ、舐められるのが嫌いなんだよっ、オメエは何もわかっちゃねえ! 自分の器も! 能力も!実力も! 置かれてる状況も!」
と、ディッツは私に向けた人差し指を振り回しながら、ヒステリックに大声で喚き散らしながらずんずんと近付いてくる。
と、思った瞬間、まるでフィルムのコマが途中で抜かれたみたいに、ディッツの姿が眼前に迫っていた。
一気に間合いを詰めたのだ。体を捻りながら背中を反らす。人差し指がこめかみを掠めた。
「葉月!」
私の合図でこけしが宙を飛び、女王の体を結界に封じこめた。
ディッツが私の意図に気付いて、葉月を目掛けて跳躍する。
しかし既に葉月は、胸の電磁シールドランチャーでピックパークを捕縛したままのレオバルドと共に結界の中へ閉じこもった後だった。
結界に弾き飛ばされて、ディッツの体がグラウンドを転がっていく。
私は空かさず、その右頭部目掛けてハイキックを叩き込んだ。
「遅い!」
ディッツは左腕でブロックしようとするが、私の左足の方が一瞬早かった。
ディッツが短い悲鳴を上げてうずくまる。
思った通り、右腕の自由が利かないのだ。
反撃の隙を与えては駄目だ。私は痛めている左足を踏み付けると、更に右頭部にキックを叩き込んだ。
しかし今度は辛うじてブロックをされる。そしてその左足が竜巻に巻き込まれたみたいに、勢いよく引っ張られる。
ディッツが掴んだ左足を自分の肩の上に乗せて、そのまま一本背負いの要領で私を投げつけようというのだ。
左足に強大な負荷がかかる。へたに抵抗したら左足と股関節を痛めてしまう。私は引きずられる力に身をまかせて、投げ飛ばされる直前に右足で地面を蹴って、自ら宙に飛んだ。
空中で体を捻り、ディッツの姿を目で追う。
突如、視界を覆う黒い影。ディッツの膝蹴りだ。
ディッツも私の後を追ってジャンプしていたのだ。
腕を十字に組んで襲い掛かる膝蹴りをブロックする。しかしまるで至近距離から発射されたショットガンを受け止めた様に、私の体は吹き飛ばされていた。
まずい――
私は頭を両手でガードして受け身の態勢を取る。
私の体は激しくグラウンドに叩きつけられた。体が半分ほど地面にめり込む。
考えている暇などなかった。
私は弾かれた様に地面を転がってその場を逃げる。
直後、激しい衝撃音と共に、今まで私が居た場所に直径3メートルほどのクレーターが出来上がっていた。そしてその中央で苦虫を噛み潰した様な顔で立っているディッツ。
「ま、逃げ足だけは一人前の様だ。だがな。あめえんだよ。何もかもがっ。技術もねえ! 経験もねえ! 知識もねえ! 全てが未熟で生ぬるい! プロのハンターならもう決着がついてんだよ! そんな命を懸けた緊張感すらこの戦いにねえ! オメーだってもう気づいてんだろ? ケガをしてまともに動けないオレにすらどうやったって勝てっこねえってよぉ!」
ディッツはその口調とは正反対に、一歩一歩踏みしめるようにクレーターから出てくる。まるで肉体の内部で爆発するエネルギーを溜め込んでいるように。
そのヒリヒリと肌に突き刺さるような気迫に私は息を呑む。体は自然と猫足立ちの構えを取っていた。
「なのに、まだ挑むってか? 要は舐めてんだよな、オレの事を。ケガをした俺なら、私にも勝てるかもって思ったんだよな? つまり、オレは舐められたって事だ! こんなただの素人同然の夢見る猫耳のお嬢ちゃんによぉ。オレの実績も、今までどんな修羅場を乗り越えてきた事も知らずによぉ。これっぽっちのケガで、猫耳娘にも勝てるって思われた事が、どんだけどんだけ悔しくて、どれだけ屈辱的で、どれだけ俺の自尊心と築いてきたこれまでの実績を侮辱している事か! おめえは全然わかっちゃいねえ! だから!死んで償えや、猫耳娘ぇぇぇぇぇぇぇ!」
ディッツが一気に間合いをつめてくる。右拳が振り上げられた所までは確認出来ていた。しかし次の瞬間、目の前に居た筈のディッツは私の左横へと回りこんで左アッパーを繰り出していた。
轟音をあげて、私の鼻先を左拳が掠めていく。
避けれたのは偶然にすぎなかった。私はディッツの姿を完全に見失っていたのだから。そして今も……
「くはぁっ!」
右脇腹に抉られる様な激痛が走った。枯れ木が折れた様な音が体の中に響き渡る。肋骨が何本か折れた音だ。
続いて右手を掴まられて、一気に捻られる。肩の付け根から千切られそうな激痛が走って、右手が言う事を聞かなくなる。
私は叫んだ。そうしなければ理性が吹き飛ばされてしまいそうだった。
闇雲に左手を振り回していた。
しかしディッツの馬鹿にした笑い声が聞こえるだけで姿は見えない。
そして左手が捩じ上げられたと思った瞬間、肘が嫌な音を立てて反対側へと折れ曲がった。
雷に打たれた様な激痛に、私は悲鳴すらあげる事ができなかった。
怪我は実力の差など埋めていない。
ただ私の勇み足を誘っただけだった。
頭が真っ白になる。考えている余裕などなかった。遠くで葉月が狂った様に叫んでいた。わかってる。ここから逃げなければ、それで終わりだ。
でも、どうやって?
息が上がる。胸が軋む。心臓が悲鳴を上げていた。胸の一番深い所から時折違うリズムが聞こえてくる。いつもの嫌な足音。命を削る悪魔が忍び寄る音。
堪らず空気の塊を吐きだした。体が凍り付いた様に固まって次の呼吸が出来なかった。
何でこんな時に――
私は胸を掻きむしった。空気を求めて唇が震えた。
鼓動が弱まっていくのがわかった。変わりに悪魔の足音が次第に大きくなっていく。胸の奥底から何かがヒタヒタと這いずり上がってくる感覚があった。
「おめえ、病気なのか……?」
いつの間にかディッツがあきれた顔を浮かべて、目の前に立っていた。
「そんなので俺に挑んできたってのか……くだらねえ。舐め過ぎだぜ、猫耳ビッチが」
視界の隅で、ディッツの左手が動いた気がした。
その直後、私の胸はディッツの貫手に貫かれていた。




